前回のパリ行きはルーブルとオルセーを訪れるのが目的だったが、今回のテーマは個人美術館巡り、雨が降ったらポンピドーセンター入浸り、というものだ。1日目の今日は雲が多いものの一応晴天だ。
今回もパリに着いて最初にしなければならなかったのは、地下鉄の切符を買う行列に並ぶことだった。出札口でトラベルパスを買い、Gare du Nordから近いモンマルトル地区へ向かう。
地下鉄4号線に乗り、次のBarbes Rochechouartで2号線に乗り換える。Blancheで下車して地上に出ると、そこにムーランルージュ(Moulin Rouge)があった。なんとなく観光目的の作り物のような風情も漂うが、かつてモンマルトルに芸術家が集まっていた時代には、ここは彼等が集うところでもあったし、作品のモチーフにもなっていた。彼等が何を思いこの赤い風車を描いていたのか、今となっては知る術もないが、なにか訴えるものがあったからこそ作品に残したのだろう。ハリボテのような現在の姿を目の当たりにすると、過ぎ去った時間というのは元には戻らないという当然の現実を痛感しないわけにはいかない。
ムーランルージュを背にRue Fontaineを下り、Rue Chaptalを右に折れると、ロマン派美術館(Musee de la Vie Romantique)の看板が見える。この看板があるのは、美術館に至る路地の入口である。路地を抜けると庭があり、正面と左手に2階建てのこじんまりとした建物、右手に木々が茂った空間がある。この正面の建物が美術館だ。パリの街は通りに面して5階建てくらいの大きな建物が隙間なく並び、その奥に中庭のようなものがあったり、こじんまりとした家があったりというような構造になっている。ロマン派美術館も、そんな奥まった場所に佇んでいる。このロマン派美術館の建物は、オランダの画家アリ・シェフェールの家だったそうだ。ここでデートの待ち合わせをしたら格好良いかもしれないが、ここでデートはできないと思う。
ロマン派美術館を出て、さらに坂道を下ると、通りに面してギュスターヴ・モロー美術館(Musee national Gustave-Moreau)がある。この美術館は世界初の個人美術館と言われており、画家自らが美術館開設の準備をしたそうだ。その所為だろうが、展示作品の充実ぶりが印象的である。どの壁にもいっぱいに作品が飾られ、壁際の棚にはきれいに整理されたデッサンのパネルがびっしりと収納されている。個人美術館というものの見本のようなところである。
モンマルトルと言えば丘である。Trinite d’Estienne d’Orves駅から地下鉄12号線に乗りAbbessesで下車する。この駅の階段は長く、途中の踊り場では立ち止まって休憩している人がいる。地上に出ると、いかにも観光地らしい風景が現れる。土産物屋やカフェが軒を連ねる通りを抜け、長い階段を登って丘の頂上にあるサクレ・クール寺院(Montmartre Basilique du Sacre-Coeur)の前に辿り着く。大勢の観光客で賑わっている上に、ストリートパフォーマーが寺院正面の階段で見世物を披露し、それに人だかりもできているので、人の流れにも渋滞が生じている。パリ市内では、ここが最も標高が高く、市街を見渡すことができる。甍の波というのはこのような風景を言うのだろう。パリの家並みの高さはきれいに揃っている。海に岩が突き出すように、ところどころに教会や駅の大型建築物が点在する。
腹がすいたのとトイレに行きたくなったので、とりあえず最寄の大きな駅を目指すことにする。モネの絵やアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真で知られたサン・ラザール駅(Gare Saint-Lazare)である。サクレ・クール寺院正面の階段を下り、商店街を抜けてPigalle駅から地下鉄12号線に乗ってGare Saint-Lazareへ行く。
パリのターミナル駅のなかで最も歴史が古いのがこのサン・ラザール駅なのだそうだ。確かに駅舎は大きく立派だが、発着している列車は殆どが近郊線のようで、駅の風景としてはいまひとつおもしろくない。構内が工事中である所為なのだろうが、エキナカ商店も少ないので、ここで食事をするのは諦めてトイレだけ済ませる。駅前にパリには珍しいスタバがあった。
サン・ラザールから地下鉄13号線に乗り、Varenneで下車。こんどはロダン美術館(Musee Rodin de Paris)を訪れる。ここは個人美術館というにはかなり大規模なものだが、建物の老朽化が酷く、床はその場凌ぎの補修跡だらけ、壁や天井には深そうなひびが走っている。それでも展示品の充実ぶりは特筆もので、ロダンの主要作品はほぼ全て観ることができる。ここのカフェで昼食をいただく。
