旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

尾道、福山の島 喫茶テレレ「展示室」の衝撃

2017-05-21 12:30:44 | 国内

「私が生まれた家、今、画家さんにお貸ししてるんよ。喫茶店もされてるんで、行ってみん?」

彼女が生まれたのは、瀬戸内の連絡橋ルートからは外れた小さな島だった↓地図で見てはじめて場所を認識↓下の地図で「テレレ」という喫茶店になっている場所がそこです↓



★先週熊本へ行く飛行機の窓から見おろしていた島だ。島の形が撮っていた写真とぴったり一致してびっくり。※こちらからその時の写真ごらんください



四国への連絡橋とはルートがちがう。だからこそ訪れる価値がある。小さな村の路地を入っていくと手書きの標識があった↓



彼女の家は醤油屋さんだったのだ↓今でもその時の大きな文字がのこされている↓



おだやかに向かえてくださった店主さんに、「先に展示室ごらんになりますか」と言われて入った↓



すると、空気が一変した↓



飾られていたのは原爆をテーマにした絵画群だった。まったく予想していなかったので固まってしまった。



廃屋の壁と雰囲気を共鳴させ、荒れた土間に置かれたオブジェとともに迫ってくる↑


びっくりしている小松に、「広島のもんは慣れてるけど、外から来た人はびっくりするじゃろうね」と、おっしゃる。


となりの部屋には、彼女が子供のころ弾いていたというピアノが↓真ん中に置いてある↓



その、一種バランスを欠いた取り合わせが、よけいに衝撃だった。


母屋で、店主の画家さんとお会いした。おだやかに「忘れてはいけんものですから」とおっしゃった。彼自身も直接見てはいない世界であっても、伝えていくべきものを表現しようとする姿勢があった。


****


母屋は昔の大きな商家の雰囲気を感じさせる場所↓



中庭には、昔からのモノと、今のモノが混在↓



喫茶のメニューはちょっと変わっている。奥様がアルゼンチンの日系の方なので↓



「テレレ」とは、マテ茶の冷たい版、といえるかも。専用の入れ物で回し飲みするのが南米流↓



 味は・・・漢方薬というのが近いです。甘めのジュースでわってちょうどかも。


手作りのかりんとうも各種つくられております 今日はとても穏やかで過ごしやすいけれど、冬は、夏は、たいへんでしょうね。「日本一寒くて暑い喫茶店です(笑)」とおっしゃった


***


元々醤油や時代の正門玄関だったところから外へ出て、建物の全体を見てみる。古い土壁で囲われていている。木は昔のままだという↓


ここで生まれ育った彼女は、ちょっとしたお嬢様だったのかもしれない。でも、商売をやっている家であまり相手をしてもらえない夕方には、近所の家に行ってあたりまえのように夕飯を食べていたのだそうだ。そういう時代、だったのですね↓



次は・・・常石造船のそばをとおり、べラビスタという眺めの良い立地のホテルへ向かいます・・・

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広島、平和記念聖堂

2017-05-20 07:20:56 | 国内

7月のスイスに参加してくださる広島在住の方へのミニ説明会へやってきた。

こういう機会に、その土地ならではの事物にふれておきたい。調べてみると、現代美術館で、「平和記念聖堂」というカトリック教会を設計した藤野東吾という建築家の展覧会をやっている。

空港から広島駅へ。広島駅から市電に乗って「弾原中央」で降りる。

ここから丘の上の美術館までスカイウォークがあるが、それでも徒歩十五分というところ。あがっていくと横長のゆったりした建物が見えてきた。入口↓

すぐとなりは「マンガ図書館」になっている。


日本の展覧会はたいてい写真を許可していないが、今回入口にあった「平和記念聖堂」の模型だけはOKだった↓

この教会が完成したのは1954年。だが、発案は原爆投下の当日。被爆したドイツ人神父、フーゴ・ラ・サールという方だった。

ローマ法皇の許諾を得て、聖堂建設のコンペが行われたのが1948年。しかし、そこで一等は該当なし(二等に丹下健三の名前あり)で、審査員だった村野東吾が担当することになった。※展覧会図録より

村野東吾が1980年代に語った言葉が紹介されていた↓

「ある日わたしは神父を列車の中で見かけたことがある。あの長身をまるで二つに折るようにして三等車の人ごみに腰かけながら、疲れのためにうたたねしておられた。その手から聖書が落ちそうになっているのを見た瞬間私は感銘にうたれて『もう何もいらないから神父の発案に協力してあげたい』、そう思ったことがあった。

設計費は計上しなかったのだそうだ。

ひとりの人の強い想いが出現させた教会。
午後に訪れた教会でみつけた↓ラ・サール神父の記念レリーフ


★藤野東吾という建築家を、小松は今日まで知らなかった。しかし、彼が設計した建物には何度も入っていた。たとえば有楽町駅前の現在のビックカメラ・かつての「よみうり会館」、百貨店のそごうが入っていたビル。日生劇場とその日生ビル。などなど。 人は知らなくても作品は知っているというほうが、建築家としての仕事冥利に尽きるとおもうのだ。

