旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

コンウィ城壁散歩

2016-05-18 20:54:33 | イギリス

 

五月は陽が長いから、スランディドノからコンウィのホテルに戻ってもまだまだ明るい。三角形の城壁→散歩にいきましょう(^^) 写真、ご覧ください。

階段は細くて急だから気をつけて→

コンウィ城の八つの塔、そこから湾をまたぐ三つの橋が見えた。※これらの橋についてはまた別に書きます。

 

下の写真の赤い家はイギリスで「一番小さな家」として、よくガイドブックに載っている

それにしてもカモメがいっぱい巣をつくっている。食べ物を持っていたら襲ってきそう。

スランディドノで見かけた、カモメにエサをやらないでの看板。「君が一度エサをくれたら、君のもってる食べ物はみんなぼくらのモノだとおもっちゃうよ」と、書いてあります→

家々に小さいながらも裏庭があるのが見える↓

↓一番高い角の塔から町を見下ろしたところ

 

↓鉄道の駅から地上へ降りることにした。この鉄道は城壁をぶち抜いて建設されていたんだ

↓列車を貫通させるために城壁の形が変更されているのがわかる。ということは…古そうにみえても19世紀にしっかり改修した成果なのであります。

電光掲示板に運休のお知らせ。「乗務員の不足により運休」と表示されていてびっくり↓

****

キャッスル・ホテルすぐ近くのスーパーが開いていたので寄ってみる。朝食でかならず出されるキノコがこんな風に売られておりました。フレッシュそうだから焼いてちょこっと醤油でもかけていただきたいですね↓

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スランディドノでケーブルカーに乗る

2016-05-18 17:33:48 | イギリス
アングルシー島の「世界で一番長い名前の村」※こちらに書きました


 


を出て、半島先にあるスランディドノへ向かう

LLANDUDNOという地名をすんなり読める人はウェールズ人だけではないだろうか。
 


  


ガイドブックに「スランデドノ」と書かれていたのでそう発音したら、イングランド人のドライバーには通じなかった。彼に発音してもらうと「ランディドノ」としか聞こえない。 


いったい最初の「ス」は、どこからきているんだろう? 


・・・と思っていたのだが、今日、ウェールズ人のガイドさんにお会いして発音してもらうと、たしかに最初に「ス」にきこえる音があった。なので、ここではガイドブック通りスランディドノと表記することにする。


 


**我々の宿泊しているコンウィから十五分ほど、半島の先にあるヴィクトリア時代のリゾートタウン。そうきいて、小さな田舎町を想像して行ったら、
予想をはるかに超える大きな街だった。
 


 


 


「不思議の国のアリス」は最初、この街にやってきたオックスフォード大学の数学教員が、学長の娘のアリスに即興で語ったナンセンス物語だったそうだ。
今から百五十年前の日本なら江戸末期の事。
この町はすでに今とそれほど変わらない様子だっただろう。
上流階級のきちんとした地方都市。


世界で三つしか現存していないケーブルカーの市電を使って、海辺からなだらかな坂を五分ほどのぼっていく

あの岩山の上までいくのか



t←途中に鉱山の跡もあるようだ


 突然乗り場があった↓


 



 


  線路は普通の道路に敷設されているこの車両自体に動力はなく、地下を常に動いているワイヤーを掴んだり離したりすることによって動いている。なるほど、これはサンフランシスコで見たケーブルの仕組みと同じだ。「世界で三つしか現存していない」のもう一つは、ポルトガルのリスボンだそうな。これで三つとも乗った事になります(^^)


 


ケーブルカーはだんだん高度をあげていく。樹木のない高みからはスランディドノの町と湾曲した浜が見えてきた↓ 



 標高はたった二百メートルほどなのだが、もっと高く上がってきたような感覚がある。それだけ眺めがよいということか。


下の写真、はるか海上に風力発電の風車がずらりと並んでいるのが分かりますでしょうか? 



 


 途中で乗換て、五十分ほどかかって頂上へ到着


近くの基地から飛んできた飛行機がけっこう近く旋回している


風が強くて、体感温度がとても冷たく感じる。


 


海岸に古い教会と墓地が見えた。「あれがLlan(教会)の語源になったところよ」とガイドさんが指さした↓


 



←これがケーブル



 寒くなってきて「下りたらアフタヌーンティーしましょう」と皆さん合意。


ガイドさんが予約してくださったのは、老舗のセント・ジョージ・ホテルだった↓



 


このホテル、開業は1854年。1862年の夏にはオックスフォードのリドル家が十二人で滞在した。その時娘のアリスは八歳。後にルイス・キャロルというペンネームをつかドジソン教諭から不思議なお話しを聞かされたことだろう。

