旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》亀岡祭~羽衣山、鍬山、難波山、八幡山

2021-10-23 05:54:16 | 国内
夕暮れ、「鍬山」の提灯に灯が入った。

こういう景色をお見せしたかった(^^)

東京発七時の新幹線に乗り、朝十時に亀岡駅に着いてすぐに「羽衣山」に向かった。

町内の人が集まり、ちょうど人形が鉾の上に据えられたところだった。

↑衣装はまだ着ていない。
凛々しいこの人物は伯梁という漁師。
↓「古世」は昔のこのあたりの地名とか

三保の松原の天女伝説を題材にしている。
江戸中期の明和二年(1756)に記載がある伝統の曳山だったが昭和初期に老朽化して飾り山になった(現地の解説版より)。
現在の山は平成十四年に町の人々の熱意で再建されたもの。

四面をきらびやかに飾っている。

たくさんの懸粧品を備え付ける

こういう作業は毎年受け継いでいかなくてはならない。

人形が衣装をまとった↑むこうに天女の顔も見える。
青空にたちあがった立派な鉾。でも、今年は巡行がないので夕方には解体してしまうのだそうだ。
このタイミングでなければ出会えなかった鉾だった(^^)
**
亀岡の成り立ちに名前を由来する「鍬山」も組みはじめられていた↓

「昔々亀岡は盆地にある湖の底だった。大国主命=大黒様が鍬で山の端を破り保津川に水を流して亀岡の地が現れた」

大黒様は因幡の白兎を助けたので↑白兎がシンボル。
なるほど(^^)、では鳩は?理由は後に訪れた神社で判明した。

こちらも人形が「鍬山」に登るところだった↑

※冒頭の写真はこちら夕方に訪れた時のもの
***

難波山の人形は江戸時代から受け継がれてきたものだそうだ↓

一見普通の家の一室で着付けされている。

よく見ると立派な欄間

鉾は町内の人々の心意気で続いてきたのだと実感する。

↑しばらく後、完成したのを車内から撮影
****

夕方、「鍬山」をもう一度訪れた

過ごしやすい秋に行われる亀岡祭は祇園祭のミニ版。
昨年も今年も鉾の巡行は行われないので訪れる観光客はいない。

町内の方が竜の織物の由来を丁寧に説明してくださった。

四本爪の竜の織物は1811年に東インド会社が日本にもたらした、伊賀上野で同じ織がみつかっている。
*****
翌10/24、「八幡山」を訪れた。

※亀岡祭のHPにリンクします
「宝暦十三年(1763年、今から約230年前)九月新たに山を造営して八幡山号し奉る。」
という記録が、唯一残っている山鉾。

応挙の「群仙図」をモチーフにした前掛けは平成元年になってから新調された。
亀岡の金剛寺は応挙が子供時代を過ごした寺で、高名となってから両親の追慕に襖絵を寄贈している。
※通常非公開、こちらHPに襖絵の様子。この織物のモチーフもあります。
二百年以上使われてきた旧前懸の織物も虫干しに出されていて見ることができた↓

なんと、宝暦三年(1763)に「八幡山」が建造された当時のもの↑
瑞雲の間に小さく竜が描かれている。清朝時代の中国製だそうだ。

近寄って見ると裂け目が生じていて、なるほど引退させるしかなかったのだなと理解した。

↑同時に引退させたかった、同じく二百年以上を経た「鳳凰牡丹図」は修復を重ねて見送幕に復帰していた↑

実は「鳳凰牡丹図」は↑新調されていたのだが↑※写真右側の青い織

「新調したのんがキラキラしすぎとると思いまして」
今ははずしてある。
たしかに旧のものと比べると鮮やかだけれど、個人的にはじゅうぶん美しいと思った。

他にも祭の道具がたくさん伝えられている

年を経て代替わりしていくうちに、モノの由来や意味はだんだん分からなくなってゆく。

ただひとつはっきりしているのは、それぞれの時代に町の人々がお金を捻出して山鉾を飾り・護ってきたこと。
「長持の中から『八幡山ご造営のために倹約すべし』と書かれた文書がでてきたんです」


