KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

大相撲開催”中止”に思うこと

2011-02-06 22:36:02 | ニュース

 前々から指摘されてきた大相撲の八百長疑惑について、別の賭博事件で押収された携帯電話のメールから”証拠”としてでてきた。これを受けて、名前の挙がった力士を調査し、3人が八百長に関与したことを認めた。事態を重く見た日本相撲協会が、ついに来月の春場所開催を中止した・・・。不祥事がきっかけで開催中止に至ったのは史上初だそう。

・・・まったく、残念としかいいようがないね。膿(不正とか諸々のことだよね)を出しきるまで相撲興行はお見せできないと、理事長は言ってたが、それが本当ならいつになったらまた相撲を見られるのだろう?

 相撲ほど、日本文化に根強く関わっているスポーツ(?)もないかと思う。協会は文部科学省の管理下にあるし、神社などへの奉納相撲っていうのもあるし、力士一人ひとりに支援者も数多くいる。静岡に住んでいた頃、大相撲の取組結果を報じるニュースの最後に、きまって県内出身力士(幕下)の取組結果も報じるので、さすが日本の国技(注:とみなされている。日本には正式な国技はないそうだ)だなぁと感じたものだ。しかし一方で、根強い裏社会が指摘される一面もある。他のスポーツに比べて野球賭博や八百長が騒がれるのも、ある意味日本が持つ文化の一側面なのかもしれない。

 とはいえ、大相撲の勝負を売買、あるいは貸し借りする「八百長」はやっぱりよくないな。興行にいくら「みせる(見せる、魅せる)」という特色があるからといって、はじめから決まっていたのじゃあねぇ。支援していた人の落胆ぶりは、TVで見てても察するにあまりある。

 TVで、「人情相撲」のことを報じていた。江戸時代、貧乏力士だった佐野山は、親が病気で薬代もままならないという。そんな状況を聞いた、当時向かうところ敵なしの谷風関、佐野山との対戦でわざと敗れた。これにより佐野山は、多額の報奨金を貰い、借金を返し、さらに親のために医者を呼ぶこともできた。世間では、谷風がなぜ佐野山に敗れたのかわからなかったが、やがて谷風が一世一番の大芝居を打って敗れたことが知れ渡ると、人々は彼を責めるどころか、「人情相撲」だと谷風を喝采したという・・・。

 だけどこれは、「八百長」ではない。相手の境遇を思ってわざと負けることと、お互い了解の上で星の売買をすることとは、区別されなきゃならない。

 八百長へ走ってしまう理由のひとつとして、幕内にいるかいないかで、給与、待遇面等で大きく違うことを挙げた人もいる。幕下へ落っこったら給与なし、というのは、ぼくら平凡なサラリーマンにはキツイ話だ。番付によって地位も成績もはっきりしているので、相撲ほど、実力主義が明確なのもないだろう。だからこそ、十両に昇進した力士(関取)は安定した生活が出来るようになり、さらに上を目指すこともできるし、また、幕下へ転落したことを契機に引退する力士が多いのも頷ける。

 幕下以下の待遇を良くしろと言う意見もあるが、たとえば、いったん相撲の世界に入ったら、まず身の回りのものをいっさい取り上げ、まさに裸一貫からスタートさせる、というのはどうだろう。今はPCやケータイがすごいスピードで氾濫する時代。だからこそ、そういうモノをいっさい持たせず、とにかく相撲の世界をとことんまで味わわせ、稽古あるいは力士の付き人として働く。付き人になったら、まさに関取とのマンツーマンのOJTというわけだ。その代わり、各部屋は親方が彼ら幕下以下の力士の生活についての一切を、責任もって受け持つことを義務づける・・・。というのはどうだろうか?

 とすると今度は、閉鎖的になって、事件にもなった親方や兄弟子による暴行も起こりかねないので、それをファンや後援会達がしっかり見守ったり、あるいは苦情を労働組合のような組織、しかも外部組織に直接訴える権利を力士に与えたり・・・?

 最後はちょっと無責任な提案になってしまったようですみません。でも相撲を安心して見られるようになるための荒療治と思い、一日も早く気持ちよく大相撲を見られるようになりたいと、ぼくも願うわけです。楽しみにしているおじいちゃん、おばあちゃんもホント多いですからね。

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電気があるから、電車だって動くのさ

2011-02-06 00:35:38 | 日記・エッセイ・コラム

 鶴見にある「電気の史料館」というところにいってきました。

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 史料館、というよりは、研修センターに近い雰囲気だと思った。都市部から少し離れた住宅地と小工場が集まる街の中なので、ちょっと異質な感じもする。

 今回の目的は、「路面電車の走る街」という企画展。

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折しも先日、東京銀座と晴海の間を、2020年頃を目途に路面電車を走らせる、というニュースもあったようでして。一度なくなった都電がまた走る、もし実現すれば今後が楽しみですが。

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 史料館の1コーナーにて企画展をやっていたが、写真撮影が許されたのは、このジオラマだけだった。他に、横浜市電のニュース映像や、地元川崎市電のこともパネル紹介されていた。余談だけど、川崎駅の南側、臨港部から駅西口のあたりに「市電通り」という道路があるが、昭和44年まで川崎市電というのが走っていて、そのときの名残なのだという。

 企画展を意外とあっさり回ったので、せっかくだから、史料館をコースに従ってひとまわり。

 電気といえば、発明王エジソンの「白熱電球」。

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日本の竹を炭化させてフィラメントを作ったというのはあまりにも有名だが、復元された実物見ると・・・どうなのだか。

日本の電力は、原子力、火力、水力、その他・・・とあるけど、昔は水力が多かった。

 鉄道会社、とりわけ国鉄でないいわゆる私鉄会社は、電力会社(当時は電灯会社)と深い関わりを持っていたという。京都に市電を走らせるために、蹴上に水力発電所を作ったというくらいだし。また、電鉄が開業し電車が走ると、その沿線にも電気を供給していたという。昔、鉄道線の架線の上に送電線が一緒に張ってあったのも、その名残なのかもしれない。

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しかし圧巻は、この火力発電用タービン。何枚もの風車(円盤のようなもの)が蒸気を受けて高速回転し、発電機を回して電気を起こす。横にいる人の大きさを考えると、その巨大さ、おわかりいただけるだろうか。

 では、生活における電気の使われ方はどうだったかというと・・・昭和30年代のとある居間を再現したコーナーによると・・・。

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昭和ブームだった数年前に観た、某映画そのままって感じですね。

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レトロな車?いえいえ、これこそ130年前につくられた、元祖電気自動車。もちろん、エンジンはなくモーターで駆動し、電源はアルカリ電池だったとか。

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なつかしいというしかない品々。ワープロという機械自体もう見なくなっちゃったからナァ。

 ちなみにこの史料館では、ガイドが案内するツアー(無料)というのもあるそうで、そっちを利用すると、電気の知識もつくと思うので、館の存在意義も上がるような気もするが、ぼくは参加しませんでした。一応、電気科出身ですからね。でも、大学で学んでたくせして、実物は初めてみたものばかりだった。まぁ、今思えば座学・講義ばかりだったからなぁ。

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