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コンウィから プリンス・オブ・ウェールズ戴冠の地カナーフォンへ

2016-05-18 11:12:54 | イギリス

※CAERNAFONは、日本ではカーナボンとも表記されるが、これは現地では全く通じない発音なので、実際に即してカナーフォンと表記します。

この廃城の、この円形の印のあるだけの場所で、1301年以降ずっと続けられている戴冠式↓

もっとも近いのは1969年。エリザベス女王もお若いこと

 

***

朝、コンウィのキャッスル・ホテルでの朝食で出されていたチーズ盛り合わせ ホテルの裏にある教会の裏庭を通ってバスへ向かう。この教会がある場所に、実はウェールズ独立時代の城があった。なので、我々の泊まっているホテルがキャッスル・ホテルと名付けられていたわけですね。

墓地の一角に「we are seven」と書かれた記念碑のようなものがあった。※これについては別に書きます。

コンウィから西へ一時間弱走ると、カナーフォンの町に到着する。コンウィと同じ程度の城壁に囲まれた町で、同じように堅固なノルマン様式の城がある。

城壁をはいってすぐに、15世紀からの老舗旅館ブラック・ボーイというのが目についた

城壁内の道はまっすぐで、計画して作られていったことがわかる。端から端まで数百メートルしかないから、入って突き当りにもう城が見えるほど↓

コンウィと同じ13世紀に建造された城は、廃墟になっている。一部の矢間は当時最新式の形になっていて、一か所から二方向に向けて矢を放つことができるようになっている⇒ この廃城が有名なのは、なんといっても「プリンス・オブ・ウェールズ」戴冠式がおこなわれてきたから。

ウェールズ人の王を殺して支配権を確立したエドワード一世王だったが、市民を懐柔するために「英語を話さない王」=生まれたばかりの自分の息子を、ウェールズ人の君主「プリンス・オブ・ウェールズ」として戴冠させた。現在の皇太子チャールズに至るまで、その伝統が守らているのであります。

戴冠式が終わって、集まった民衆にお披露目されるバルコニーが、1969年の戴冠式に合わせてつくられた。それが、ここ⇒ ここからこんなふうに手を振ったわけですね

古城の塔はそれぞれ展示室になっていて、言葉がよくわからなくても理解出来る映像がながされていた。ウェールズ人の反乱は何度も起こり、時にこの城も占領されていたのか

 

チェスのようにみたててイングランド対ウェールズを説明していたり⇒

「鷲の塔」の一番上に上ると

この塔の上にはぼろぼろになってはいるが石の鷲が置かれている。これは、エドワード王が古代ローマの崇拝者だったから。ローマ軍団のシンボルは鷲で、一軍団に一つの銀鷲旗を持っていたのだ

***城下町の片隅に、ひとつだけ古い教会が残されていたので入ってみるた。この紋章が扉に掲げられていたが、教会に居た人に説明できる人はいなかった→ 1307年にカナ―フォンの城下に駐屯するイングランド兵たちのための教会として建設された。オリジナルの初期ゴシックアーチが残されている→ 柱頭のひとつに、ロマネスク様式の顔がふたつ残されている。「この教会を寄進した人物だと信じてます」と、居合わせた地元の方々が言った。

教会の一方の壁は、実はカナ―フォンの街の城壁をつかっている。なので、かつては窓などなかったのだが、19世紀になって爆薬で穴を開けてまどをつくってしまったのだそうだ。城壁を出て見ると、あ、確かに窓ありますね↓

****コンウィに戻る前に、19世紀に建設された橋を見学→こちらは別に書きます。

午後には半島の先にあるLLANDUDNO(さて、何と読むのでしょう?)の街へ行く事にすした

 

 

 

 

 

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ウェールズの古都、コンウィ到着

2016-05-17 16:00:34 | イギリス

イングランド領チェスターはウェールズとの「国境」からすぐの場所にある。出発して一時間半ほどで北ウェールズの古都コンウィの街が見えてきた。

コンウィ川が海に流れ込む場所に、1283年イギリス王エドワード一世が建設させた街である。

印象的な古城にくっつけて、現代の橋が建設されているのがおもしろい。

この橋を、城から眺め降ろした写真がこれ↓

三つの橋が並走している。※これについては別に書きます。

****

周囲三キロ少しの城壁を抜けて、バスはぎりぎり旧市街に入ってゆく

普通に人々が暮らしている
その中心、キャッスルホテルにチェックインした。

三十分ほど休憩して、街を散策に出る。
城壁にのぼり→※無料、24時間ずっと開いている。

城壁伝いに城へ歩き、四時にはお城へ入場※ここは有料

荒涼とした、美しい景色がひろがる

各タワーへ、ほとんどが登れるように整備されている。足元が心配な場所もなくはないが、まだそれほど観光客の数が多くないから鷹揚に開かれている。気を付けて登りましょ。

13世紀、ウェールズ人の王が支配する地域に、侵略者のエドワード王が町を築くのだからこのぐらい堅固である必要があっただろう。エドワード王は明日訪れるカナーフォン城も含め十の城を鎖のように建設した。