何代も前の父祖たちの言葉に出会った町の人々ははっとしたことだろう。
その文書が額に入れられ飾られていた。

伝統・文化の継承は
昔の通りにやっていればよいのではない。
モノは古くなるし、風俗習慣は移り変わる。
ただひとつ残るのは、
その時代時代に合わせて町の人々が誠意を尽くしてきたことだけである。
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サンモリッツへの道、ピッツ・ネイル展望台へ

2021-10-18 05:15:18 | スイス
2008,2010,2011年スイスの旅より
「ピッツネイル」は、スイス第四の国語であるロマンシュ語で「黒い峰」という意味。

標高3056mの頂上からサンモリッツのあるエンガディンの谷をみおろす。

2010年7月、チューリヒ空港に到着してすぐにサンモリッツを目指した。

途中↑リヒテンシュタイン城の近くを通る。
オーストリアとスイスの国境に位置する小豆島ほどの国土の独立国。

↑サンモリッツのあるエンガディンの谷に入るのに標高2284mのユリア峠を越える↑
↑写真で道路を挟んで古代の石柱が見える↑ローマ時代ここにあった神殿の跡。
ジュリアス(ユリウス)・シーザーが名前の由来とされる、古代よりイタリアからアルプス越えをする主要ルートだったのだ。

谷に降りてゆくと最初にシルヴァプラーナ湖にいきあたる↑同名の村にある老舗ホテル「ユリア・パレス」↑
そこからサンモリッツ湖までは二キロほど。

サンモリッツは夏冬通してスイス指折りのリゾート・タウン↑
↑街の中心部にある立派な市庁舎※翌朝の散歩
日本なら幕末の1864年に英国客を呼び込む賭けに成功したことでサンモリッツは大人気となった
※スイス観光局のホームページにその話が書かれています

↑ウィーンにありそうなクラシックなカフェ↑

クラシックなホテルの前で、クラシックカーが大集合しているのに出会った

ヨーロッパの高級宝飾店の店舗もたくさんある。

↑市庁舎のすぐちかくにケーブルカー乗り場がある
**

サンモリッツに人々がやってくる大きな理由がスキー↑
スイスで最初のスキースクールだときいた↑

このスキースクールがあるのがコルヴィリアへのケーブルカー乗り場↑

↑少し登ると湖と町が見えてくる↓

↓コルヴィリアは標高2486m

リゾートタウンのすぐ上に絶好のスキーゲレンデがあるので1928年と1948年の二度、冬季オリンピック会場に選ばれた。

ここからロープウェイでさらに上がると

ピッツネイルの展望台に至る

↑右上の岩場に大きな角の鹿!?

↑けっこうリアルにつくってあります(^^)

ロープウェイを降りてピッツネイルの頂上まであと八十メートルほど↑

↑サンモリッツ湖の奥にあるシルヴァプラーナ湖までよく見える↑


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府中市美術館へ行く道

2021-10-14 16:20:32 | 国内
若冲のゾウに会いたくて府中市美術館へ行った。
※「動物の絵」展のホームページにリンクします
良い天気になったので府中本町駅から歩くことにした。

駅前の大國魂神社は歴史ある場所だと予想はしていたが、樹齢千年級のケヤキ参道は予想を超えていた。

源義家(頼朝より百年ほど前の人物)が、東北の動乱(前九年の役)を鎮圧した折、参拝の御礼に千本のケヤキを寄進したのだという。
JR府中本町から京王線府中駅に向かう巨木の参道は歩く価値がある。

古い写真を見ると田んぼの中の一本道だった参道は、今は広い歩道の商店街になっている。
そこに↑大黒様を助けたねずみの忠助の像が(^.^)

ほほう、※こんなお話があったのですね



大國魂神社の手水の屋根彫刻↑
↑これもゾウなんでしょうか?

↑近くの燈籠に刻まれたコレ↑はヨーロッパ中世のロマネスクのようだ↑

↑鳳凰

↑玄武?

