筒井康隆氏の小説「大いなる助走」を久々に読んだ。
これを再び読んでみたくなったきっかけは、皮肉にも先日の秋葉原通り魔事件の影響だ。今回の容疑者のことをニュース等で知るにつけ、小説の主人公・市谷京二と不思議と重なって見えたからだ。
少年時代からエリートであり、大企業に就職した市谷は、地元の同人誌に大企業の内幕を描いた小説を書き、それがある文学賞の候補作品として取り上げられる。同人仲間から羨望と軽蔑の目でみられつつも、受賞のために選考委員に「ありとあらゆる提供」をしたが、結局落選してしまう。また会社の内幕を描いたとのことで解雇され、さらに発表号での掌を返したような選考委員の批評・・・。輝かしい未来を失い、「裏切られた」と思いこんだ市谷は、その恨みをはらすべく、文学的行動と自分を正当化した上で、実家にあったライフル銃で選考委員を殺して回る・・・。
今回の事件にこの小説を合わせるのは少し無理があるかもしれない。この両者の場合、人間誰もが一度は通過する「挫折」からはじまる鬱屈した気持ちが異常に肥大化し、その結果容疑者は人の集まる秋葉原を襲い、市谷は自分を落選させた選考委員の大作家達を襲うという悲劇へと発展した。考えれば考えるほどやるせなさが残るが、それでも考えずにいられないのは、一歩間違えば自分も同じことを考えていたかもしれない、と内心恐怖感を覚えたためだ。もちろん、実行しようなどとは夢にも思わないが。
TVニュースや新聞などでは、事件の背景を探ろうとして、格差社会のせいだの、ネット社会の闇だのと騒ぎ立て、あたかも容疑者はそんな社会での被害者だという扱いをしていて、同情する声もあるようだが、一番悪いのはことを起こした容疑者本人であることに変わりない。そしてそれは、厳罰でもって処されるだろう。
秋葉原には献花台が置かれているようですが、次回訪れた際には、現場では犠牲者への黙祷を捧げたいと思っています。