こちらに来て1年が過ぎた。もう今更自分の趣味嗜好が変わることなどないだろうと思っていたのだが、人は生きている限り変わり続けるものらしい。自分が意識している変化もそうでない変化もいろいろあるのだろうが、顕著に変わったのは絵の好みである。
例えばナショナル・ギャラリーでは、以前は40番台の展示室で過ごす時間が圧倒的に多かったが、今は8番とSainsbury Wingの50番台60番台に滞留する時間が圧倒的になり、むしろ40番台の部屋には気が向いた時以外は足を運ばなくなってしまった。現時点のお勧め鑑賞順路は今年8月10日付けの本ブログ「ナショナル・ギャラリーを最短時間で鑑賞する法」に書いた通りである。なお、そのなかで触れた作品の一部が10月15日から始まる企画展Renaissance Faces: Van Eyck and Titianのために所定の位置を外れ、企画展会場に移動させられている。常設は無料だが企画展は有料になるので、本展開催中にナショナル・ギャラリーを訪れる予定のある方はお気をつけいただきたい。
昨年9月にこちらに来た頃は、印象派前後の作品のなかに好きなものが多かったが、今はより古い作品に惹かれる。特にルネサンスのイタリア絵画が好きである。当然、古いもののほうが技法の制約も今より強かったはずであり、限られた技術を駆使して絵画世界を創造するが故に、そこに込められた情熱とか情念のようなものがより強いのではないかと思う。また、今とは違い、絵画にはその発注者がいて、製作目的や製作意図が事細かに決められていたはずである。そのようなことも画家にとっては表現の制約になっていた側面もあるだろう。制約があるからこそ、そこを乗り越えようとして様々に腕を磨き、工夫を凝らすのではないか。それが精神の営みというものだろう。観れば観るほど、その精神が何百年もの時を超えて我々に語りかけてくるのではないだろうか。
例えばナショナル・ギャラリーでは、以前は40番台の展示室で過ごす時間が圧倒的に多かったが、今は8番とSainsbury Wingの50番台60番台に滞留する時間が圧倒的になり、むしろ40番台の部屋には気が向いた時以外は足を運ばなくなってしまった。現時点のお勧め鑑賞順路は今年8月10日付けの本ブログ「ナショナル・ギャラリーを最短時間で鑑賞する法」に書いた通りである。なお、そのなかで触れた作品の一部が10月15日から始まる企画展Renaissance Faces: Van Eyck and Titianのために所定の位置を外れ、企画展会場に移動させられている。常設は無料だが企画展は有料になるので、本展開催中にナショナル・ギャラリーを訪れる予定のある方はお気をつけいただきたい。
昨年9月にこちらに来た頃は、印象派前後の作品のなかに好きなものが多かったが、今はより古い作品に惹かれる。特にルネサンスのイタリア絵画が好きである。当然、古いもののほうが技法の制約も今より強かったはずであり、限られた技術を駆使して絵画世界を創造するが故に、そこに込められた情熱とか情念のようなものがより強いのではないかと思う。また、今とは違い、絵画にはその発注者がいて、製作目的や製作意図が事細かに決められていたはずである。そのようなことも画家にとっては表現の制約になっていた側面もあるだろう。制約があるからこそ、そこを乗り越えようとして様々に腕を磨き、工夫を凝らすのではないか。それが精神の営みというものだろう。観れば観るほど、その精神が何百年もの時を超えて我々に語りかけてくるのではないだろうか。