7月のスイスに参加してくださる広島在住の方へのミニ説明会へやってきた。
こういう機会に、その土地ならではの事物にふれておきたい。調べてみると、現代美術館で、「平和記念聖堂」というカトリック教会を設計した藤野東吾という建築家の展覧会をやっている。
空港から広島駅へ。広島駅から市電に乗って「弾原中央」で降りる。
ここから丘の上の美術館までスカイウォークがあるが、それでも徒歩十五分というところ。あがっていくと横長のゆったりした建物が見えてきた。入口↓
すぐとなりは「マンガ図書館」になっている。
日本の展覧会はたいてい写真を許可していないが、今回入口にあった「平和記念聖堂」の模型だけはOKだった↓
この教会が完成したのは1954年。だが、発案は原爆投下の当日。被爆したドイツ人神父、フーゴ・ラ・サールという方だった。
ローマ法皇の許諾を得て、聖堂建設のコンペが行われたのが1948年。しかし、そこで一等は該当なし(二等に丹下健三の名前あり)で、審査員だった村野東吾が担当することになった。※展覧会図録より
村野東吾が1980年代に語った言葉が紹介されていた↓
「ある日わたしは神父を列車の中で見かけたことがある。あの長身をまるで二つに折るようにして三等車の人ごみに腰かけながら、疲れのためにうたたねしておられた。その手から聖書が落ちそうになっているのを見た瞬間私は感銘にうたれて『もう何もいらないから神父の発案に協力してあげたい』、そう思ったことがあった。
設計費は計上しなかったのだそうだ。
ひとりの人の強い想いが出現させた教会。
午後に訪れた教会でみつけた↓ラ・サール神父の記念レリーフ
★藤野東吾という建築家を、小松は今日まで知らなかった。しかし、彼が設計した建物には何度も入っていた。たとえば有楽町駅前の現在のビックカメラ・かつての「よみうり会館」、百貨店のそごうが入っていたビル。日生劇場とその日生ビル。などなど。 人は知らなくても作品は知っているというほうが、建築家としての仕事冥利に尽きるとおもうのだ。
展示室を出たところに、藤野東吾がプリンスホテルの為にデザインしたという「スワン・チェア」が置かれていた。あ、これも見た事があった↓
***美術館を出て、広島の方にお会いする。お勧めのお店でお好み焼き↓ううむ、さすが地元民のチョイス。小松は大阪出身だが、広島お好み焼き大好きです↓
聖堂へ連れて行ったいただだく。入口から見上げる↓
内部↓
正面祭壇におちる三つの光を入れている窓が丸型ドームにあけられている↓
藤野東吾はこの窓の形を、日本の伝統的な梅の表現からとってきているのだそうだ。なるほど、他にもどうようなアイデアがみられる。
幾何学的なコンクリートの造形が基本↓
壁のレンガをよく見ると、ひとつひとつの大きさが違えてあり、ところどころで飛び出すように置かれている↓
床の模様↓
天井から下げられたランプ⇒とても遠いので細部の美しさがなかなか分からない。気泡の入ったきれいなガラスシェードなのだが。
展覧会では実物のランプを間近に展示してあった。見られてよかった(^^)
地下聖堂↓
マンホールのふたのひとつも、展覧会に展示されていた↓
窓の形、バロックなような日本的なような↓
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ホテルにチェックインして、ご自宅にてスイスの説明。マンションからの見晴らし↓
夕食、広島の珍味をいろいろと。葉わさび↓
カウンターだけのワインバー。落ち着ける雰囲気↓
セレクトしてくださったイタリアワインは、ちょっとスラヴ語のようなラベル↓
しらべてみると、やっぱり!北イタリア領であっても、すぐとなりがスロヴェニアというワイナリーのものでした(^^)