旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

オーフスの「デン・ガムレ・ビュー」~ デンマークの「明治村」

2017-05-26 14:56:09 | デンマーク

●デン・ガムレ・ビューは、いわばデンマークの「明治村」だ。実際には明治よりも古い二百五十年以上前の建物も多数移築されている。今日は休日で、地元の家族連れも多い。オーフスの昔からの観光地である↓

当時の服装で当時の仕事の様子を再現しているスタッフも、今日はたくさん見られる。時折、馬車がやってくる↓

絵画の中にでてきそうな彼女は使用人↓昔ながらの黒パンに何か塗っております↓

塗っていたのはラルド。つまり豚の脂。バターよりもこういうものの方が一般的だったのか。けっこうおいしいです↓

「オーデンセでアンデルセンの住んでいた家の前にあった家です」なんてのもあった。「アンデルセンが子供のころ、この家に住むおばあちゃんのところへあそびにいっていた」という説明もあったが、どこまでホントかはわからない。アンデルセンは自分の出自についてはほとんど語りたがらない人だったから。18世紀末からの建物であります。

↓ここは薬屋。正面壁真ん中の壁にかけられた毒薬の箱には骸骨が乗っている↓

看板も当時のスタイル。おや?これって何を売っているの?↓

ぐるぐる巻かれているように見えるのは、この入れ物か↓ウィンドウに飾られている

でも、これを見てもまだ何を売っているのかわからない。下の写真のモノをみてやっと分かった↓

「葉巻屋さん」ですね↑

店先に棺桶がおかれていてぎょっとする↓

ここは家具屋さん↑当時は指物師が葬儀屋も兼ねていたのだそうだ↑

デンマークは平たい国土で、北西部は特に風が強い。古いタイプの「箱型風車」が一基移築されている↓

それほど広くない園内(三十分もあればさっと一周できる)だが、川もながれている↓

 パン屋さんでは、現代の甘いパンがたくさん↓
 
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一年ほど前に出来た19世紀ごろを再現したエリアでは、オーフスの歴史を展示した博物館セクションがある。ここ、オーフスの歴史が俯瞰で来てたいへんよくできている。
エレベーターで地下に降り、ドアが開くとバイキング時代の町が再現してある↓ここからスタート↓
大聖堂が、教会がどれだけ町で目立つ建物だったのか↓
 
★ドイツ占領時代のデンマークについてもひとつのコーナーになっている。デンマークは常に南のドイツ勢力と対立してきた。ドイツから地続きのユトランド半島では、ナチス・ドイツに占領された時代には15歳以上の市民すべてに特別のIDカードが発給された。仕事も調査され、ドイツに敵対的でないことをチェックされていたのである↓
 
戦時の灯火管制も行われ、「わざと暗い電球」まであった↓
モノも不足し、配給切符が配られた↓
ただ古いきれいな街並みを見せるだけでなく、こういう歴史的な展示もしっかりされている場所なのである↑
***
お昼ご飯、園内でかんたんに。オープンサンドにて↓
 
***庭園セクションには、養蜂所もあります↓
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オーフス~アイスベルグを見てからAROS現代美術館へ

2017-05-26 13:58:07 | デンマーク

デンマーク第二の街オーフスを観光する日本のグループは少ない。だから、「定番」はないので、小松なりの切り口で見学ルートを考えた。結果、いちばん見てもらいたかったのが、この「アイスベルグ」↓

旧市街から少し離れた、かつての港湾地区にある。地区の入口

近年再開発でたくさんのマンションが建設されている、そのひとつ。見えてきました↓

※こちらで訪問時の写真をブログでご覧いただけます

 ★アロス現代美術館 2004年に開館したこちらもぜひ見ていただきたかった。おもしろい虹色のリングが乗っている↓

入口をのぼって

中になにかおもしろいオブジェが見える↓

こ・これは?↓

すごい迫力・・・この作品はつい昨年からここに登場したものだった※こちらに制作の模様などがのっております。

 

衝撃的なのは、この巨大なBOY↓

★こちらからyoutube動画ごらんいただけます

 

いちばんうえまでのぼって、さっき見えていた虹色のリングへむかう↓

ううむ、目がおかしくなってくる・・・小松は普通の色で見る方がよいので、すぐに出た↓

もしかしたら、このレインボーは、普通の風景が充分素晴らしいことを逆説的に理解させるための展示なのかしらん?

