旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「太陽の塔」に入る

2022-12-15 05:38:10 | 国内
半世紀前には動いていた。


当時小学校四年、おいそれと外国になど行けない時代に万博は世界への窓だった。

各国パビリオンが消え去っても、「太陽の塔」が撤去されなくてよかった。
「お祭り広場」の大屋根はなくなり解放されて屹立している。

モノレール駅近くのお土産屋さんのミニチュアは季節の装い。

高さは70メートル。パリの凱旋門より20メートル近く高い。

この内部に冒頭の「生命の樹」がある。
万博が終わってから長く廃墟となっていたが、半世紀近く経ってから再生事業がおこなわれ

2018年の3月から再オープンした。

ネットで事前予約。万博記念公園の入口でQRコードをかざすと公園への入場は無料になる。
入口は地下から。
1968年に岡本太郎の中でイメージが湧き上り・固まってきた経過のデッサンが展示されていた。

メキシコのパレスホテルのレターヘッド↑
1968年でメキシコというと、今は渋谷に展示されている大壁画「明日への神話」の制作で訪れていた時だったのか。
地下には表から見えない「地底の太陽」がある。

この実物は今も行方不明で、近江長浜のフィギュア制作会社「海洋堂」が原型を復元して完成した。

周辺に展示された縄文彫刻やアフリカの民族彫刻。

そこを抜けると「生命の樹」の下に出る。
ここからは撮影禁止。
螺旋階段をゆっくり登りながら木々にとりつけられた生物の進化を見る。
1970年当時にはこれらはゆらゆらしたり首を動かしたりしていたが、そこまで復元することはしていない。
高さ30メートルの上部にはちっちゃな人類がいる。
そこまでいくと、ちょうど塔の「腕」のあたりに到達し、「腕」の内部をのぞき込むことができる。
1970年当時にこの光景をみていたことを思い出した。
**

当時小松は東京に住んでいたが都合四回訪れた。
ガイドブックを隅から隅まで読んで、気に入ったパビリオンをスクラップした。
恐竜みたいなオーストラリア館、豚みたいな「ガスパビリオン」、桜の花びらの「日本館」。
奇妙な建物のオンパレードに心躍らせていた。
ニュージーランド館ではじめて食べたラム肉がおいしかったのも忘れられない。





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「梅は岡本」で、スコーンを食べる。

2022-12-14 07:23:22 | 国内
阪急岡本駅にはじめて降りた。
待ち合わせよりだいぶ早く着いたので周辺を歩いてみよう。
検索すると、かつては「梅は岡本、桜や吉野」とまで言われていたのだとわかった。
地図をみると駅の北に「梅林」がある。

無人の北改札を出るとすぐに細い住宅街。
坂道に瀟洒な家々が並んでいる。
手芸屋さんや読書会の手作り看板が地域の豊かさを感じさせる。

ネットでは「神戸のセレブタウン」と表現したものもあった。

冬の空気、青い空、暖かい陽射し。
「梅林」への看板が誘導してくれる。

岩壁の小さな花も生き生きしている。

「梅林」の入口にこんな看板↑
小学校の頃二年ほど住んでいた芦屋で登校前にイノシシのいる山まで登っていたことがある。
その「高座の滝」周辺には住宅地でもイノシシがよくでてきていた。
阪神間は山も海も近い。

この梅園は近年につくられたものだが、近隣の方々が大事にしていることが感じられる。
つづら折りの坂道のところどころに眺めのよい小広場が開けている。

あとからお会いした地元の方に、
「もう少しあがると八幡様があってその梅がきれいですよ」と言われた。

春先に訪れる機会をつくりたい(^^)

駅前に戻り、2023旅カレンダーをお渡しする方とミート。
階段の上のこぢんまりした茶房につれていってくださった。

入ってすぐにイギリス国旗。
メニューにはスコーン。
すぐにティーセットを注文した。
「ここのスコーンはほんもんですよ。ぱさぱさしてないんです」

なるほど、そのとおりでした(^^)