ロダン美術館を出て、アンヴァリッド(Hotel des Invalides)の前を過ぎ、La Tour-Mauboug駅から地下鉄8号線に乗る。La Motte-Picquet Grenelle駅で6号線に乗り換えてPassy駅で下車する。坂を少し登り、セーヌ川と平行して走るRue Raynouardへ折れてしばらく歩くとバルザックの家(Maison de Balzac)の入口がある。ここは入口だけで、その先は細い階段が下へ続く。かなり急な傾斜地に建てられた家で、上から見ると平屋のようだが、下から見上げれば二階家である。バルザックが暮らしていたのは上の階で、下の階には別の住人がいたそうだ。今でも公開されているのは、バルザックが暮らした上の階だけである。入口から一番奥、セーヌ川が見える部屋に彼の本に使われた挿絵の版型が壁一面に並べられていた。彼の作品を読んでいれば、そのひとつひとつの絵がどの作品のどの場面のものが想像できて楽しいのだろう。彼の作品はひとつも読んだことがないのだが、それでも楽しげな絵ばかりなのだから。かなり破天荒な生活をしていたのだそうで、その作品もさることながら、その人物、まさにその外見が人々に強い印象を振りまいていたのだそうだ。彼がこの家に暮らしたのは1840年からの7年間だけ。生活の場というよりは仕事場であったという。その頃から既に長い年月が経過している所為も勿論あるのだろうが、今日これまでに訪れた個人美術館とは異質の雰囲気があるのは、そこが住宅というより事務所のような雰囲気を感じさせるからかもしれない。
Passyへ戻り地下鉄6号線でセーヌ川南岸へ戻る。Bir-Hakeim駅で下車し、エッフェル塔を仰ぎながらQuai Branlyを歩く。駅を出てすぐに日本文化会館という建物があるが、今日は開いていない。エッフェル塔直下の広場は多くの人で混雑していた。パリのランドマークなので人気があるのはわかるが、それほどのものかとも思う。エッフェル塔を過ぎてほどなくすると草木に覆われた建物の前に出る。それに続いてアクリル板の高い塀の向こうにケ・ブランリー美術館(Musee du quai Branly)の奇抜な建物が見えてくる。この草木に覆われた建物も、美術館の一部で「垂直の庭」という作品なのだそうだ。
日本語表記では「美術館」だが、限りなく民俗博物館に近い内容だと思う。例えば、駒場にある日本民藝館を美術館と認識するだろうか? それとも博物館だろうか? 「美術品」とは何かという言葉の定義に関わってくるのだが、鑑賞や装飾を目的とした工芸品を「美術品」とするなら、ケ・ブランリーも民藝感も美術館とは呼ばないだろう。ちなみに、日本民藝館の英語呼称は「The Japanese Folk Crafts Museum」である。
呼称問題はさておき、この美術館の建物は巨大な高床式住居のような作りになっている。地上部分には外に向かってチケット売り場とレストランがあるだけで、水平方向に抜けている。建物の内部に入ると、そこから長くだらだらとした坂が上階に向かって続いている。上階は照明をおとしてあるので、ちょうど地上から天の魔界にでも登っていくようなものである。それはそれとして面白いとは思うが、やはりこの何も無い地上階部分のスペースがもったいないように見えてしまう。
展示フロアは基本的に一面で、それをオセアニア、アジア、アフリカ、アメリカという地域毎にまとめて、それぞれの土地で使われていた生活用品や祝祭の道具類、楽器などが展示されている。日本のものは浴衣の柄が紹介されていた。人や動物の表現が地域によって様々で、そこに人間というものに対する理解の仕方の違いのようなものが反映されているのだろう。人は解剖学的には人種や民族に関係なくほぼ同じであるはずだが、その同じ物理的存在に対する理解が文化によって異なり、それが道具類のデザインに反映される。デザインは、要するに人の脳内世界の表象であり、その多様性が意味するのは、我々が同じ世界を共有して生きているように見えながら、各自がそれぞれのバーチャルリアリティのなかで生活しているということなのである。だからこそ、人と人とは容易に理解し合えないものなのだ、ということになると思う。
美術館を出てQuai Branlyを横断し、歩行者専用橋であるPasserelle Debillyでセーヌ川を越え、Iena駅から地下鉄9号線に乗る。Franlkin D. Roosevelt駅で1号線に乗り換え、さらにConcorde駅で12号線に乗り換え、Rue du Bac駅で下車する。今日泊るのは、この駅の近くにあるHotel de Beauneという宿だ。素泊まりで一泊60ユーロ。こんなに小さなエレベーターが世の中にあったのかと思うようなもので4階に上がったところが私の部屋である。一泊だからいいようなものの、長く滞在するには無理のある雰囲気だ。先月泊ったのはここよりも5割ほど高い宿だったが、値段の差にはそれ相応の理由があるということがわかる。夕食は、宿の近所にあったEric Kayserというベーカリーで菓子パンのようなものとサラダとミネラルウォーターを買って、部屋に持ち帰って食べた。客の多い店だけあって、なかなかおいしいパンだった。
