会社員として生きている以上、社命による出張は避けられない。ときには、今回のような長期出張もこれまで何度か経験しているし、転勤も経験している。
そんなことから、自分はどこへ行ってもそれなりに生きていけるんだという自負は、少なからず持っていた。衣食住、交通手段の確保、時には病院に行くことも。
しかし、どうしても得られないものがひとつだけある。現地の人との付き合い、コミュニティを築くことだ。
具体的にいうとこんな感じ。
出張で今までと違う職場に赴く。そこで働いている人とは仕事上での付き合いだから、それ以外ではなかなか交流が得られない。何気ない雑談や食事のとき、もともと彼らの中に知らず知らずに出来上がっているコミュニティの硬さ、強さの中に入っていけない。とうぜん話にもついていけない。そうこうするうち、時期が来て、その土地を離れなければならなくなる・・・。
仕事で来ているのだからそういうこと(よけいなこと)を考える必要はないと思うかもしれない。しかし地域に根差した人たちのコミュニティの強さに、よそ者は簡単に圧倒されてしまう。どこに行っても、それを感じた。
自分はどこへ行っても生きられる。ということは、裏を返せば、同じところに居つくことができない、ということでもある。用心棒の如く、誰かが困ったときにふらっとあらわれ、事件が解決すれば、その土地から去らねばならない。流浪の民のようでもある。
とはいえ、自分も小学生~大学まで、ある団地で育ってきた。同級生が大勢いたし、上級生も下級生も一緒くたに遊んできたのだが、中学に進むにつれ、そういう友達とも疎遠になっていく。さらに高校生のころから、いじめ(といっても、モノを隠されたり鞄を汚されたりとか・・・そんな程度)を受けるようになり、一刻も早くここから抜け出したい、と思うようになってきた。
だから大学は、そういう人たちと会わないような遠い場所を選んだ。さらに就職を機に、育ってきた団地を飛び出し、一人暮らしをはじめた。新しいコミュニティを作ろうと、その時からもがいていたのかもしれない。
強固なコミュニティを見せつけられたとき、自分は今まで何をよりどころにしてきたのか、そういうよりどころを自分で捨てたはずではなかったのか。そんな思いが頭をよぎる。
そんな時なぜかふと、もう一度だけ、昔の学校や、住んでいた団地を見てみたいと、思うようになった。
この続きは次回・・・。
そんなことから、自分はどこへ行ってもそれなりに生きていけるんだという自負は、少なからず持っていた。衣食住、交通手段の確保、時には病院に行くことも。
しかし、どうしても得られないものがひとつだけある。現地の人との付き合い、コミュニティを築くことだ。
具体的にいうとこんな感じ。
出張で今までと違う職場に赴く。そこで働いている人とは仕事上での付き合いだから、それ以外ではなかなか交流が得られない。何気ない雑談や食事のとき、もともと彼らの中に知らず知らずに出来上がっているコミュニティの硬さ、強さの中に入っていけない。とうぜん話にもついていけない。そうこうするうち、時期が来て、その土地を離れなければならなくなる・・・。
仕事で来ているのだからそういうこと(よけいなこと)を考える必要はないと思うかもしれない。しかし地域に根差した人たちのコミュニティの強さに、よそ者は簡単に圧倒されてしまう。どこに行っても、それを感じた。
自分はどこへ行っても生きられる。ということは、裏を返せば、同じところに居つくことができない、ということでもある。用心棒の如く、誰かが困ったときにふらっとあらわれ、事件が解決すれば、その土地から去らねばならない。流浪の民のようでもある。
とはいえ、自分も小学生~大学まで、ある団地で育ってきた。同級生が大勢いたし、上級生も下級生も一緒くたに遊んできたのだが、中学に進むにつれ、そういう友達とも疎遠になっていく。さらに高校生のころから、いじめ(といっても、モノを隠されたり鞄を汚されたりとか・・・そんな程度)を受けるようになり、一刻も早くここから抜け出したい、と思うようになってきた。
だから大学は、そういう人たちと会わないような遠い場所を選んだ。さらに就職を機に、育ってきた団地を飛び出し、一人暮らしをはじめた。新しいコミュニティを作ろうと、その時からもがいていたのかもしれない。
強固なコミュニティを見せつけられたとき、自分は今まで何をよりどころにしてきたのか、そういうよりどころを自分で捨てたはずではなかったのか。そんな思いが頭をよぎる。
そんな時なぜかふと、もう一度だけ、昔の学校や、住んでいた団地を見てみたいと、思うようになった。
この続きは次回・・・。