僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

とん金(大崎広小路)

2024年10月15日 | 揚げものをいただく

ロースかつ定食を頂く。

カウンター10席&テーブル4つほど。
とんでもなく腹一杯食える店。
ご飯、味噌汁、キャベツおかわり自由。
しかも1000円未満で。
だ。
このご時世に絶滅危惧種と言っても差し支えない。
そもそもが全てにおいて大盛なので
おかわりしようという気すら起きない。
というのが正直な感想かもしれん。
ロースは生の鳥ささみか?

と思うほどにレア。
半ナマ豚肉の塊にかぶり付いたのは人生初の出来事かもしれん。
こちらの売りはとにかくニンニク。

卓上のニンニク醤油、
ニンニク揚げの他に
かつてはニンニク豚カツなんてものまであったそう。
ゴリラのようないかつい店主は
応対も仕切りも大変元気よく、
映画「黄龍の村」のおんびんたわら様のよう。
いや、サンクチュアリの一ノ瀬ワタル。
と言った方が名が売れてるか。

かれーの店ポカラ(矢部)

2024年10月14日 | カレーをいただく

チキンかれー大盛3辛を頂く。

カウンター4席
テーブル4席と
実にこじんまりしたお店。
カレーが全て「かれー」なのは
何らかのこだわりを感じる。
が、カレーの店はクセ強店主であるほどに
見るべきものは多いのだ。

濃いっ!
酸味がビッチビチに強い
とてもよく煮込まれたカレー。
酸味は強いが辛さはないな。
後から来た爺様は
ポーク大盛7辛と発注していたので
そういうことなのだろう。

よく冷えたプチサラダが
ドレッシングたっぷりでとてもよい。

金沢文庫から鎌倉政務本庁へ出勤(鎌倉)

