ロスキレ大聖堂はデンマーク王家の墓所となっている。世界遺産でもある教会。コペンハーゲンから菜の花満開の黄色い野原をはドライブしてやってきた
現在みられる姿は、15世紀末から基本的な形が整えられている。最初の教会は9世紀の木製ものだったが、11世紀に石造りになり、それもまた拡張改築されていった。
基本的な材料は煉瓦
何百年にもわたる、ヨーロッパで一番歴史のあるとされるデンマーク王家。現在のマルガレーテ二世女王もここへ埋葬されることになっており、そのモダンなガラスの棺の模型が飾られていた↓
「これは種であり、果実であり、卵であり、細胞である。死は終わりではなく、永遠の命のはじまりなのだ」というのが製作者のコンセプト。下の方に、デンマーク王家の象徴のひとつであるゾウがあしらわれているのがおもしろい。
このちいさなガラス棺模型が置かれている部屋は、中世のフレスコ画で飾られた「(スウェーデンの)聖ビルギッタ礼拝堂」↓
「スウェーデンの聖ビルギッタ」はマルガレーテ一世女王が信奉していた人物。マルガレーテは1353年生まれ(1412年没)で、聖ビルギッタは1373年に亡くなっているから、二人は直接会っていた可能性もある。ただ、ビルギッタはローマに長く滞在してそこで没している。 マルガレーテは遠きローマから届くビルギッタの名声は知っていただろう。
この礼拝堂はクリスチャン一世に仕えたモルテンセン司教が建設したもの。彼自身の墓もある。モルテンセン司教は1485年没。なので、マルガレーテ女王を直接は知らない。
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ちょうど二時になって、天井近くにあるなんと15世紀からだという仕掛け時計が動いた↓左の聖ジョージがドラゴンを退治する↓
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★デンマーク史でいちばん有名なクリスチャン四世の礼拝堂がある↓
飾られた絵が表すのは、ドイツとの戦争で奇跡の戦線復帰をして称賛されるクリスチャン四世。左目を失う大怪我で、周囲が死んだと思ったのだそうだ↓
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豪華な石棺が多いなか、クリスチャン10世のシンプルな石棺↓彼は第二次大戦でドイツに占領されていたデンマークにあって、亡命せずに、ドイツに服従せずに、静かな抵抗と国民を勇気づける証として、毎日馬で市内をみまわっていた逸話がある↓いまでも乗馬姿の銅像がよくみられる
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中央のいちばん重要な場所に安置されたマルガレーテ一世の棺↓
ずいぶん修復されて現在のかたちになったのが分かる 。印象的なのはすぐとなりに置かれたばらばらになった騎士の像↓
これはマルガレーテ女王の兄弟だったと解説にある。長く、ばらばらになったものが1879年までこの木製の棺に入っていた↓
※もう少し調べたいとおもいます
この礼拝堂はちょっとロマネスクな彫刻で飾られているが、これはオリジナルかしらん?↓
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いちばん奥の部分は、かつてあったロマネスク様式の教会からの四本の石柱が残されている↓四本の柱の根元には、当時の教会建設に功績のあった人物たちゆかりの品が埋葬?されているというのだが、一本だけは不明。教会のガイドさんは、「それはきっと『ハロルド青歯王』にちがいない」と言うのだ↓
大理石や花崗岩の一本石は、ここではとても貴重なものだったというのがよくわかる↑
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教会の二階部分へ上がる↓
二階から隣の建物への渡り廊下があった↓これは「アブサロン大司教のアーチ」と呼ばれる13世紀からの建造物上部↓
つまり、現在の教会よりも古くからあるのだ↑
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★クリスチャン一世の礼拝堂 には、「王様の背比べ」柱がある↓中央の柱にきざまれているのだ
いちばん上が、クリスチャン一世でその身長はなんと2メートル19センチ!ほんとですか?↓1481年没の人物ですよ
タイ国王ラーマ五世となるチュラロンコンの名前もあった。「王様と私」のモデルの人物ですね。
まだまだ見どころは尽きないけれど、次回もっと調べてから再訪したいと思うロスキレ大聖堂であります。
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お昼にはパンをちょっとかじってオーフスへの船の出る西の岬へ向かった。ここはまるで四国の佐多岬の様な立地↓
一時間ほどの船旅。
オーフスへ到着
港から五分ほどで中心部のホテルに到着。荷物を置いてすぐに歩きはじめる↓大聖堂も夕陽に輝く↓
ロスキレ大聖堂に葬られていたクリスチャン10世が騎馬姿で歩く像↓
オーフスの見学は明日の午前中にしましょ