展示室を出たところに、藤野東吾がプリンスホテルの為にデザインしたという「スワン・チェア」が置かれていた。あ、これも見た事があった↓

***美術館を出て、広島の方にお会いする。お勧めのお店でお好み焼き↓ううむ、さすが地元民のチョイス。小松は大阪出身だが、広島お好み焼き大好きです↓

聖堂へ連れて行ったいただだく。入口から見上げる↓

内部↓

正面祭壇におちる三つの光を入れている窓が丸型ドームにあけられている↓

藤野東吾はこの窓の形を、日本の伝統的な梅の表現からとってきているのだそうだ。なるほど、他にもどうようなアイデアがみられる。

幾何学的なコンクリートの造形が基本↓

壁のレンガをよく見ると、ひとつひとつの大きさが違えてあり、ところどころで飛び出すように置かれている↓

床の模様↓

天井から下げられたランプ⇒とても遠いので細部の美しさがなかなか分からない。気泡の入ったきれいなガラスシェードなのだが。

展覧会では実物のランプを間近に展示してあった。見られてよかった(^^)

地下聖堂↓

マンホールのふたのひとつも、展覧会に展示されていた↓

窓の形、バロックなような日本的なような↓

****

ホテルにチェックインして、ご自宅にてスイスの説明。マンションからの見晴らし↓

夕食、広島の珍味をいろいろと。葉わさび↓

カウンターだけのワインバー。落ち着ける雰囲気↓

セレクトしてくださったイタリアワインは、ちょっとスラヴ語のようなラベル↓

しらべてみると、やっぱり!北イタリア領であっても、すぐとなりがスロヴェニアというワイナリーのものでした(^^)

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熊本を少し歩く

2017-05-15 11:35:43 | 国内
昨年の地震の跡は、歩いてみてはじめて理解できた。まだまだ取り残された建物がそこここに見られる
自分なりの熊本観光コースを見つけるためには、どうしても自分の足で歩いてみる必要がある。

いちばん古い面影が残されているという、この一帯を歩いてみた↓

「あんたがたどこさ」の手毬唄で出てくる「せんば」は「船場」のことで、かつて船がたくさん着いていたこの岸あたり↓


狸、欄干にも彫刻されていたけれど、ちかくにもっと大きなのがいました⇒

「せんば」とはもうひとつ「洗馬」とも宛てられていたいたようだ↓路面電車の駅

川の流れに沿って、歴史が残されているように見える↓


地図を見ていて「明六橋」というのが気になった。行って解説版を読んでみると、それが明治六年に作られたからだと分かった。現在は横に新しい橋ができて、ちょうど修復をまっている↓



交差点の向こうに由緒ありげな木造の建物↓明治にさかのぼる書店なのだそうだ↓
開店時間前だが、ちょっと覗いた店内は雰囲気あるティーハウスにもなっている様子↓


地震で壊れてしまった土塀が続いている↓中の庭園も壊れたまま放置されているようだ↓
長く続くこの塀はどんな場所なのだろう?↓
それはなんと、江戸末期にさかのぼる薬屋さん。昔ながらの入口が一か所開いていて、今日もこうして販売しておられた↓※こちらにその丸薬の歴史がかかれています



熊本城のある藤崎台の下へ至る。西南戦争の時にはここが激戦地のひとつだった。こんな大砲の弾を模した記念碑がああった↓
ここから坂をのぼっていくと、藤崎台球場にいたる。ここにあるクスノキの大木群を見てみたくてこのコースにした。観光サイトの評価では星ひとつだけだったけれど、実際に訪れてみるとすばらしい迫力↓
球場を一周すると、意外なことがわかってきた ※こちらにその歴史を書きました

***そのまま熊本城まであるいてゆく。一年経っても、修復はまだまだ…↓



****城のある台地を降りて、現代美術館を訪れた。
個人コレクションの展覧会をやっていたが、むしろ、入口をはいってすぐの無料で過ごせるこのスペースがすばらしい↓
一角に、あったクサマヤヨイさんの作品、おもしろくて美しいですね⇒

*****
羽田行の飛行機が離陸すると、熊本市内を流れる川と対岸の雲仙普賢岳が見えてきた↓

きのう訪れた天草五橋の方向も↓
ご要望いただいている2018国内《手造の旅》、ありきたりでない内容になるように、しっかり準備をすすめていきます。







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熊本から天草五橋を少し渡る

2017-05-14 20:33:51 | 国内

5/24からのデンマークへの旅に熊本からご参加の方があり、説明に参上。直前に、アメリカ在住だった方が熊本に戻られているのを知って、天の配剤を感謝して訪問。さらに、2018年に予定している熊本から鹿児島への《手造の旅》の準備もすべく、天草へ向かった。