★日本のホテルでもアフタヌーンティーが流行りだが、サンドイッチやケーキやスィーツは本来のモノではない。と、小松は思うのです。欠かせないのはしっとりしたスコーンとクロテッドクリーム。イギリスで様々なスタイルでアフタヌーンティーを楽しんできたが、スコーンは必ずあった。手で半分に割ってたっぷりぬって、ジャムものせて、ミルクティーと共にあじわう。サンドイッチやケーキはあくまで+アルファ。アフタヌーンティーの主役はなんといってもしっとりスコーン。たっぷりクロテッドクリーム。

ひとしきり旅の話・イギリスの話、以前いっしょに旅した友人の話、いっしょに旅時間をすごしてきたことの成果はこういう時間にある。

あっという間に二時間が過ぎる。
階段を降りて駅への商店街を歩きはじめる↑予約しないと買えないというパン屋さんがある↑
冬の短い陽射。
アスファルトでなく石畳になっているところといい、ゆるやかなカーブといい、この通りはなんだかヨーロッパの旧市街のようだ。

有名観光地でなくても、自分がまた訪れたいと思う街をたくさん知っておきたい。
こういう数時間の体験が、新しい旅のアイデアにつながってゆく。

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《手造の旅》近江長浜と間人~刀鍛冶工房を訪問

2022-12-10 16:00:13 | 国内

「松炭を使います。炎の色で温度を調整します」
間人(たいざ)に若い刀鍛冶集団が移住したというので訪問させていただいた。


朝、「とト屋」三階の部屋から、高さ20メートルの立岩(たていわ)が間近に見える。玄武岩の柱状節理。
宿を出て最初に立岩を見下ろす高台を訪れた。冬の日本海らしい風がびゅうびゅう吹きつけてくる。

巨大な石を積み重ねた古墳がたくさんみ、↑「大成古墳群(おおなるこふんぐん)」と呼ばれている。

六世紀末から七世紀というから、ちょうど聖徳太子の母・間人皇后(はしひとこうごう)が訪れたとされる頃。
※2018年に母子の像の間近まで行って古代の資料館を訪れた時のブログをごらんください

当時は大陸からの船がやってくる日本海側の方が世界への出入り口。
この立岩とその後ろにそびえる古墳群は目印になっていたにちがいない。

古墳時代の資料館もまた訪れたい。
**

間人漁港に去年できたカニの競りをする建物↑
以前は吹き曝しの場所で、我々も階段にへばりつきながら見学したっけ。
※以前の競り場で見学した時の動画にリンクします

↑これら五隻だけが間人のカニをとることができる。
***

明治から昭和にかけて関西の経済界をけん引した松本重太郎は間人の出身。
新たにパネル展示ができていた。

大河ドラマにとりあげられた渋沢栄一より四歳年下。同時代を生きた二人。

松本重太郎は最後に大きな蹉跌をあじわったが、その業績はじゅうぶんに評価されている。

****

間人に三人の若い刀鍛冶集団が工房をかまえたというので訪問させていただいた。

高台の立派な古民家に「日本玄承社」の看板↑三人のうちのお一人の祖父がここに住んでおられたのが縁だそうだ。

となりの新しい仕事場

どちらの棟も古さを生かした改築がなされており↑現代美術館に入ったような感覚があった。

↑玉鋼(たまはがね)これがすべての元になる。


これを叩いて成分に合わせて鍛錬してゆく。
玉鋼は砂鉄を原料にして炭と重ねて焼いてつくるもので、専門の業者が島根に一軒だけあるのだそうだ。

刀は固い鋼を芯にして外側に柔らかい鋼を巻いてあるのが日本刀の構造。

それを叩いて叩いて鍛錬する。
※近頃は機械仕掛けのハンマーで便利になった

刃の部分に粘土をかけてそれが刃紋になってゆく。

ハンマー、七キロあります。重いです(^^)


別棟で完成品を持たせていただいた。


波紋の風合いを表現するのに「梨地肌」というような言葉を使うのだそうだ。
梨を切った表面のような湿った粒↑写真ではうまく撮れておりませんが。

一振りの制作に数か月かかる。
すべてが注文品で、作り手の名前を刻む。
自分よりも長い寿命を持つべきものに自分の名前を刻むのはどんな気持ちなのだろう。
刀が実用品から象徴品に変わった現代では、一級品の刀しか求められていない。
刀鍛冶の仕事としての厳しさはそこにある。

