ダウンタウンのホテルを出発。
シェルブロック通りを西に曲がるとすぐに、かつてこのあたりが「フランス系住民地区」だった時代の、表に階段のある立派な建物がならんでいる。
モントリオールはかつてサン・ローラン通りより西がイギリス系地区、東がフランス系地区と、はっきりわけられていた。
そのまま西に進み、右手の山へあがっていく途中に巨大なサン・ジョセフ教会がそびえている。
1845年に生まれたアンドレイはここにあった修道院の門番だっが、彼と一緒に祈ると病気が治るという噂がひろまり、たくさんの人々がやってくるようになった。
小さな礼拝堂ではおさまらなくなって、1924年から新しい聖堂の建設がはじまり1967年に完成した。
アンドレイ自身は1937年に亡くなり、ここに心臓がおさめられている。
北米三大巡礼地のひとつとなっている。
丘の一角は広大な墓地。
映画「王様と私」のモデルとなった女性もここに葬られているそうな。
モントリオールオリンピックの会場だったスタジアムが見える。
1976年コマネチが活躍した大会。
当時はまだこの塔は完成していなかった。
市に大赤字を計上させた大会だそうで、当時オリンピックは開催したがる都市の競争などはなかった。
*ダウンタウンヘ降りていき、地下街をちょっと見学することにした。
冬がきびしいモントリオールでは三十キロを超える長さの地下の街が整備されている。
地下へ降りていくと
古めかしいカトリック教会の地下はこんな商店街だった。
テナント料は教会にはいるという。
1980年代に地盤が弱く傾いていた教会を全面修復聖堂の尖塔も軽いチタン製に交換した。
市内に四路線走っている地下鉄は、世界で初めてゴムタイヤをつかったもの
**1967年の万国博覧会跡地へ。カナダ建国百周年を記念して開催された大会は、小さな中洲の島が主な会場だった。ジャク・カルティエ橋を渡る
当時の展示館で残されているのは二つだけ。これはアメリカ館。
当初は布で全面を覆っていたのだが、火事で焼けてしまい、これは骨組みだけ。でも、なかなか美しい。
元フランス館は現在カジノになっている
再び橋を渡ってモントリオール中心部へたしかに小山になっているのがよくわかる。
あ、今朝のニュースで改修工事が予定されていると報道してたシャンプレーン橋がちょっとだけ見えている
手前の鉄橋は、今日午後に乗るVIAレールだ。
★下の写真が午後の列車から見えたシャンプレーン橋
★こちら朝のニュースの予定映像
**
印象的な形をした集合住宅は、1967年の万博の時に建てられた「アビタ67」と呼ばれるもので、当時マギル大学の学生だったモシェ・サフディが理想の住宅として設計したもの。
安価で汎用性のある住宅を意図していたが、これと同じものは全くつくられることはなく、現在ではとてもとても高価な史跡的住宅となっている。
***
17世紀にモントリオールが拓かれていった当時の地区を歩く。
★市庁舎は1878年に建設された新しいもの。
1967年にフランスのド・ゴール大統領がこのバルコニーから演説し、
最後に「自由ケベック万歳!」と言って、観衆の喝さいをあびた。
が、当時のトルドーカナダ首相は、「独立派をあおる演説だ」として
オタワでの会談をキャンセルした。
市庁舎のすぐそばに、トラファルガー海戦でフランス軍をやぶったネルソン提督の像がのった円柱があるのは皮肉
★ノートルダム大聖堂
フランス各地に見られる古いゴシック様式を模して19世紀に建設された。
入場料を払って中に入ると、すばらしい装飾の空間がひろがっている。
天井はステンドグラス
サイドを飾るステンドグラスは1929年にフランスはリモージュの職人が作成したものだが、モントリオールの町の歴史をモチーフにしている。
○1642年ヴィル・マリー(聖母マリアの街)という名前ではじまった翌年、洪水におそわれそうになった。聖母マリアに祈り救われたと感じた入植者のリーダー軍人のメゾンヌーヴは、モントリオール(「王の山」の意味)の山頂まで十字架を担いでのぼっていったのだった。
教会の正面に銅像となって立っている人物が彼
***旧市街のすぐ外に、人口五万人と言われるチャイナタウンがある鉄道建設で動員された中国人たちがそのはじまりであった。
****
午後一時出発のケベック行VIA鉄道に乗る。
スーツケースを荷物車両にチェックインして地下に降りると、列車がまっていた。
古い車両だがゆったり広い
疑似リクライニングだけれど電源もある
荷物置き場は頭の上か
車両の端へ
とどけてもらったサンドイッチ
出発して川を渡る時、午前中の観光で通ったジャック・カルティエ橋がみえた。
三時間二十分の列車の旅は、ずっと美しい紅葉に伴奏される
午後四時二十二分、ケベックの駅に到着。荷物車両から荷物受取
なかなかクラシックな駅
荷物は女性二人がバスまではこんでくれました
*****
道路は空いていて、15分で城壁内のホテルに到着。
18時過ぎの夕食へ行く途中、せっかくだから少し散歩しましょ。
ケベック市のランドマーク、シャトー・フロントナックが夕陽をあびて崖の上からセント・ローレンス川をみおろしていた。
夕食はロブスター
明日の午前中、この町を徒歩で観光します。
