旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》白山比咩神社から、「大野弁吉からくり館」、ヤマト醬油「糀パーク」

2022-06-04 12:40:50 | 国内
予定していなかった「からくり記念館」だったが、茶運び人形の実演を見ることができた。
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お昼は白山比咩(しらやまひめ)神社の門前にある「おはぎ屋」というお店で↑

地元のTさんがずっと推薦してくれていたのだが、「蕎麦と柿の葉寿司」というメニューをきいてもありきたりな気がして決めかねていた。だが実際に食べてみると、ありきたりでない美味しさ! 特に厚揚げは「これ売ってませんか?」と言う方まででてきて、残り二枚をわけてもらっていたほど。 お店の名前になっている「おはぎ」ももちろん売っていて、近所の人気商品。ここにしてよかった(^^)

食事の後↑この鳥居をくぐって参道を登ってゆく↑
白山(はくさん)信仰の神社だが、なまえは白山比咩(しらやまひめ)神社と読む↑

↑ゆるやかな階段の横を心地よい音をたてて山からの水が流れる↑神社も寺も教会も神殿も本殿に至る道のりは大事。

何百年もの間、参拝する人々が感じてきただろう気持ちをなぞる。

社殿に到着。

禰宜さんが待っていてくださり、白山信仰の話をしてくださった。

白山は富士山、立山とならぶ日本三大霊山のひとつで、全国二千七百の「白山神社」がある。ここがその総社。伝説では崇神天皇七年(紀元前91年)の創建とされる。

祀られている白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)は=日本書紀の菊理姫(くくりひめ)とされ、イザナギがイザナミの死醜を嫌って逃げたのをとりなして仲なおりさせた神とされる。※こちらのサイトに詳しく書かれています

奈良時代の僧・行基が白山の山頂に至ると、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)が白馬に乗って表れたとされる。

↑境内に奉納されていた高さ三メートルを超える木像の馬はそれだったのか↑

↑昭和三十三年に発願してつくりはじめられたものだが、途中で寄進者が亡くなったりして資金繰りに窮し一時制作が途絶えた。再開後、昭和四十四年に完成↑

今、本宮のあるこの場所は1488年に定まった。そのころには延暦寺の末寺となっていた。ゆえに加賀が浄土真宗・一向宗の国であった時代には破壊され「門徒もほとんど全滅(荘厳講中記録)」の惨状だった。※公式HPの「歴史」より
加賀に前田利家が入り1596年に白山神社を再興。
現在の本殿は1770年に前田家が寄進したもの。
明治の廃仏毀釈・神仏分離で完全に神社になったが、日本古来の山岳信仰は今も生きている。


境内にある↑禊場がそれ↑

祢宜さんだけでなく、禊体験をさせてもらえるのだそうだ。

「なんじゃもんじゃの木」はコレ↓

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旅の最後に金沢をもう少し見ておこう。

金沢港の近くで「大野弁吉からくり記念館」という看板が見えた。
今日は少し時間に余裕があるから寄ることにした。
入るとちょうど定期観光バスが到着していて、「茶はこび人形」の実演がはじまったところだった※ブログ冒頭写真

お客の前まで行くとピタッと止まる。
茶碗をとって、飲んで、ふたたび乗せるとくるりと方向を変えてもどってゆく。
ゼンマイ仕掛けだが、そのゼンマイは鯨のヒゲを使っている。

お客までの距離を設定することができる。

弁吉は1801年京都五条の羽職人の家に生まれ。一介の職人だったが腕と好奇心が人脈を得て⇒長崎⇒対馬⇒朝鮮まで行ってしまった。最後は妻の故郷の加賀「大野」におちついたので、大野弁吉と通称されるようになった。
最先端の写真にも興味を持って、彼自身の写真も残されている※記念館のHPにリンクします

鎖国の封建時代にあっても、こういう人物が活躍できたのが江戸時代のおもしろいところ。

↑弁吉はもともと木彫の腕前もあったので、加賀の獅子頭も数多く残しているようだ↑
木彫好きとしてはいちど見てみたいけれど、いつでも公開されているわけではなさそう。

↑この円盤のような博物館の建物にも言及しておかねば↑
建築家・内井昭蔵氏の設計により1996年に完成。
敷地は金沢港の突端に位置し、
「海に向かって船出する銭谷五兵衛の北前船をメタファーして…」つくられたと
博物館に置かれた内井さん本人のコメントに書かれている。
豪商・銭屋五兵衛は大野弁吉を援助していた。

「博物館を木造で作ること自体、安全防災上の障害があり自信はなかったが、中西知事(故人)の励ましもあり、木の博物館をめざすことにした」

その試みは成功している(^^)
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最後に訪れたヤマト醤油の「糀パーク」は同じく港に昔からあった。

明治44年創業。
初代・山本藤松(とうまつ)は船乗り↓↑
「ヤマト」は、初代の「山(本)・藤(松)」からきていたとわかった。
↓大野川の河口に船をつないでいたと伝わる↓

↑今は「創業の小道」と呼ばれている↓

観光客向けのお土産屋や軽食堂もあるが↑工場設備は今も稼働し続けている。

↑金沢駅まで車なら十五分ほど↑
金沢港エリアはコロナ禍に大型客船が停泊できる桟橋が完成して、これからもっとクルーズ船の寄港地として脚光をあびていきそうだ。
コメント
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