今回の一泊二日に同行してくださる熊本出身のTさん、ご出身が偶然にも天草。まったく予期していなかった出会いもいただけた。


国内添乗をみっちりやっていた1986年からの一年半に、このあたりを何度も訪れている。この海岸線から雲仙へのフェリーに乗り遅れたハプニングも鮮明に思い出した。しかし、当時はその地域の歴史や文化にたいして興味を持っていなかった。バスガイドさんはきっと面白い話をたくさんしてくださっていただろうに、ほとんど覚えていない。覚える気がなかった。三十年してから実にもったいない事をしていたと思う。


今日は、そんな後悔のないように、なんでもしっかり観察していこう。


この山、右側のところが段々になっているのはなぜ?↓



「天草陶土」とよばれる磁器の生成に必要なカオリンなどの石は、今でも採掘されている。※全国の八割と書かれたサイトもあった 陶土は下天草が中心だそうだが、この上天草でも上質の砥石をはじめ、石の採掘はまだまだ行われているようだった。写真に見える緑に覆われた段々は、18世紀ごろから続けられている採掘の跡だと思って間違いないだろう。


↓天草五橋が開通したのは1966年。半世紀を経て老朽化。そばに新しい橋の建設が進められている↓



この橋を使う高速路線が開通すると、今の道路沿いの村々は静かになるだろう。商売への影響を懸念する人もあるだろう。


「天草四郎記念館」の印象的な建物↓※上天草市の案内サイトから



 「天空の船」というホテルがあるときき、電話して訪問。もともと展望台だった場所につくられただけある↓



レストランは、あの「七つ星」のお客様が昼食に来られるのだそうな↓



部屋数が少ないのでパッケージツアーで使うのは難しいけれど、《手造の旅》ならば是非泊まってみたい。早めの予約が必須でしょうね。来年の事とはいえ、今年秋には予約していかなくては




Tさんは、ひなびた漁村の路地に車を乗り入れる。なんと、生まれ故郷なのだそうだ。今でもお兄さん夫婦が暮らしておられるとのことで、突然訪問(^.^)びっくりしながらも歓待してくださいました



さらに、別のお兄さんがやっておられるお店へも…



地元の方々をこうしてご紹介くださることで、来年の《手造の旅》は、一般ツアーとは一味ちがうものになります。


熊本市内へ戻る途中↓対岸には雲仙岳↓浅瀬では海苔の養殖や潮干狩り?の様子…?いや、もしかすると「まじゃく」を捕っていたのかもしれませぬ↓それって?



夕食にご案内いただいたこのお店で出された「まじゃく」↓



シャコではなく、ヤドカリみたいなやつなんだそうです。筆をつかって捕る話、ネット検索でやっと理解した※こちらが分かりやすかったです


「赤酒」というのもはじめて知った↓



かなり甘い。正月にはお屠蘇に使うのだそうな。当地では伝統的なのはこの酒で、透明な酒を「白酒」と呼ぶ。なるほど※こちらに酒造会社の解説がありました


 


 


 


 


 

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ドゥブロブニク

2017-05-05 08:08:47 | クロアチア
ペリシャツ半島を出てドゥブロブニクへ向かう
高速道路から下へおりて

有名な旧市街の外にも町は広がっていて、クルーズ船が停泊する港もそこにある。大きな船では旧市街の港には当然停泊できない。シャトルバスで市内で送迎する↓

我々のツアーが二泊するホテルは、旧市街から徒歩だと25分といったところか、「歩いていける」というにはちょっと遠いか…設備はすばらしいです↓
一度ホテルへチェックインしてから、再びバスに乗って旧市街の予約してあるレストランへ夕食にでる↓旧市街の城壁が見えてきた↓

夕暮れ、良い感じのテラス席(でも屋根がかかっていて一見そうは見えない)で、夕食↓

良い時間です


***朝


バスでホテルを出発すると、まずは旧市街が一望できる展望台へ↓


近くの、一時は検疫所としてつかわれた島もきれいにみえる↓


城壁を入ると、今年もこの人がおりました↓何を売っているのかな?

単純に「ドゥブロブニク2017」と書かれただけの♥ハートだ。なんでもアイデアですね↓

***
いつ来ても新しい発見がみつかる街。下の写真の階段には手すりの下半分にだけ覆いがしてある↓この理由は?↓

答:階段を登る女性の足が、ちょっとでも見えてしまわない様にした。19世紀ごろまでは、足首だけ見えても恥ずかしいことだったのだ。

夕食はどうしよう。ホテルにもどってこんなテラスでゆっくり注文するもよし↓

ディンガッチというおいしい地元の赤ワインも楽しめるし↓

夕暮れが迫っている↓


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