「私が生まれた家、今、画家さんにお貸ししてるんよ。喫茶店もされてるんで、行ってみん?」
彼女が生まれたのは、瀬戸内の連絡橋ルートからは外れた小さな島だった↓地図で見てはじめて場所を認識↓下の地図で「テレレ」という喫茶店になっている場所がそこです↓
★先週熊本へ行く飛行機の窓から見おろしていた島だ。島の形が撮っていた写真とぴったり一致してびっくり。※こちらからその時の写真ごらんください
四国への連絡橋とはルートがちがう。だからこそ訪れる価値がある。小さな村の路地を入っていくと手書きの標識があった↓
彼女の家は醤油屋さんだったのだ↓今でもその時の大きな文字がのこされている↓
おだやかに向かえてくださった店主さんに、「先に展示室ごらんになりますか」と言われて入った↓
すると、空気が一変した↓
飾られていたのは原爆をテーマにした絵画群だった。まったく予想していなかったので固まってしまった。
廃屋の壁と雰囲気を共鳴させ、荒れた土間に置かれたオブジェとともに迫ってくる↑
びっくりしている小松に、「広島のもんは慣れてるけど、外から来た人はびっくりするじゃろうね」と、おっしゃる。
となりの部屋には、彼女が子供のころ弾いていたというピアノが↓真ん中に置いてある↓
その、一種バランスを欠いた取り合わせが、よけいに衝撃だった。
母屋で、店主の画家さんとお会いした。おだやかに「忘れてはいけんものですから」とおっしゃった。彼自身も直接見てはいない世界であっても、伝えていくべきものを表現しようとする姿勢があった。
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母屋は昔の大きな商家の雰囲気を感じさせる場所↓
中庭には、昔からのモノと、今のモノが混在↓
喫茶のメニューはちょっと変わっている。奥様がアルゼンチンの日系の方なので↓
「テレレ」とは、マテ茶の冷たい版、といえるかも。専用の入れ物で回し飲みするのが南米流↓
味は・・・漢方薬というのが近いです。甘めのジュースでわってちょうどかも。
手作りのかりんとうも各種つくられております 今日はとても穏やかで過ごしやすいけれど、冬は、夏は、たいへんでしょうね。「日本一寒くて暑い喫茶店です(笑)」とおっしゃった
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元々醤油や時代の正門玄関だったところから外へ出て、建物の全体を見てみる。古い土壁で囲われていている。木は昔のままだという↓
ここで生まれ育った彼女は、ちょっとしたお嬢様だったのかもしれない。でも、商売をやっている家であまり相手をしてもらえない夕方には、近所の家に行ってあたりまえのように夕飯を食べていたのだそうだ。そういう時代、だったのですね↓
次は・・・常石造船のそばをとおり、べラビスタという眺めの良い立地のホテルへ向かいます・・・