時代と共に変化してきた太刀と刀の変遷を解説していただいた。
それは戦いの現場で使いやすくする、実用品としての変化である。

刀鍛冶の仕事が汎用品として生かされている商品もつくっておられる。
日本刀を購入する・所有するのはハードルが高すぎるから、こういった品は有効だ。
興味深いお話をきかせていただきました(^^)
*****

丹後ちりめんをつくる木本さんの工房を

今回も訪問させていただいた。
明治時代にフランス発祥のジャガード織機が入ってきて、複雑なデザインが可能になった。

↑400、600、900、ドット数によって三種類の細かさがある。
それぞれのドットにどんな色の横糸を入れるか、全体でどんな絵を実現したいのか、グランドデザインをする力が職人に求められている。

この工房を訪れる度に↑この軸に目が留まる。

細部に配された色彩の繊細さ

あのドットを使ってこれが実現しているのか。

先ほど見せてもらった日本刀と違うのは、織物は超絶技巧一級品だけが求められているわけではないこと。
工房を直接訪ねる魅力の一つは、超絶技巧ではないけれど魅力のある上品を比較的安価に購入できること。

この↑肩から掛ける小物入れ↑一品モノなのに一万円もしないで売っていただけました(^^)
木本さん、元気にお仕事お続けください。また寄らせていただきます。
******
今回の旅の最後は「和久傳の杜」へ。
京都の料亭として有名だが、発祥はこの京丹後なのだそうだ※HPにリンクします

↑2017年にこの安野光雅美術館(安藤忠雄設計)と

レストランMORIが同時に開業した。

品々のデザインも統一されている

和久傳の昔からの名品「蓮根餅・西湖」も売られている。
レンコンのデンプンのぽやぽやを和三盆の優しい甘さで食べさせてくれるお菓子。

どの食材も品があってたべやすい

とりわけこの釜炊きのお米の味わいが好き(^^)
******
日本海側の京丹後からいっきに京都駅へ向かう。二時間半ほど。

山を抜けると雨は止んでいた。
いつもおねがいしているドライバーのNさんが「沓掛は光秀が本能寺をめざす分かれ道になった場所」と解説してくださった。
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《手造の旅》近江長浜と間人~間人(たいざ)でカニ料理を堪能する

2022-12-08 14:28:27 | 国内
日本海沿岸にカニの産地は多いが、なぜ間人が「幻の」と形容されるほど珍重されるのか。
「間人の海は他とちがって砂地が多く、ウミビルがカニの上に卵を産むのです。ウミビルの卵があるカニの方がおいしいとされています」と説明された↑黒い点々がウミビルの卵。

しかも間人のカニを漁ができるのは↑間人港にいる↑これらたった五隻の漁船だけ。
※2019年に港で競りを見学した時のブログにリンクします。中から動画にもとべます。
さぁこれから食べるぞ!の図


前菜のお刺身もりあわせ↑ブリとエビとタルイカ。タルイカは「樽イカ」で非常に大きいからついた呼び名で、ソデイカ(アカイカ)正式名のようだ。


カニも、まずは生で

↑これらは焼いて
「ぷくっとふくれてきたら好い加減です」

そろそろよいでしょうか(^.^)

「甲羅のミソに身を入れてもおいしいです」

「セコ蟹が好きなんです」
セコ蟹はズワイガニの雌。ここ京丹後でコッペと呼ばれる。富山高岡で「香箱蟹」とよばれているものと同じ。

さいしょに外子をはずす↑エンジ色をしたこれはこれで味わいあるのだが、しがむようにして食べるしかない。

↑朱色の内子はそのままぱくっと。

足を分離させて

↑爪のところにも身は入っていてちゃんと美味しい。
こういう作業がめんどうなのでカニを好んでは食べなかったりするのだけれど、やっぱり日本の冬の味覚。
特にセコ蟹が楽しめるのは