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マルガレーテ女王がサポートしているので胸像がある

いわゆるフツーの美術館の様な展示もあるのだが↓

前出のようなモノを見せられてしまうと、印象はそちらへ傾いてしまうのであります。

フツーの展示のなかで、小松の目を惹いたのは下記の額縁群↓

それぞれの中に入れられているのは、ホームレスが人々に物乞いするのに持っていたメッセージボードの切れ端。

「私は自分を変えたい。変えるための準備ができています。どうか、はじめるために助けてください」という文字があった。

アートを「表現」だと定義するのならば、このメッセージボードは、ぎりぎりの状態に追い込まれた人間の心からの表現だ。

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こちらはロイヤルコペンハーゲンの伝統的シリーズ「フローラ・ダニカ」の元になった同名の植物図鑑↓

ほんとに幅広く、なんでも展示している美術館であります。

カフェでひとやすみ

午後はオーデンセに向かいます・・・

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ロスキレ大聖堂、海を渡ってオーフスへ

2017-05-25 17:35:28 | デンマーク

ロスキレ大聖堂はデンマーク王家の墓所となっている。世界遺産でもある教会。コペンハーゲンから菜の花満開の黄色い野原をはドライブしてやってきた

現在みられる姿は、15世紀末から基本的な形が整えられている。最初の教会は9世紀の木製ものだったが、11世紀に石造りになり、それもまた拡張改築されていった。

基本的な材料は煉瓦

何百年にもわたる、ヨーロッパで一番歴史のあるとされるデンマーク王家。現在のマルガレーテ二世女王もここへ埋葬されることになっており、そのモダンなガラスの棺の模型が飾られていた↓

「これは種であり、果実であり、卵であり、細胞である。死は終わりではなく、永遠の命のはじまりなのだ」というのが製作者のコンセプト。下の方に、デンマーク王家の象徴のひとつであるゾウがあしらわれているのがおもしろい。

このちいさなガラス棺模型が置かれている部屋は、中世のフレスコ画で飾られた「(スウェーデンの)聖ビルギッタ礼拝堂」↓

 

「スウェーデンの聖ビルギッタ」はマルガレーテ一世女王が信奉していた人物。マルガレーテは1353年生まれ(1412年没)で、聖ビルギッタは1373年に亡くなっているから、二人は直接会っていた可能性もある。ただ、ビルギッタはローマに長く滞在してそこで没している。 マルガレーテは遠きローマから届くビルギッタの名声は知っていただろう。

この礼拝堂はクリスチャン一世に仕えたモルテンセン司教が建設したもの。彼自身の墓もある。モルテンセン司教は1485年没。なので、マルガレーテ女王を直接は知らない。

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ちょうど二時になって、天井近くにあるなんと15世紀からだという仕掛け時計が動いた↓左の聖ジョージがドラゴンを退治する↓

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★デンマーク史でいちばん有名なクリスチャン四世の礼拝堂がある↓

飾られた絵が表すのは、ドイツとの戦争で奇跡の戦線復帰をして称賛されるクリスチャン四世。左目を失う大怪我で、周囲が死んだと思ったのだそうだ↓

  ***

豪華な石棺が多いなか、クリスチャン10世のシンプルな石棺↓彼は第二次大戦でドイツに占領されていたデンマークにあって、亡命せずに、ドイツに服従せずに、静かな抵抗と国民を勇気づける証として、毎日馬で市内をみまわっていた逸話がある↓いまでも乗馬姿の銅像がよくみられる

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中央のいちばん重要な場所に安置されたマルガレーテ一世の棺↓

ずいぶん修復されて現在のかたちになったのが分かる 。印象的なのはすぐとなりに置かれたばらばらになった騎士の像↓

これはマルガレーテ女王の兄弟だったと解説にある。長く、ばらばらになったものが1879年までこの木製の棺に入っていた↓

※もう少し調べたいとおもいます

この礼拝堂はちょっとロマネスクな彫刻で飾られているが、これはオリジナルかしらん?↓

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いちばん奥の部分は、かつてあったロマネスク様式の教会からの四本の石柱が残されている↓四本の柱の根元には、当時の教会建設に功績のあった人物たちゆかりの品が埋葬?されているというのだが、一本だけは不明。教会のガイドさんは、「それはきっと『ハロルド青歯王』にちがいない」と言うのだ↓

大理石や花崗岩の一本石は、ここではとても貴重なものだったというのがよくわかる↑

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教会の二階部分へ上がる↓

二階から隣の建物への渡り廊下があった↓これは「アブサロン大司教のアーチ」と呼ばれる13世紀からの建造物上部↓

つまり、現在の教会よりも古くからあるのだ↑

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★クリスチャン一世の礼拝堂 には、「王様の背比べ」柱がある↓中央の柱にきざまれているのだ

いちばん上が、クリスチャン一世でその身長はなんと2メートル19センチ!ほんとですか?↓1481年没の人物ですよ

タイ国王ラーマ五世となるチュラロンコンの名前もあった。「王様と私」のモデルの人物ですね。

まだまだ見どころは尽きないけれど、次回もっと調べてから再訪したいと思うロスキレ大聖堂であります。

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お昼にはパンをちょっとかじってオーフスへの船の出る西の岬へ向かった。ここはまるで四国の佐多岬の様な立地↓

