明治十年に建設された↑移築されていない日本最古の木造灯台↑
*
堺の観光パンフレット表紙にもなっているので、宿泊した堺駅前のホテルから歩いた。
幕末に港だった場所はホテルからすぐ。※冒頭の灯台とは1キロ近く離れている
↑建てられた碑は江戸最後の年:慶応四年(=明治元年)に起きた「堺事件」を記している。
※この悲劇については別に書きます
再開発でかけられた橋の上には南蛮人が↑
この周辺はしかし↑古い魚市場も残りなんだか雑然とした雰囲気。
↑※翌朝、駅前のホテルからの見晴らした、明治から昭和にかけて広げられていった港「大浜地区」↑
↑「堺事件」の起きた江戸末期の港は写真左下に少し見える水門から百メートルほど上流になる
港に↑時代にそぐわない巨大な女神像が見える↑
↑この像は1903年の「勧業博覧会」会場のシンボル像だった「龍女神」像。
台座を合わせて28メートルある。
※こちらに詳しく書かれています
2000年に完成したこのエリアに歩いていくと…
港で手を振っているのは誰?
↑「ルソン助左衛門」は堺の商人↑当時の松本幸四郎が大河ドラマ「黄金の日々」で演じていた↑似てる?
※NHKアーカイブスにリンクします
さらにあるいていくと、
高速道路の下に冒頭の木像灯台が見えてきた↑こんな立地になっていたのか・・・
高速道路を走る車のヘッドライドで色が変わる
↑戦前の「大浜地区」の写真に写った灯台↑
今の港は埋め立てがすすみ、灯台としての役目は1968年に終えている。
「大浜地区」の再開発は今度どうすすむのだろう。
龍女神の像が建てられた「勧業博覧会」のような賑わいはもどってくるのだろうか。
遊歩道は整備されているのだが、快適なホテルやカフェができるとよよいのですが。
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堺の観光パンフレット表紙にもなっているので、宿泊した堺駅前のホテルから歩いた。
幕末に港だった場所はホテルからすぐ。※冒頭の灯台とは1キロ近く離れている
↑建てられた碑は江戸最後の年:慶応四年(=明治元年)に起きた「堺事件」を記している。
※この悲劇については別に書きます
再開発でかけられた橋の上には南蛮人が↑
この周辺はしかし↑古い魚市場も残りなんだか雑然とした雰囲気。
↑※翌朝、駅前のホテルからの見晴らした、明治から昭和にかけて広げられていった港「大浜地区」↑
↑「堺事件」の起きた江戸末期の港は写真左下に少し見える水門から百メートルほど上流になる
港に↑時代にそぐわない巨大な女神像が見える↑
↑この像は1903年の「勧業博覧会」会場のシンボル像だった「龍女神」像。
台座を合わせて28メートルある。
※こちらに詳しく書かれています
2000年に完成したこのエリアに歩いていくと…
港で手を振っているのは誰?
↑「ルソン助左衛門」は堺の商人↑当時の松本幸四郎が大河ドラマ「黄金の日々」で演じていた↑似てる?
※NHKアーカイブスにリンクします
さらにあるいていくと、
高速道路の下に冒頭の木像灯台が見えてきた↑こんな立地になっていたのか・・・
高速道路を走る車のヘッドライドで色が変わる
↑戦前の「大浜地区」の写真に写った灯台↑
今の港は埋め立てがすすみ、灯台としての役目は1968年に終えている。
「大浜地区」の再開発は今度どうすすむのだろう。
龍女神の像が建てられた「勧業博覧会」のような賑わいはもどってくるのだろうか。
遊歩道は整備されているのだが、快適なホテルやカフェができるとよよいのですが。