サン=テグジュペリの作品と向かい合うのはこれが最初かもしれない。勿論、「星の王子様」は読んだことがある。しかし、長編作品は手にした記憶がない。もし、自分がまだ若い頃、この「戦う操縦士」を読んだとしたら、今のように食い入るように読むことができただろうかと疑問に思う。この作品のなかのフランスは、ドイツ軍の侵攻を止めることができず、敗戦が目前に迫り絶望に満ちていた。そのフランスの軍隊で偵察部隊として戦っていた作者の手によるのが、この作品である。
人が何事かを学ぶのは、おそらく順境にあるときではなく、逆境にあるときなのだろう。物事が自分の予期していた通りに運ばず、それどころか、自分が窮地に陥って初めて、人は自分を取り巻く世界と自分自身とを理解しようと務めるのではないか。そこで思索が深まり、人として成長するのだろう。この作品はそうした作者の思索をまとめたものと言える。やや言葉だけが空回りしている感がなきにしもあらずだが、心に響く文言が夜空の星のように散りばめられている。戦争の最前線にいて、いつ命がなくなるかわからない状況のなかで、言葉が溢れ出てしまうのは当然かもしれない。それを考えれば、むしろ抑制の利いた文章であるといえよう。
以下、その星たちのいくつかを紹介したい。
突撃するときは、かならず先頭に立つ人間が必要だ。そういう人間はほとんどいつでも死ぬ。だが、突撃が存在するためには、先頭に立つ人間は死ななくてはならない。(118頁)
ひとは死を怖れていると思いこんでいる。ところが、不測の出来事、爆発を怖れているのだ。自分自身を怖れているのだ。死を怖れているだろうか? いや、ちがう。死に出会ったとき、もはや死は存在しない。(145頁)
生命というものは、そのときどきの状態によって説明されるものではない。その歩みによって説明されるものだ。(174頁)
すでに建立された大聖堂のなかで香部屋係や貸椅子係の仕事にしがみついている人間は、すでにして敗者である。だが、建立すべき大聖堂を心に宿している人間は、すでにして勝利者である。(175頁)
おのれを赦そうとして、おのれの不幸を宿命のせいにするなら、わたしは宿命に屈することになる。裏切りのせいにするなら、裏切りに屈することになる。だが、その過誤の責任を担うなら、わたしは人間としての力を権利として要求することができる。わたしが結びついているものに働きかけることができる。わたしは人間の共同体を構成する部分となる。(181頁)
愛を築きあげるためには、犠牲からはじめなければならない。そうしてはじめて、愛は他の犠牲をうながすことができるし、それをいっさいの勝利のために用いることができる。人間はいつでも最初の歩みを踏み出すべきだ。存在するまえに誕生しなければならない。(204頁)
1940年、独仏間の休戦が成立すると、サン=テグジュペリはニューヨークに居を移した。しかし、彼の地では英語を話さなかったそうだ。「外国語でぎこちなく言葉を操り、そうやって自分の思考を歪曲することを拒否したのだ」* ということらしい。どこまでもひたむきに自分というものの存在意義を考え続けた人らしいエピソードだ。
*ジョン・フィリップス(著) 山崎庸一郎(訳)「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、その最後の日々」『戦う操縦士』に収載
人が何事かを学ぶのは、おそらく順境にあるときではなく、逆境にあるときなのだろう。物事が自分の予期していた通りに運ばず、それどころか、自分が窮地に陥って初めて、人は自分を取り巻く世界と自分自身とを理解しようと務めるのではないか。そこで思索が深まり、人として成長するのだろう。この作品はそうした作者の思索をまとめたものと言える。やや言葉だけが空回りしている感がなきにしもあらずだが、心に響く文言が夜空の星のように散りばめられている。戦争の最前線にいて、いつ命がなくなるかわからない状況のなかで、言葉が溢れ出てしまうのは当然かもしれない。それを考えれば、むしろ抑制の利いた文章であるといえよう。
以下、その星たちのいくつかを紹介したい。
突撃するときは、かならず先頭に立つ人間が必要だ。そういう人間はほとんどいつでも死ぬ。だが、突撃が存在するためには、先頭に立つ人間は死ななくてはならない。(118頁)
ひとは死を怖れていると思いこんでいる。ところが、不測の出来事、爆発を怖れているのだ。自分自身を怖れているのだ。死を怖れているだろうか? いや、ちがう。死に出会ったとき、もはや死は存在しない。(145頁)
生命というものは、そのときどきの状態によって説明されるものではない。その歩みによって説明されるものだ。(174頁)
すでに建立された大聖堂のなかで香部屋係や貸椅子係の仕事にしがみついている人間は、すでにして敗者である。だが、建立すべき大聖堂を心に宿している人間は、すでにして勝利者である。(175頁)
おのれを赦そうとして、おのれの不幸を宿命のせいにするなら、わたしは宿命に屈することになる。裏切りのせいにするなら、裏切りに屈することになる。だが、その過誤の責任を担うなら、わたしは人間としての力を権利として要求することができる。わたしが結びついているものに働きかけることができる。わたしは人間の共同体を構成する部分となる。(181頁)
愛を築きあげるためには、犠牲からはじめなければならない。そうしてはじめて、愛は他の犠牲をうながすことができるし、それをいっさいの勝利のために用いることができる。人間はいつでも最初の歩みを踏み出すべきだ。存在するまえに誕生しなければならない。(204頁)
1940年、独仏間の休戦が成立すると、サン=テグジュペリはニューヨークに居を移した。しかし、彼の地では英語を話さなかったそうだ。「外国語でぎこちなく言葉を操り、そうやって自分の思考を歪曲することを拒否したのだ」* ということらしい。どこまでもひたむきに自分というものの存在意義を考え続けた人らしいエピソードだ。
*ジョン・フィリップス(著) 山崎庸一郎(訳)「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、その最後の日々」『戦う操縦士』に収載