昨日、別のブログのほうに原爆の話を書いたのだが、そのためにいろいろネットで調べてみて驚いた。原子爆弾というのは、要するに太陽のようなものらしい。物心ついてから、いったい何回の原爆記念日を迎えたことだろう。これまで、原爆の被害とか原爆投下に至った政治的状況といったものについては関心を持っていたつもりだったが、テクノロジーの側面には殆ど注意を払ってこなかった。
昨日初めて知ったことがたくさんあって、そうしたことを知らずに何十回も原爆記念日を迎えていた自分に驚いた。外国の人と少し親しくなって、そうした人たちと日本のことが話題になるたびに、広島や長崎のことは必ずと言ってよいほど尋ねられる。今、彼の地はどうなっているのか、と。私は広島市にも長崎市にも行ったことがないのである。原爆に関する記憶を遡ると、中学時代に学級文庫に収められていた「はだしのゲン」だ。あとは映画やテレビ番組の断片的な記憶だけしかない。つまり、考えたことがないということだ。
核兵器を製造するための技術的な難易度は必ずしも高くはない。誰でも、と言えば言い過ぎだが、テロ組織が核燃料や核廃棄物を盗み出して兵器に加工するというのは技術的には不可能なことではないのである。だから、国際的に核サイクルを監視し、世界中の核燃料や核廃棄物の全量管理を目指しているのである。このことは昨日知ったのではなく、2001年9月に青森県六ヶ所村の核燃料処理施設を見学した時に受けた説明で知ったのである。
核兵器の技術的な面での困難な部分というのは安全管理である。核分裂が始まってしまえば、とりかえしのつかないことになってしまう。しかし、核分裂を誘発させたいときに滞りなく実施できなければ兵器としての意味がない。広島に投下されたウラニウム型原爆には約60キログラムのウラン235(全ウランに対するウラン235の割合が80%の濃縮ウラン75キログラム)が格納されていたと言われているが、このうち実際に核分裂を起こしたのは約1キログラムほどで、残りは四散したと見られている。しかし、核分裂を起こすには臨界量のウラン235が必要であり、広島に投下された爆弾の起爆装置(ガンバレル方式)に対応した臨界量は22キログラムなのだそうだ。最初の核実験は広島への投下に先立つ7月16日であり、しかもその時の原爆は広島に投下されたものとは別のプルトニウム型であったという。つまり、世界初のウラニウム型原爆の使用が広島への投下であり、確実に爆発させるために最小臨界量の倍以上である60キログラムが使われたということのようだ。
その1キログラムのウラン235による核分裂によって放出されたエネルギーは63兆ジュール、TNT火薬1万5千トン相当という。同年3月10日の東京大空襲では午前0時8分頃から午前2時37分頃にかけて1,783トンの通常爆弾が投下されている。爆発エネルギーという点では東京大空襲の8.4倍の量が東京の10分の1程度の規模の都市に一度に投下されたことになる。このエネルギーは具体的には、爆風、熱線、放射線となって放出される。
爆心地付近の爆風は秒速440メートルといわれている。音速が毎秒349メートルであり、大型の強い台風の中心風速は40メートルほどである。風のエネルギーは速さの3乗に比例する。即ち、爆心地付近の爆風のエネルギーは、台風の風の1,000倍である。また、爆風圧は350万パスカルと推定され、これは1平方メートルあたりの加重が35トンということである。
核分裂によって出現する火球の表面温度は摂氏数千度といわれる。火球から放出された熱線エネルギーは22兆ジュール(5.3兆カロリー)である。熱線は赤外線として爆発後3秒以内に大量に放出されたとされる。熱線のエネルギー量は距離の2乗に反比例するので、爆心地付近の地表は平方センチメートルあたり100カロリーの熱線エネルギーを受けたことになる。これは太陽の照射エネルギーの数千倍に相当するという。このため地表温度は摂氏3,000~4,000度に達したと推定されている。
放射線については、核分裂により大量のアルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線が生成され、透過力の強いガンマ線と中性子線が地表に到達した。もちろんアルファ線もベータ線も地表に到達している。爆撃から3日後には、被爆遺体の病理解剖により、これらすべての放射線が被爆者を蝕んでいたことが明らかになっている。