今回もパリに着いて最初にしなければならなかったのは、地下鉄の切符を買う行列に並ぶことだった。出札口でトラベルパスを買い、Gare du Nordから近いモンマルトル地区へ向かう。
地下鉄4号線に乗り、次のBarbes Rochechouartで2号線に乗り換える。Blancheで下車して地上に出ると、そこにムーランルージュ(Moulin Rouge)があった。なんとなく観光目的の作り物のような風情も漂うが、かつてモンマルトルに芸術家が集まっていた時代には、ここは彼等が集うところでもあったし、作品のモチーフにもなっていた。彼等が何を思いこの赤い風車を描いていたのか、今となっては知る術もないが、なにか訴えるものがあったからこそ作品に残したのだろう。ハリボテのような現在の姿を目の当たりにすると、過ぎ去った時間というのは元には戻らないという当然の現実を痛感しないわけにはいかない。
ムーランルージュを背にRue Fontaineを下り、Rue Chaptalを右に折れると、ロマン派美術館(Musee de la Vie Romantique)の看板が見える。この看板があるのは、美術館に至る路地の入口である。路地を抜けると庭があり、正面と左手に2階建てのこじんまりとした建物、右手に木々が茂った空間がある。この正面の建物が美術館だ。パリの街は通りに面して5階建てくらいの大きな建物が隙間なく並び、その奥に中庭のようなものがあったり、こじんまりとした家があったりというような構造になっている。ロマン派美術館も、そんな奥まった場所に佇んでいる。このロマン派美術館の建物は、オランダの画家アリ・シェフェールの家だったそうだ。ここでデートの待ち合わせをしたら格好良いかもしれないが、ここでデートはできないと思う。
ロマン派美術館を出て、さらに坂道を下ると、通りに面してギュスターヴ・モロー美術館(Musee national Gustave-Moreau)がある。この美術館は世界初の個人美術館と言われており、画家自らが美術館開設の準備をしたそうだ。その所為だろうが、展示作品の充実ぶりが印象的である。どの壁にもいっぱいに作品が飾られ、壁際の棚にはきれいに整理されたデッサンのパネルがびっしりと収納されている。個人美術館というものの見本のようなところである。
モンマルトルと言えば丘である。Trinite d’Estienne d’Orves駅から地下鉄12号線に乗りAbbessesで下車する。この駅の階段は長く、途中の踊り場では立ち止まって休憩している人がいる。地上に出ると、いかにも観光地らしい風景が現れる。土産物屋やカフェが軒を連ねる通りを抜け、長い階段を登って丘の頂上にあるサクレ・クール寺院(Montmartre Basilique du Sacre-Coeur)の前に辿り着く。大勢の観光客で賑わっている上に、ストリートパフォーマーが寺院正面の階段で見世物を披露し、それに人だかりもできているので、人の流れにも渋滞が生じている。パリ市内では、ここが最も標高が高く、市街を見渡すことができる。甍の波というのはこのような風景を言うのだろう。パリの家並みの高さはきれいに揃っている。海に岩が突き出すように、ところどころに教会や駅の大型建築物が点在する。
腹がすいたのとトイレに行きたくなったので、とりあえず最寄の大きな駅を目指すことにする。モネの絵やアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真で知られたサン・ラザール駅(Gare Saint-Lazare)である。サクレ・クール寺院正面の階段を下り、商店街を抜けてPigalle駅から地下鉄12号線に乗ってGare Saint-Lazareへ行く。
パリのターミナル駅のなかで最も歴史が古いのがこのサン・ラザール駅なのだそうだ。確かに駅舎は大きく立派だが、発着している列車は殆どが近郊線のようで、駅の風景としてはいまひとつおもしろくない。構内が工事中である所為なのだろうが、エキナカ商店も少ないので、ここで食事をするのは諦めてトイレだけ済ませる。駅前にパリには珍しいスタバがあった。
サン・ラザールから地下鉄13号線に乗り、Varenneで下車。こんどはロダン美術館(Musee Rodin de Paris)を訪れる。ここは個人美術館というにはかなり大規模なものだが、建物の老朽化が酷く、床はその場凌ぎの補修跡だらけ、壁や天井には深そうなひびが走っている。それでも展示品の充実ぶりは特筆もので、ロダンの主要作品はほぼ全て観ることができる。ここのカフェで昼食をいただく。