2024年10月13日 | ぶらぶらする
神奈川において横浜から三浦半島にかけた海浜地区は
アクセスも悪く謎に満ちたエリアだったりする。
勇気をもって謎エリアに挑む今回は
地名とは思えない駅名だったり
セクシー女優さんの名前でも有名だったりと
聞いたことはあっても
見たことのない金沢文庫駅におりたつ。
駅から小高い境内まで20分ほど歩き
やってきました称名寺。
山門のミツウロコからお分かりの通り
ゴリゴリの北条氏ゆかりの寺。
2022年大河ドラマの鎌倉殿でいうと
小栗旬(北条義時)とその3番目の妻、
菊地凛子(のえ)に間にできた
北条実泰を祖とする金沢北条の菩提寺。
鎌倉の同じ外郭寺院としては
永福寺のような浄土庭園つくりとなっている。
拝観料が無料なこともあって
ぼんやり池を眺める人が多い。
称名寺金堂。
中も無料で拝観できる。
時間があれば称名寺の裏山ともいえる
市民の森散策もおすすめしたい。
金堂の右手から裏山へ入山。
行き届いたというわけではないけど
北条実時墓所。
稲荷山休憩所
すごくいい景色とは言い難いけど
金沢八景が見下ろせる。
肝心の八角堂は
コンクリづくりの
きったねえ物置小屋のよう。
なにに使うんだろう…。
石仏や観音様が随所に点在している。
趣きというよりは放置された感が半端ない・・・。
20分ほどで金堂の左手に下山して
山歩き終了。
なお、金堂の左手は銀杏拾いに興じる
多くのお年寄りで賑わっている。
阿字ケ池のこの角度からがベストアングル。
浄土庭園を堪能したら
タイムトンネルを抜けて
現代の金沢文庫へ。
かつての書庫としての色合いは薄れ
現在では博物館として機能中。
鎌倉時代当時のタイムトンネルも残っているが
こちらは立ち位置禁止で
入口から覗くだけ。
国宝の常設展示もなく復元展示が多いので
ちょっと肩透かし。
せっかくなので金沢北条氏と同じように
六浦道を通って鎌倉へ出仕してみることに。
13時45分称名寺出発。
この辺りは鎌倉時代の名残かお寺が多い。
金沢八景前の泥亀新田では
姫小島水門のレプリカ展示。
街道沿いに朝比奈切通を目指して歩き
線路をくぐって右折したところで
急峻な階段を発見。
階段を上り詰めたマンションの一角が
上行寺東遺跡。
14時40分到着。
ほどんどは強化プラスチックによる復元だが
一部当時の遺構が残り
遺構一体型マンションとして存在しているところが面白い。
住民からしたら多分どうでもよいのだろうけど。
あの山を越えていくと鎌倉幕府本営。
この辺りに六浦の地名が残り
川の名前も「侍従川」と趣き深い名がついているが
由来は物語上の人物小栗判官にちなんだものだとか。
さらに進んで15時
大道中学校入口に
ほとんど岩盤と化した磨崖仏の
鼻欠地蔵がある。
こちらは相模国鎌倉と武蔵国金沢の境界だったとのことだが
磨崖仏というより磨崖仏跡といったほうが正解かも・・・。
朝比奈ICの直前で朝比奈切通への道は
感情四号線を左へ逸れ
薄暗い旧道へと突入してゆく。
この先は車両通行不能の
ハイキングルート。
削られた跡が生々しく残る歴史街道は
ついさっきまで古代人が歩いていたのではないかと思うほど。
横横道路が頭のすぐ上を通る。
時差800年のクロスロードだ。
いよいよ道は狭くなり
両側からむき出しの壁が迫る。
ところどころやぐらも点在し
なんかもう密林じゃないか思うほど
薄暗くなってくると
15時15分
朝比奈切通核心部へ到着。
称名寺から切通のピークまで実に
1時間半。
今も昔も出仕は楽じゃありませんな。
この先は以前歩いた鎌倉アルプスのエキストラルートになるが
とにかく鎌倉中心部に向かって歩く。
水の染みだす岩肌を
注意しながら下ってゆく。
仏さまも前回の通り。
あっという間に三郎の滝。
やはし知った道だと短く感じる。
外国人旅行者で混雑する
バスの誘惑を振り切って
16時15分
鎌倉幕府最後の地
東勝寺跡。
北条家滅亡の貴重な遺跡だが
発掘調査の跡で保存のために埋め戻しているとのこと。
東勝寺を越えて上り続けると
祇園山へむかうお手軽ハイキングコースとなっている。
鎌倉中心部へ戻りつつ
東勝寺を管理する
宝戒寺を除いたが
さすがに16時過ぎでは閉まっていた。
北条家消滅後に
後醍醐政権と足利政権により
北条家慰霊のために建立されたため
ミツウロコ紋となっている。
今回は鎌倉駅前には寄らず
由比ガ浜通りを長谷方面へ歩く。
1907年の江ノ電全線開通当時は
今の3倍ほどの39駅あり
大町駅跡は看板にのみ
走の当時を残す。
1927年竣工の鎌倉銀行由比ガ浜出張所は
今はバーとして使われている。
17時前にお目当てのウーフカレーに到着するも
開店まで30分ほどあり
向かい側の甘縄神明宮まで足を延ばす。

旧加賀谷邸という洋館。
リノベーションされて
2024年現在は北橋さんという
お蕎麦屋さんになっているようす。
この辺りは安達盛永の住居だったとのことで
鎌倉殿ではどことなく間の抜けた
頼朝の気の置けない好々爺のような感じで描かれていた。
甘縄神明宮は平城京遷都の710年
行基による創建で天照大神を祀った
鎌倉最古の神社とのこと。
かなり質素で
その歴史以外に見るべきものは少ない。
川端康成もこの辺りに居を構えたとのこと。
さてさて満を持してお目当ての鎌倉カレー
長谷のウーフカレーさんへ訪問。
ポークカレー大盛とビールを頂く。
あいにくとビーフカレーは売り切れ。

夜の部は17時半からで
通し営業ではないみたい。
2階建ての店内はテーブルのみで
ものすごくゆったりくつろげる。
20キロ歩きどおして
完全に生ビールの喉であったが
でてきたのはまさかの瓶のイェヴァー。

