熊本熊的日常

日常生活についての雑記

となりの芝生

2008年08月13日 | Weblog
たまたま手にした雑誌に「パリの個人美術館へ行こう」という特集記事があった。その最初の見開きにあった写真をみて、パリの街中の風景を思い出した。

先日、パリを歩いたとき、良い町だと感じた。ロンドンとは大違いだと。以前、「思想のある建物」ということについて考えてみたことがあったが、都市にも思想のある町というものがあるように思う。パリの中心部はなにかしらの秩序のもとに整然と構築されているように見える。建物の高さが揃い、甍の海に浮かぶ島のように大規模な教会やモニュメンタルな建物が点在する。殊更に清潔というわけではないが、ロンドンから出かけるとそのように感じられる。この都市の秩序のようなものは、単なる都市計画とか景観保護というような上辺だけのものではなく、そこで暮らす人々あるいは統治する権力の思想に根ざしているのではないだろうか。

フランスの人は、自国の言葉を大切にするという。それは外国人が話すフランス語に対しても容赦しないのだそうだ。それで、フランスに留学したものの、そこで受け入れられない疎外感に苛まれてしまう人もいるらしい。言葉はまさに思想を語るための道具である。その道具を大切にするというのは、道具を使う意図が明確であるからだろう。言葉を無造作に扱うというのは、それで表現しようとする内容が浅薄であるということだ。

ロンドンも、少なくとも地図で見れば、整然とした都市である。しかし、街中を歩けば、そこで生活する人々のモラルが透けて見える。

東京はどうだろう。以前、このブログに書いた「いきあたりばったり」(7月22日付)の通りである。

あくまで、私のパリの印象は、通りすがりの印象でしかない。しかし、都市も建物も人も、第一印象というのは大切なものなのではないか? そこから全てが始まるのだから。