シェルブロック通りを西に曲がるとすぐに、かつてこのあたりが「フランス系住民地区」だった時代の、表に階段のある立派な建物がならんでいる。
モントリオールはかつてサン・ローラン通りより西がイギリス系地区、東がフランス系地区と、はっきりわけられていた。
そのまま西に進み、右手の山へあがっていく途中に巨大なサン・ジョセフ教会がそびえている。
1845年に生まれたアンドレイはここにあった修道院の門番だっが、彼と一緒に祈ると病気が治るという噂がひろまり、たくさんの人々がやってくるようになった。
小さな礼拝堂ではおさまらなくなって、1924年から新しい聖堂の建設がはじまり1967年に完成した。
アンドレイ自身は1937年に亡くなり、ここに心臓がおさめられている。
北米三大巡礼地のひとつとなっている。
丘の一角は広大な墓地。
映画「王様と私」のモデルとなった女性もここに葬られているそうな。
モントリオールオリンピックの会場だったスタジアムが見える。
1976年コマネチが活躍した大会。
当時はまだこの塔は完成していなかった。
市に大赤字を計上させた大会だそうで、当時オリンピックは開催したがる都市の競争などはなかった。
*ダウンタウンヘ降りていき、地下街をちょっと見学することにした。
冬がきびしいモントリオールでは三十キロを超える長さの地下の街が整備されている。
地下へ降りていくと
古めかしいカトリック教会の地下はこんな商店街だった。
テナント料は教会にはいるという。
1980年代に地盤が弱く傾いていた教会を全面修復聖堂の尖塔も軽いチタン製に交換した。
市内に四路線走っている地下鉄は、世界で初めてゴムタイヤをつかったもの
**1967年の万国博覧会跡地へ。カナダ建国百周年を記念して開催された大会は、小さな中洲の島が主な会場だった。ジャク・カルティエ橋を渡る
当時の展示館で残されているのは二つだけ。これはアメリカ館。
当初は布で全面を覆っていたのだが、火事で焼けてしまい、これは骨組みだけ。でも、なかなか美しい。
元フランス館は現在カジノになっている
再び橋を渡ってモントリオール中心部へたしかに小山になっているのがよくわかる。
あ、今朝のニュースで改修工事が予定されていると報道してたシャンプレーン橋がちょっとだけ見えている
手前の鉄橋は、今日午後に乗るVIAレールだ。
★下の写真が午後の列車から見えたシャンプレーン橋
★こちら朝のニュースの予定映像
**
印象的な形をした集合住宅は、1967年の万博の時に建てられた「アビタ67」と呼ばれるもので、当時マギル大学の学生だったモシェ・サフディが理想の住宅として設計したもの。
安価で汎用性のある住宅を意図していたが、これと同じものは全くつくられることはなく、現在ではとてもとても高価な史跡的住宅となっている。
***
17世紀にモントリオールが拓かれていった当時の地区を歩く。
★市庁舎は1878年に建設された新しいもの。
1967年にフランスのド・ゴール大統領がこのバルコニーから演説し、
最後に「自由ケベック万歳!」と言って、観衆の喝さいをあびた。
が、当時のトルドーカナダ首相は、「独立派をあおる演説だ」として
オタワでの会談をキャンセルした。
市庁舎のすぐそばに、トラファルガー海戦でフランス軍をやぶったネルソン提督の像がのった円柱があるのは皮肉
★ノートルダム大聖堂
フランス各地に見られる古いゴシック様式を模して19世紀に建設された。
入場料を払って中に入ると、すばらしい装飾の空間がひろがっている。
天井はステンドグラス
サイドを飾るステンドグラスは1929年にフランスはリモージュの職人が作成したものだが、モントリオールの町の歴史をモチーフにしている。
○1642年ヴィル・マリー(聖母マリアの街)という名前ではじまった翌年、洪水におそわれそうになった。聖母マリアに祈り救われたと感じた入植者のリーダー軍人のメゾンヌーヴは、モントリオール(「王の山」の意味)の山頂まで十字架を担いでのぼっていったのだった。
教会の正面に銅像となって立っている人物が彼
***旧市街のすぐ外に、人口五万人と言われるチャイナタウンがある鉄道建設で動員された中国人たちがそのはじまりであった。
****
午後一時出発のケベック行VIA鉄道に乗る。
スーツケースを荷物車両にチェックインして地下に降りると、列車がまっていた。
古い車両だがゆったり広い
疑似リクライニングだけれど電源もある
荷物置き場は頭の上か
車両の端へ
とどけてもらったサンドイッチ
出発して川を渡る時、午前中の観光で通ったジャック・カルティエ橋がみえた。
三時間二十分の列車の旅は、ずっと美しい紅葉に伴奏される
午後四時二十二分、ケベックの駅に到着。荷物車両から荷物受取
なかなかクラシックな駅
荷物は女性二人がバスまではこんでくれました
*****
道路は空いていて、15分で城壁内のホテルに到着。
18時過ぎの夕食へ行く途中、せっかくだから少し散歩しましょ。
ケベック市のランドマーク、シャトー・フロントナックが夕陽をあびて崖の上からセント・ローレンス川をみおろしていた。
夕食はロブスター
明日の午前中、この町を徒歩で観光します。