↑底の抜けたひしゃくを奉納してあるのは安産祈願。祭神はアメノウヅメノミコト。

境内の歴史博物館は今日は入らない。
入ったら美術館までたどりつけなくなるだろうから。


★府中市美術館の「動物の絵」展についてはこちらに書きました

美術館の一室で制作を間近に見られる企画をやっていた↓

調べてみると、淺井裕介という1981年生まれの「泥で画く」画家だった。

↑実際に製作しているところを見られると、出来上がりの「完成品」を見るよりよっぽどおもしろいにちがいない。
※淺井裕介氏のテレ朝POSTインタビューページにリンクします
***

平日だがカフェは近隣住民とおぼしき人たちでにぎわっていた。

展覧会の時限定という「手捏ねハンバーグ」おいしうございました(^.^)

郊外の住宅地にとけこんだ、
こういう施設の近くに住みたいと思わせてくれる美術館だった。

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2022旅カレンダー製作中

2021-10-11 13:01:20 | 旅行
昨年に続き、小松の撮影した旅写真と山田和明さんのイラストのコラボにて、旅カレンダーを制作しております(^.^) ↓表紙はアイスランド北部デディフォスの滝(ヨーロッパ最大)の上を飛ぶ、サンテグジュペリの乗っていた複葉機↓

一部二千円(税・送料込)10月いっぱい申込み受付ております。
直メールにてご連絡ください。
komatsusin2@gmail.com
*
十二か月の写真がようやく決まりました(^.^)

1月フィンランド サーリセルカ
2月チュニジア エル・ジェム
3月ポルトガル ポルト
4月フランス オルシヴァル
5月イギリス シシングハースト城
6月アメリカ西部 ブライス・キャニオン
7月フランス モンブランエリアのアルプス
8月イースター島
9月アイスランド
10月エストニア タリン
11月メキシコ グアナファト
12月スペイン 聖家族教会

山田さんのイラストが入って画面が生き生きするもの、
イラストが入ると全体の構図をこわしてしまいそうなもの、
限られた場所にどんな風に配置すればよいか…
考えはじめるときりがありません。

2022版も製作可能な注文をいただけたことに感謝!
旅が止まってしまった今、
この仕事によって生きのびております<(_ _)>



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サンモリッツの斜塔、セガンティーニ美術館、エンガディン博物館

2021-10-09 16:25:19 | スイス
2008、2010年スイスの旅より
六月、午後九時ごろのサンモリッツ湖↑

標高1760mのサンモリッツ駅のすぐ裏手が小さなサンモリッツ湖。

長いところでも直径600mしかない。

↑右の駅から、左手の坂をのぼってゆくと街の中心↓1820mほどに位置している。

晴天率が高く、夏の気持ち良い気候は「シャンパン・ウェザー」と通称される。

ミラノの金持ちが避暑に滞在する町だった。


町から山道を少し登る「セガンティーニの小道」↓

途中に画家の作品の解説版

ベンチからは

湖も見える。

のぼったところにミラノからやってきてアルプスを描いていた画家セガンティーニの美術館がある

印象的なドームは

1900年のパリ万博に出品するためのパビリオンとして設計されたのだそうだが、本人が1899年に亡くなって実現しなかった。

入口の彫刻は新しそうだが

セガンティーニのデッサンからとられている

アルプスの農民の暮らしを描いていたのに、生前にすでに人気があったのだ。
立派な建物は1908年に美術館として開館したのだから。

ドームの真下にはアルプス三部作「生」「自然」「死」が展示されている。
※こちらスイス政府観光局のサイトに詳しく載せられています

↑このエンガディン地方の郷土博物館↓

当時の建物がそのまま博物館

**

高台にある「サンモリッツの斜塔」へも行ってみた


おお、たしかにかなり傾いている(@_@)
ピサと同じように、

こんな写真を撮って楽しんだ。
★高さ32.75mの塔は聖マウリツィウス教会の鐘楼として建設された。
現地の日本語説明版によると、現在のかたちになったのは1672年、1797年にはおそらく地震によってかなり傾いた。
19世紀末にはあぶないから取り壊そうということになったが、街の人が反対して保全作業が行われはじめる。
1983年に基礎をコンクリートで固めて落ち着いているそうな。

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