一時間ほどの船旅。 

オーフスへ到着 

港から五分ほどで中心部のホテルに到着。荷物を置いてすぐに歩きはじめる↓大聖堂も夕陽に輝く↓

ロスキレ大聖堂に葬られていたクリスチャン10世が騎馬姿で歩く像↓

オーフスの見学は明日の午前中にしましょ

 

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クロンボー城からグルンドゥビー教会へ

2017-05-25 12:25:23 | デンマーク

スカンジナビア航空欠航!※この話はこちらにかきました。

予定よりも七時間以上遅れて、昨夜は暗くなってから到着したマリエンリュストホテル。今朝になってこの場所に泊まれてよかったと思える風景に気付く↓

海峡のむこうにはスェーデン領が見える。クロンボー城も見える

19世紀から貴族たちがやってきた場所だったのかが、壁にかけてある版画からみえてくる↓

朝早いグループが去って行ったあと、朝食ゆっくりいただきましょう(^^)

  

ホテルの前には、ハムレットの像

出発して五分でクロンボー城へ到着。踏切で止まると二両編成の電車がとおっていった↓

クロンボー城

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コペンハーゲン中心から少し離れた場所にある、小松の大好きなグルンドゥビー教会へ↓

周囲をひとまわりすると、1921年当時の計画都市エリアであったのがよくわかる

12時から中へ入れるので少しお茶してまちましょう。

・・・と、12時になっても入場させてくれません・・・

今日は中でなにかイベントをやっているようす。ガイドさんが「そんなのホームページには書いてなかったじゃない」と言っても「あと二十分したら終わるから」とのこと。教会を一周してさらに待つ・・・おや?この数字はなにをあらわしているの?↓

ニコライ・フレデリック・グルンドゥビー の生誕日1783年9月8日をあらわしている。

彼はデンマーク国民学校(フォルケフォイスコーレ)の理念をつくりだした人物とされている。国民学校は子供たちを対象にするというよりも、農閑期の農民を中心とした国民全体を対象に考えられ、机上の学問だけでなく多様なひろがりを見せることになった。今回の旅で訪れるオレロップはその中でも体操・肉体教育に特化した、デンマークでも指折りの国民学校であります。

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内部で行われていた儀式がおわる。プロテスタントで、自我が確立してからうける「堅信礼」と呼ばれるものだった。中高生ぐらいの子供たちとその家族がどどっと教会から出てきた↓

この教会、これで四回目ぐらいの訪問になるが、こんなに人がいっぱいになるのをはじめてみた。人々の信仰が希薄になっているとは言われるが、我々からみるとまだまだ教会は彼らのコミュニティのひとつの中心でありつづけている。

式の終わった内部へ入る。北方ゴシック的な・しかし建設された時代の流行としてのアール・デコ的な雰囲気も感じられる↓

背の高い牧師さんが、まるでグルンドゥビ本人のように見えた↓「この服装はずっと伝統的なものなのですよ」

グルントゥビー本人の、よく知られている肖像↓

牧師で、思想家で、多くの著作を残し、今でもデンマーク国民に敬愛されている人物であります。

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常石 ホテルべラビスタ

2017-05-21 15:37:11 | 国内

常石造船の本拠地横を通ると、今でも活発に船が造られつづけていると感じた。苦境が伝えられる日本の造船業界だけれど、まだまだ終わった産業なんかではない↓今が辛抱し時なのかもしれない

この風景の場所から細い道をくねくね上がっていく。べラビスタというホテルの看板がある↓

入ってすぐのロビー待合エリア↓

ジーンズ生地でできた花、そういえば尾道にユーズド・ジーンズで有名な店があったっけ

光に導かれて、奥へ歩いてゆくと・・・

スリランカの「ライトハウス」を思い出させる、視界の広がりが待っていた↓※スリランカのライトハウスホテルについて、小松のブログで見ていただけます

瀬戸内海へ続く、いわゆる「インフィニティ・プール」は、ライトハウスを設計したジェフリー・バワが最初の発案者だったと言われている。

客室はどんななのか、また確かめてみなくちゃ

レストランは、今日確かめる機会をいただいた。 テーブルの間隔を充分にとってある、ゆったりした空間。テーブル席の和空間。

豚肉に冬瓜  いちばん左の皿はエイの刺身 タケノコご飯三杯いただきました

***

今回は11月2日から予定している北欧の《手造の旅》「オーロラと鉄鉱山」の説明会に伺ったのだが、こんな場所を教えていただき、喫茶テレレでも衝撃をいただき、これから国内の《手造の旅》にむけていろいろな材料をいただきました。

再び坂をおりてゆくと、常石造船のマリーナが見えた。「昔、ここで日野照正がライブにきたんよ。ボートにのって登場してねぇ」。へぇ、そんなことやっていた時代があったのですね↓

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