いままで核というものを身近に感じたことは一度もなかったのだが、こうして具体的な話を見聞きしたことで、人類が手にしたものの重さが伝わってきた。なぜ、いままでこんなことを知らなかったのだろうと、改めて不思議に思う。
昨日初めて知ったことがたくさんあって、そうしたことを知らずに何十回も原爆記念日を迎えていた自分に驚いた。外国の人と少し親しくなって、そうした人たちと日本のことが話題になるたびに、広島や長崎のことは必ずと言ってよいほど尋ねられる。今、彼の地はどうなっているのか、と。私は広島市にも長崎市にも行ったことがないのである。原爆に関する記憶を遡ると、中学時代に学級文庫に収められていた「はだしのゲン」だ。あとは映画やテレビ番組の断片的な記憶だけしかない。つまり、考えたことがないということだ。
核兵器を製造するための技術的な難易度は必ずしも高くはない。誰でも、と言えば言い過ぎだが、テロ組織が核燃料や核廃棄物を盗み出して兵器に加工するというのは技術的には不可能なことではないのである。だから、国際的に核サイクルを監視し、世界中の核燃料や核廃棄物の全量管理を目指しているのである。このことは昨日知ったのではなく、2001年9月に青森県六ヶ所村の核燃料処理施設を見学した時に受けた説明で知ったのである。
核兵器の技術的な面での困難な部分というのは安全管理である。核分裂が始まってしまえば、とりかえしのつかないことになってしまう。しかし、核分裂を誘発させたいときに滞りなく実施できなければ兵器としての意味がない。広島に投下されたウラニウム型原爆には約60キログラムのウラン235(全ウランに対するウラン235の割合が80%の濃縮ウラン75キログラム)が格納されていたと言われているが、このうち実際に核分裂を起こしたのは約1キログラムほどで、残りは四散したと見られている。しかし、核分裂を起こすには臨界量のウラン235が必要であり、広島に投下された爆弾の起爆装置(ガンバレル方式)に対応した臨界量は22キログラムなのだそうだ。最初の核実験は広島への投下に先立つ7月16日であり、しかもその時の原爆は広島に投下されたものとは別のプルトニウム型であったという。つまり、世界初のウラニウム型原爆の使用が広島への投下であり、確実に爆発させるために最小臨界量の倍以上である60キログラムが使われたということのようだ。
その1キログラムのウラン235による核分裂によって放出されたエネルギーは63兆ジュール、TNT火薬1万5千トン相当という。同年3月10日の東京大空襲では午前0時8分頃から午前2時37分頃にかけて1,783トンの通常爆弾が投下されている。爆発エネルギーという点では東京大空襲の8.4倍の量が東京の10分の1程度の規模の都市に一度に投下されたことになる。このエネルギーは具体的には、爆風、熱線、放射線となって放出される。
爆心地付近の爆風は秒速440メートルといわれている。音速が毎秒349メートルであり、大型の強い台風の中心風速は40メートルほどである。風のエネルギーは速さの3乗に比例する。即ち、爆心地付近の爆風のエネルギーは、台風の風の1,000倍である。また、爆風圧は350万パスカルと推定され、これは1平方メートルあたりの加重が35トンということである。
核分裂によって出現する火球の表面温度は摂氏数千度といわれる。火球から放出された熱線エネルギーは22兆ジュール(5.3兆カロリー)である。熱線は赤外線として爆発後3秒以内に大量に放出されたとされる。熱線のエネルギー量は距離の2乗に反比例するので、爆心地付近の地表は平方センチメートルあたり100カロリーの熱線エネルギーを受けたことになる。これは太陽の照射エネルギーの数千倍に相当するという。このため地表温度は摂氏3,000~4,000度に達したと推定されている。
放射線については、核分裂により大量のアルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線が生成され、透過力の強いガンマ線と中性子線が地表に到達した。もちろんアルファ線もベータ線も地表に到達している。爆撃から3日後には、被爆遺体の病理解剖により、これらすべての放射線が被爆者を蝕んでいたことが明らかになっている。
いままで核というものを身近に感じたことは一度もなかったのだが、こうして具体的な話を見聞きしたことで、人類が手にしたものの重さが伝わってきた。なぜ、いままでこんなことを知らなかったのだろうと、改めて不思議に思う。