さっきミソに身を入れてアミの上で火をかけていた甲羅↑良い感じ(^.^)

焼きすぎて甲羅に穴が開いてしまったら、セコ蟹の小さな甲羅を代わりにつかいましょ(^.^)


↑伊根のブリがしゃぶしゃぶで登場(^.^)これ、大好きです

↑「たべそ」は古代米を使って作る麺 


最後はもちろん雑炊
某有名歌舞伎俳優さんが滞在された時、
たらふく食べつくした最後にこれがでてきて
「こんなに旨いのは最初にたべたい」と言われたそうな(笑)


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《手造の旅》近江長浜と間人~田中集落と富田人形会館

2022-12-06 10:12:11 | 国内
江戸時代の文楽人形を操作できる機会など、そうはない。

田中集落の「うちの観音さん」に会わせていただいた。

長浜では多くの集落が「うちの観音さん」を何百年も護りつづけている。
※小松が撮ったものより掲示用にプロが照明・撮影した写真の方がその良さを伝えています

田中神社に↑平安時代のお像が二体ある。

↑左が観音堂
今回の旅で長浜の案内をお願いしたMさんがこちらのカギを預かる方だったことでこの訪問が実現した。

お堂の照明にMさんの苗字があった。
「うちの父が奉納したものです」それはMさんのお父様だった。
子供のころから身近に見てきた「観音さん」なのである。

仏像というのは作ったら完成ではなく、祈り護り伝えられていくことで魂がはいってゆく。


お堂を出ると↑集落の北に位置する標高三百メートルほどの山本山がみえる↑
この山の名前は平安末期の「もう一人の義経」=山本義経に由来する。木曽義仲と共に挙兵した人物。
※こちらのサイトに詳しく書かれた方がありました
田中では仏前に供える小さなご飯に見えるのでその愛称で呼ばれているのだそうだ。

「雨ですし、少しうちで休んでいかれませんか」
歩いてすぐのMさん宅へ

巨大な柚子
立派な錦鯉のいる庭を見ながら、奥様お手製の絶品干し柿をいただいた。

旅するとは、ただその土地を訪れることではなく、
人と出会って・迎えてもらうことで深まってゆく。
この立派な渋柿を干して藁に寝かせて…二十日前からこんなふうに熟成しゆくのか。
※11月9日にはじめてMさん宅を訪れた時の干し柿を載せています
道の駅でも人気商品なのを納得(^.^)

↑この瓢箪は何に使われるのかと思ったら…

Mさんお手製の和風照明になっていた

**

車で五分もかからない「富田人形会館」へ。

ここは江戸時代からの人形上浄瑠璃を継承している。

とても広い客席と奥行きある舞台

江戸時代から伝わる何十という頭が今も使いつづけられている。

これらの構造を手で触れて理解させてもらえる機会はそうはない。

※こちらにもう少し書きました


文楽は世界一の人形劇だと確信しているが、どこも伝えていく人材に苦労している。
ここでは昭和53年に再開した後、女性の参加も認めるようになり、海外への遠征公演も成功させておられる。

***
長浜名物「焼き鯖そうめん」を、木之本地蔵近くのおみせにて

※「焼き鯖そうめん」写真をこちらに載せました。なぜ名物になったのか説明していただきました
焼き鯖そうめんのまえに、こちらも郷土色満載の前菜登場

↑長皿の右端にみえるのがいわゆる「鮒寿司」の種類。
ちょっと味をみてみたいという方にちょうど良い量かも(^.^)

もうひとつの長浜名物「サラダパン」も味わっておきたい

滋賀県の旅行応援クーポンも使えます(^.^)

木之本駅に歩いて行く途中に桜の銘木があるという

かつて「轡の森」と呼ばれる場所で、白鳳時代に創建された伊香具神社の神官が馬をここで休ませていたことに由来するそうな。

路地の奥に名残の巨木が見えた。桜の頃に訪れる機会をつくれるかしらん。

木之本駅前

道の駅で旅行応援クーポンでお買い物(^.^)


最近話題だというメタセコイヤの並木道を経由して
京都府北部、丹後半島の間人(たいざ)に向かいます。

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