旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》富山高岡、金沢山代~高岡街歩き

2022-05-23 07:58:58 | 国内
仏壇屋の天井にバルコニーがあった(後述)
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10時過ぎに高岡駅をスタート。「高岡大仏」は奈良、鎌倉と共に「三大大仏」と称される。
※この大仏を数十メートル移動させた話、2016年はじめて訪れた時のブログに書きました

大仏様の真下にある木製のお顔↑二度目の火災で燃え残ったのではなく、三回目も木像でつくりはじめたがお顔だけで計画変更されたという話もきいた。顔の周囲に配置されている聖堂の小像は昭和三十年代に鋳造されたが重すぎるので光背に設置できなかったもの。
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蔵造の街へ移動。黒く重厚な「雪割り瓦」の「菅野家」↓

明治三十三年(1900)に街を焼き尽くした大火の後、土蔵造りの家が立ち並ぶようになった。

金属製の防火扉雨戸が通っていたレール↑

↑そう説明されてレールの先を追っていくと…

↑使われなくなって錆びついた扉が今も残されていた。


↑こちら「筏井(いかだい)家」住宅も1900年の大火の三年後に建設された土蔵造り↑二階の分厚い扉デザインに注目↑


古民家を開け放ってお茶を飲んでいた方に声をかけると「入っていってよ」と言ってくださった。

↑ヤマハの古い脚踏みオルガン↑ここはなんと、動揺「夕日」の作者・室崎琴月の生家だった。
足の不自由な少年が音楽家への第一歩を踏み出したオルガンがこれだったのか。
※こちら木版画家さんのページに詳しく書かれてあります

「おれの叔父の家だったんだけど、もう古くて住めないんだよ。冬は隙間風で寒いし、夏は蚊が出るし(笑)」

こういうふうに直接会話できるのが国内《手造の旅》の楽しみ(^^)


↑名物のお菓子をみつけたらやっぱり食べてみたい(^^)

↑町家や老舗が立ち並ぶ江戸時代からの通りが途切れ↑「昭和通り」の名の通り昭和に貫通させた通りが交差している↑
↑角の小さな古民家は道路建設で取り壊された残り↑なるほど、言われてみればぶった切られたのがよくわかる↑

土蔵造りの豪商の家々が並ぶ一帯には銀行もやってくる↑古民家の道路側だけ洋風の入口にした建物もそのひとつ↑

ガイドさんに促されて中を覗いていると↑ちょうどご主人がもどってこられた。

↑ここはなんと仏壇屋さん(^^)↑自分が昔制作した仏壇の細工についても話してくださる。

促されて天井を見上げると…

ヨーロッパ風のバルコニーがぐるりと取り囲んでいるではないか。
↑赤い家紋はまぎれもなく三井のもの↑
「上役があそこから見ていたんです」
そう言われて、百年前にフロアで働いていた人々の姿が見えてくる気がした。

↑黄色いランプはあきらかにレプリカ↑だが、歴史を伝えようとしている。
「ガス灯です。あそこにガス管が通されていたんですよ」
調べてみると、高岡にはじめてガス管がとおされたのは1914年(大正3年)。
前出の「菅野家」七代目善右衛門が1910年(明治43年)に営業許可を得ている。
※高岡ガス(株)HPの歴史に経緯が載せられています
この三井の店舗も最初にガスを通した473戸のうちのひとつだったのだ。


御車山会館もちょっとだけ覗く。

飾られた山車が練り歩くのが見ものだが、こちらは(今晩の「伏木のけんか祭」とちがって)ぶつけるようなことはしない。
装飾された車輪に注目。
高岡と伏木はもともと別の街で、今も別々に大がかりなお祭りを・同じ五月に続けている。
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昼食は「和香(にこか)」にて。

はじめて高岡を案内していただいた時から何度かお昼をいただいたが、今年?ミシュランの★がついた(^^)
※こちらに載せました

コメント
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