熊本熊的日常

日常生活についての雑記

良い本、悪い本、普通の本

2008年08月12日 | Weblog
良い本というのは、そこから何か次のものにつながる本だと思う。悪い本は、読んだ後に、どうしてこんな間抜けなものに金と時間を浪費してしまったのだろうと自己嫌悪に陥る本。普通の本は、楽しく読み終えて、それだけの本。

今、須賀敦子の著作集を読んでいるが、ここに至る起点になったのが坪内祐三の「考える人」だった。今となっては記憶にないのだが、この本を注文したのは、別の本に挟まっていた広告か、新潮社のサイトでたまたま目を引いたからにすぎないと思う。ここに紹介されていた「考える人」が16人で、そのなかから神谷恵美子、幸田文、須賀敦子、福田恆存の作品を読もうと思ったのである。

須賀敦子以外の3人の作品は、読んで、ふぅん、と思って、今は宙ぶらりんである。須賀は現在まだ進行形なので、ここから次々と別の作品に飛んで行く。坪内の「考える人」にも選ばれていた吉行淳之介は、坪内の文章ではなく、須賀の文章を読んで手に取る気になった。そして須賀の「トリエステの坂道」に登場する吉行の「樹々は緑か」が収められている「砂の上の植物群」を読むことになった。他にはアン・モロー・リンドバーグ「翼よ、北へ」、サン=テグジュペリ「戦う操縦士」を読み、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」を今読み始めたところである。この後にはナタリア・ギンスブルク、ヨシフ・ブロツキー、ダンテ、マルグリット・デュラス、スーザン・ソンタグ、石川淳、川端康成が控えている。さらに、アマゾンの私のカートにはアントニオ・ダブッキの作品がいくつか入っている。際限がない。

こうしてみると、私にとっては、坪内の「考える人」や、そこから連なる須賀の著作集は良い本ということになる。こんなつながりを振り返って、「なんでだろ?」と思い巡らすのも、本を読む楽しみ方のひとつである。「つながる」のが良い、というのはなにも本に限ったことではない。人間関係もそうだ。もう老後のことを心配しなければならない年齢にさしかかってきたので、これからは「つなぐ」ことを軸に生活を組み立てていきたい。