ロダン美術館を出て、アンヴァリッド(Hotel des Invalides)の前を過ぎ、La Tour-Mauboug駅から地下鉄8号線に乗る。La Motte-Picquet Grenelle駅で6号線に乗り換えてPassy駅で下車する。坂を少し登り、セーヌ川と平行して走るRue Raynouardへ折れてしばらく歩くとバルザックの家(Maison de Balzac)の入口がある。ここは入口だけで、その先は細い階段が下へ続く。かなり急な傾斜地に建てられた家で、上から見ると平屋のようだが、下から見上げれば二階家である。バルザックが暮らしていたのは上の階で、下の階には別の住人がいたそうだ。今でも公開されているのは、バルザックが暮らした上の階だけである。入口から一番奥、セーヌ川が見える部屋に彼の本に使われた挿絵の版型が壁一面に並べられていた。彼の作品を読んでいれば、そのひとつひとつの絵がどの作品のどの場面のものが想像できて楽しいのだろう。彼の作品はひとつも読んだことがないのだが、それでも楽しげな絵ばかりなのだから。かなり破天荒な生活をしていたのだそうで、その作品もさることながら、その人物、まさにその外見が人々に強い印象を振りまいていたのだそうだ。彼がこの家に暮らしたのは1840年からの7年間だけ。生活の場というよりは仕事場であったという。その頃から既に長い年月が経過している所為も勿論あるのだろうが、今日これまでに訪れた個人美術館とは異質の雰囲気があるのは、そこが住宅というより事務所のような雰囲気を感じさせるからかもしれない。
Passyへ戻り地下鉄6号線でセーヌ川南岸へ戻る。Bir-Hakeim駅で下車し、エッフェル塔を仰ぎながらQuai Branlyを歩く。駅を出てすぐに日本文化会館という建物があるが、今日は開いていない。エッフェル塔直下の広場は多くの人で混雑していた。パリのランドマークなので人気があるのはわかるが、それほどのものかとも思う。エッフェル塔を過ぎてほどなくすると草木に覆われた建物の前に出る。それに続いてアクリル板の高い塀の向こうにケ・ブランリー美術館(Musee du quai Branly)の奇抜な建物が見えてくる。この草木に覆われた建物も、美術館の一部で「垂直の庭」という作品なのだそうだ。
日本語表記では「美術館」だが、限りなく民俗博物館に近い内容だと思う。例えば、駒場にある日本民藝館を美術館と認識するだろうか? それとも博物館だろうか? 「美術品」とは何かという言葉の定義に関わってくるのだが、鑑賞や装飾を目的とした工芸品を「美術品」とするなら、ケ・ブランリーも民藝感も美術館とは呼ばないだろう。ちなみに、日本民藝館の英語呼称は「The Japanese Folk Crafts Museum」である。
呼称問題はさておき、この美術館の建物は巨大な高床式住居のような作りになっている。地上部分には外に向かってチケット売り場とレストランがあるだけで、水平方向に抜けている。建物の内部に入ると、そこから長くだらだらとした坂が上階に向かって続いている。上階は照明をおとしてあるので、ちょうど地上から天の魔界にでも登っていくようなものである。それはそれとして面白いとは思うが、やはりこの何も無い地上階部分のスペースがもったいないように見えてしまう。
展示フロアは基本的に一面で、それをオセアニア、アジア、アフリカ、アメリカという地域毎にまとめて、それぞれの土地で使われていた生活用品や祝祭の道具類、楽器などが展示されている。日本のものは浴衣の柄が紹介されていた。人や動物の表現が地域によって様々で、そこに人間というものに対する理解の仕方の違いのようなものが反映されているのだろう。人は解剖学的には人種や民族に関係なくほぼ同じであるはずだが、その同じ物理的存在に対する理解が文化によって異なり、それが道具類のデザインに反映される。デザインは、要するに人の脳内世界の表象であり、その多様性が意味するのは、我々が同じ世界を共有して生きているように見えながら、各自がそれぞれのバーチャルリアリティのなかで生活しているということなのである。だからこそ、人と人とは容易に理解し合えないものなのだ、ということになると思う。
美術館を出てQuai Branlyを横断し、歩行者専用橋であるPasserelle Debillyでセーヌ川を越え、Iena駅から地下鉄9号線に乗る。Franlkin D. Roosevelt駅で1号線に乗り換え、さらにConcorde駅で12号線に乗り換え、Rue du Bac駅で下車する。今日泊るのは、この駅の近くにあるHotel de Beauneという宿だ。素泊まりで一泊60ユーロ。こんなに小さなエレベーターが世の中にあったのかと思うようなもので4階に上がったところが私の部屋である。一泊だからいいようなものの、長く滞在するには無理のある雰囲気だ。先月泊ったのはここよりも5割ほど高い宿だったが、値段の差にはそれ相応の理由があるということがわかる。夕食は、宿の近所にあったEric Kayserというベーカリーで菓子パンのようなものとサラダとミネラルウォーターを買って、部屋に持ち帰って食べた。客の多い店だけあって、なかなかおいしいパンだった。