ローマ皇帝ディオクレティアヌスの引退後の住居がスプリト旧市街になっている。西暦304年に引退して住んだ四角い宮殿の復元図面がこれ↓
海側に面した手前三分の一ほどが、皇帝の住居だった部分。高い位置に回廊があるのがわかる。現在の海辺のプロムナードにもそのままの壁が見られるのがすごい↓
そして地下には巨大な柱に支えられた広大な貯蔵スペースがあった。これは、今でも基本構造はそのままに見られる↓おそるべしローマの建築↓
自らをユピテル神(英語でジュピター)の息子と称し(神の化身という話もある)、その為に建設した神殿が、いまでもほとんどそのままに残っている。特にこの天井部分は、ほぼ、そのまま↓
後ろからの姿も、シンプルで古代そのままを感じさせる↓
後には、当然キリスト教化され、洗礼者ヨハネに捧げる聖堂だ。洗礼盤にはクロアチアの王が戴冠している図とされるロマネスクな彫刻がある↓
ディオクレティアヌス自身の墓も、彼が迫害したキリスト教聖人の墓のある教会だ。↓1990年代前半の独立戦争で爆撃され、旧市街の真ん中にぽっかり出来た空き地から、教会の塔がよく見える↓
**皇帝の住居入口前にはこんな面白い空間が↓
ヴェスタブロと言われる応接スペース。かつては屋根があり、そこに神々の姿が描かれていたのだそうだが、天井が落ちて、よりおもしろい空間になったように見える。ここではダルマチア地方伝統の男声合唱団がよく歌声を披露して、自らのCDを販売している↑
***海側からまっすぐに旧市街を突き抜けたところに、グレゴール・ニンスキーの巨大なブロンズ像がたっている↓この像、よく見ると三分の一ずつに分割された跡がみえる。愛国的なこの像は、位置をかえられたり、分割して地中に隠されたりと、数奇な運命をたどってきた↓
と、ここまで書いて、昨年もまったく同じような内容を書いていたなぁと(笑)いまごろ思い出しました。⇒こちらから昨年のブログ、ごらんください。
***旧市街の路地↓
***夕食は、少し離れた見晴らしの良いレストラン。ここも去年と同じ、同じように良いお天気↓