KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

KCF的”カルト論”

2010-03-21 23:31:47 | 日記・エッセイ・コラム

 かつて、CX系の深夜番組で「カルトQ」なる番組があったのをご存知でしょうか?

 毎回、ある特定のジャンルに関する知識を賭けたクイズ番組なのでして、ぼくと同じ30代で、当時高校生~大学生くらいならみな知っていると思うのですが。この「カルト」って言葉、最初は意味を知らなかったので「カルト;cult→カルチャー:cultureの省略か?」と本気で思ってました。あとで調べると、文化とは関係なさそうで、「(宗教等に)のめりこむこと、狂信的」なる意味でしたが、この言葉がのちに世間を騒がせる事件で使われるとは、夢にも思ってない時代のはなしでした。

 昨日、同じCXで、地下鉄サリン事件から15年のドキュメンタリー番組を放映してまして、それを見てました。今から15年前、TVで観たあの映像は、今も覚えています。上空から映し出された霞ヶ関、路上に倒れこむ人々、どうやら駅に何か毒物が撒かれたらしい。それが後に、殺人兵器「サリン」と分かり、ある特定のカルト教団が関与しているのでは、という憶測(その頃はまだその段階だった)が飛び交い・・・etc

 思えば、その前後にもこの特定宗教をめぐる事件が後を絶たなかった。拉致、監禁、著名人の暗殺または未遂、教団幹部刺殺・・・。これは現実なのかドラマの延長なのだろうか、信じがたいことがTVのスクリーン上で次々起き、そのたびに教団がTVで冤罪だ、被害者だと訴えていく。が、これらの事件も当時の警察の手によって少しずつ壊滅していき、ついに教祖逮捕にまで至った経緯は、昨日のドキュメンタリーでも放映していたので、詳しいことは省くけど。

  じつは高校生の頃、中学時代の級友から電話がかかってきたのだが、それがある特定宗教団体への勧誘だと後で知って驚いたことがあった。当時、同じ世代の若者で空中浮遊や神秘体験に惹きつけられた者が、次々入っていったという。理工学派で、もともと神秘的な考えはあまり信じなかったので、この教団も「へんなことしてるよな」くらいにしか思っていなかった。しかし同時に、大学のサークルを利用して宗教勧誘をしていたり、秋葉原でパソコンも販売していた。そんな事情から、一歩間違えば自分も入信し、高額のお布施をし、崇高な宗教の理念の遂行のためという(今となっては非常識な)理由で、殺人の一翼を担っていたとしたら・・・ありえないけど、そんな思いが今も心のどこかにはある。

 事件以降、自分の中では新興宗教というものにより胡散臭さを強く感じるようになった。それは、その後事件になった新興宗教による事件をみれば明らかだろう。霊感商法しかり、儀式でミイラを生き返らせようとしたり・・・。しかし、カルトのように信じている人には「その宗教、イン×キだからやめなよ」というつもりは毛頭ない。日本には「宗教、信仰の自由」が保障されているわけだし。たまに勧誘されたり、家に聖書を配って回る人がくるが、丁重にお断りしている。親戚から(おそらく)宗教がらみで「○○党の××さんに投票してください」といわれることもある。話だけ聞いて実際は「・・・」なのだが。

 現代社会では、信仰の差こそあれ、何かしらの宗教をかかわりあっていると思う。普段は無宗教だという人(ぼくもその一人)も、こんなことをしていないだろうか?正月になると初詣にでかけたり、厄払いをしたり、合格祈願や恋愛成就で絵馬にお願い事書いたり、彼岸になれば先祖の墓参りをしたり・・・。目には見えないけどどこかで誰かが自分を支えている、そう思うだけで十分だと思うのだが。

 あのなんだか分からない、日常と非日常の入り混じったような時代からもう15年経ったのか・・・。事件で犠牲になられた方やその遺族、後遺症に今も苦しんでいる人の気持ちを考えると、事件を風化させてはいけない、忘れるわけにはいかない、そう思わずにいられない。

 だけど「カルト」って言葉、もっといい意味でも使えないかな、って時々思う。かつての深夜番組のように。

コメント
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