これは誤算。
苦みの強いホップと酸味、
薄い山吹色が特徴。
東南アジアのしょんべんビールになりそうなところを
強烈な苦みでこらえているような感じ。
悪くはないけど1杯目はグラスビールを
一気にあおりたかったなぁ。
この後カレーの到着に30分を要し
福神漬けとラッキョウはビールのあてで

すっかり空になってしまう。
ビターアンドミルキーで
ディープかつゴージャスなカレー。

この深みの強いカレーが
ここ鎌倉エリアに多いけど湘南カレーというのかな。
アーモンドスライスが食感に彩りを添えてすばらしい。

事前情報では接客に難ありとのことだったが
揃っていないのに着席しようとしたグループに
大きな声で毅然と対応していたので
こういうところがグループ客に嫌がれたのではないかと思う。
無茶なリクエストをせず
一般常識の範囲で訪問する分には
ハキハキとしたいい接客のように感じる。
ウーフカレーの横の長谷観音バス停から藤沢まで直行バスで帰る。
鎌倉ってバスで行けるのね。

うずとかみなり(本鵠沼)

2024年10月12日 | 麺をいただく

地鶏の味玉醤油RAMENを頂く。
全部入りだと2000円を超えちゃうインフレゾーン。
ラーメンも随分お高くなりましたのね。

細かく時間が分かれた記帳台は
行列をできるだけ短く
効率よく並べるようにという配慮からか。
長ーくお洒落なカウンターと
テーブル2台で16名ほどの規模。

足元に照明あり、
無機質なカウンターありで
バーのよう。
とにかくセンスがいい!
居心地の良さにぼんやりしていると
丼が到着。

主役のRAMENを照明が天井から照らす
心憎い舞台演出。
店内全てがRAMENのための舞台装置なっていることに気付く。
スープを一口すすって
思わず「旨っ!」と声がもれる。

とにかくスープがうまい。
これで無化調なら化学調味料は何のためにあるのだろう。
きめ細かな細麺と絡んで
上質な三輪素麺を頂いているような感覚。
鰹の深み溢れるスープは永遠に飲んでいられるほど。
叉焼もホロホロと崩れ
この時間が永遠に続けばいいのに。
と願わずにはいられない。
帰りは本鵠沼を通り越して
高級住宅街を眺めて
藤沢駅もスルーして
藤沢本町まで歩いてみる。
遺構のあまり残っていない東海道宿場町で
しかたなく大して小高くもない小高い丘の
伊勢山へ上ってみる。

伊勢神宮を祀っていたとか
ここから伊勢神宮を遥拝したとか
諸説あるが
緑の残る季節では
大して景色もよくない
実に中途半端な広場だったりもする。
中央のコンクリートは鐘楼で
太平洋戦争当時の
金属類回収令で接収された名残とのこと。
学生君たちにまぎれて
小田急線で湘南を後にする。


エピタフ(新宿三丁目)

2024年10月11日 | カレーをいただく

再開発のつづく都心部に漂う
古き良き昭和の残り香。
飲み屋、ラーメン屋、園芸ホール。
全てが古い。
エピタフと言う店名もいい。

女性のスタップさんによると
キングクリムゾンの「アルバム名」からとったとのこと。
違うな、お嬢さん。
エピタフは「曲名」で
キングクリムゾンのデビューアルバム
「クリムゾンキングの宮殿」の3曲目に収録された
壮大なロックバラードだ。
あいがけを頂く。

3種のカレーがあって
何故3種盛りができんのよ!
コの字カウンターのみの地下の店だが
白基調の明るい雰囲気。
女性のおひとり様が多い。
清潔感にあふれ
どことなく戦隊の秘密基地カフェだったり
ウルトラマンの基地を思わせる。
キーマはそのまんまひき肉とひよこ豆。
チキンも肉がゴロゴロ。
悪くはないけど個性を感じるほどでなく
ご飯の量も標準だったので
迷わずポークビンダルを追加で頂く。

こちらもオーソドックスな
ボールスパイスたくさんの
酸っぱい豚肉たくさん。

辛くないのにしっかり汗が出る。
3種のなかではこのビンダルがおすすめかな。