海辺なのでやたらカモメが多く、塔の上に巣を作っていて近づく我々をにらんでいる→

城のお店ではウェールズ語指南の本も売られていた。緑と白の地に赤いドラゴンがウェールズの旗であります。

お城からホテルまでの帰路は歩いて

夕食はホテルのダイニングを予約しておいた。なにかウェールズのスペシャルをと思ってメニューを見回す。見透かしたように前菜に「ウェールズ風もりあわせ」があったので注文。ムール貝が地元名産だそうだ。右下のスティック状のものは、一瞬かぼちゃかと思うぐらい甘味のあるイモだった。

 



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チェスター

2016-05-17 04:35:42 | イギリス
木組みが美しいチェスター旧市街

今日は充分時間をとったので、徒歩観光の前にバスで城壁の外側もまわることにした。

チェスター最古の教会といわれる
●洗礼者ヨハネ教会
外観は半分倒壊した廃墟の一部の様に見える↓

西暦689年に当時存在したマーシア国の王によって最初の教会が建てられ、907年に拡張。1075年に建てなおされた部分が現在残る教会のもっとも古い部分と思われている。時代はロマネスク。入ってすぐに、その雰囲気がひしひし感じられた。

イングランドでもっともよく保存されたノルマン・ロマネスク様式の教会である。

当時の主祭壇があった東側が1581年に倒壊して、その部分を閉じてしまったので、残骸が外側に取り残された。さっき見えた廃墟がそれだったのか。以前のもっと大きかった頃の復元図↓

倒壊した部分に建てられた小さな小屋には18世紀にトマス・ド・クインシーの母も住んでいたと書かれていた。

この教会はイングランドの成立、ヘンリー八世による宗教改革、盛況と革命、歴史の荒波を乗り越えて現代に至る。
盛況と革命の時に壊された墓石も


**
南門のすぐそとにある女子修道院学校の建物

ここが建設されるときに見つかったローマ時代の闘技場が保存されている。
※こちらにもう少し詳しく書きました

***ローマ遺跡が集められた南側城壁の一角は、盛況と革命の時に攻撃で破られた跡が残されている。下の写真で右側に見える壁、一部がはっきり修復されているのが分かる↓


設置された解説版は透明になっていて、こんな風に簡単に理解させてくれる↓


****●チェスター、聖ウォーヴァン大聖堂

ここも前出の聖ヨハネ教会と同様にもとはノルマン・ロマネスク様式12世紀の建造だった。その一部が残されている↓

このウィリアム征服王時代、彼の腹心でノルマンディのアヴェランシュ(モン・サン・ミッシェルのすぐ近く)出身のヒュー・ルパスという人物の墓が見つかっている↓

「ルパス」とはラテン語系の言語でオオカミを意味する。ヒュー自身が使っていた紋章にオオカミが描かれ、これと同じだったのでヒュー・ルパスのものだと断定された。これが↓彼の紋章

彼の名前は、その行いがオオカミの様に残忍だったからだという説がある。自らそれを紋章に選んだ意図はなんだったのだろう。
戦争に明け暮れ、跡継ぎの息子夫婦に先立たれたヒューは、死の四日前にチェスターの修道院僧となった。

この教会の見どころのひとつは15世紀以前に制作されたと思われる聖歌隊席の木彫。ゾウを見たことがなかった人物が彫ったゾウは足が馬か牛のようだ

修道士にビール飲ませる悪魔

シンバルをたたく天使↓


ステンドグラスも美しい


レゴでつくられた精巧な大聖堂の模型

財政的にレゴが支援しているのだそうだ。

現在でも生きている教会は、ボランティアの方々によって支えられている。このクッションもひとつひとつ手作りで、デザインも違う↓

以前も何度かご一緒したガイドのペギーさんがゆっくりと説明してくださる。

****昼食は大聖堂付きのカフェで

お土産にこんなのも


*****昼食後、しばらく街を散策
この木組みの街並み、一見中世風だけれど、19世紀から20世紀初頭に、昔風に建てなおした部分も多い。エドワード七世王(エリザベス二世現女王の曽祖父)の像が付けられている建物↓


***
午後は、いよいよウェールズへ向かいます

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