熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「トウキョウソナタ」

2008年10月01日 | Weblog
あまりにあたりまえの風景を見て驚いた。今でも家族という人間関係が特別なもので、そこは安住の場であるべき、という幻想を抱いている人は少なくないだろう。しかし現実の世界では、些細な理由で親が子を、子が親を殺してしまう事件はもはや珍しいものではない。殺さないまでも、実質的に育児を放棄してしまっている親はそこここにいるだろうし、家族がいるにもかかわらず独居老人が死後数週間そのままという事態ももはや事件ではなくなってしまった。

家族のそれぞれが口に出せない秘密を抱え、表向きは体裁を取り繕いながら生きている、その本音と体裁の二重生活の世界を描いたのがこの作品である、とみることもできるだろう。しかし、それではあたりまえすぎて映画にはならない。香川照之、小泉今日子、役所広司といった芸達者が中心となっていることでかろうじて観るに耐える作品に仕上がっていると言ってもいいかもしれない。

ところが、主人公の家族の二男に焦点を当てると、この作品は「リトル・ダンサー」のような成長譚になる。そうなると、彼の学校での様子とか、教師とのやりとりのエピソードも重みが増す。題名の「ソナタ」も生きる。崩壊する家族も重要な舞台装置となり、表向きのメインキャストは強力な脇役に転じる。掃き溜めのような救い難い世界から、何の脈絡もなく才能ある若者が生まれることで、救いの無い物語のように見えていたものが、人生は捨てたものではないと思えるようになるのである。最後は「月の光」の演奏シーンだが、まるで月ではなくて日が昇るのを眺めるような、希望を感じさせるものに見えた。