先日、時差ぼけで眠いのを我慢して、仕事帰りにTATE Modernに寄ってロスコ展を観てきた。私にはどこが良いのかわからないが、平日の夜間でしかもTATEの会員限定であるにもかかわらず、会場入口には行列ができるほど賑わっていた。勿論、こういうものが好きで来ている人も多いだろうし、私のように素朴な好奇心に駆られているだけの人のいるだろうし、社交の場として利用している人もいるだろう。しかし、なかには投資対象として美術品を見ていて、その勉強のために来ている人も案外多いのではないかと想像している。
TATEに足を運ぶようになって1年になるが、傾向としてはTATE Britainで開催される展覧会よりもTATE Modernのほうが観客動員力が強いように感じるのである。Britainに比べてModernのほうがやや立地が市街地寄りであるという所為もないわけではないだろうが、展覧会の内容が大きな要素であるように思う。現代美術というのは、いろいろな意味で身近なのだろう。
ロスコは、そのキャリアの前半においてはシュールレアリズム風の作品を描いていたが、後半は専らこの展覧会に出品されているような色の濃淡だけの作品に徹している。しかも、彼は自分の作品を展示する際には、他の作家の作品と一緒に並べないで欲しいという要望を出している。確かに、彼の作品はカーテンとか壁紙のようなもので、部屋のなかの複数の面、できれば四面全てに並べることで、その部屋全体の雰囲気をプロデュースするようにできている。
日本でも佐倉の川村記念美術館にロスコ・ルームがある。私は美術の門外漢だが、敢えて言わせてもらえば、ここの展示は少し濃密過ぎるような気がする。もう少し大きめの空間に、もう少しおおらかに展示したほうが、観る人に身近なものを感じさせるのではないだろうか。あれでは窮屈でゆっくりできない。もともとレストランの壁を飾るための作品だったのだから、そのあるべき姿というものを想像できるような工夫があってもよいのではないかと思う。
さて、TATEのロスコ展だが、これは小さな習作から巨大な作品まで多数揃えられ、展示の部屋も小さなものから大きなものまで9室を使ってロスコの世界を堪能できるようになっている。シーグラムビルの社員食堂の壁面を飾るはずだった作品群も、その食堂の模型とともに展示されている。絵そのものではなく、それの組み合わせと配置の仕方を含めて作品とするというところが一般の絵画とは違うところだ。カーテンや壁紙のようなものと私は思うのだが、美術の世界では画期的な作家であるらしい。自分の家を新築したり新しい家に引っ越したりするとき、カーテンや壁紙に思い悩む人も多いだろうし、それが楽しいと感じる人もあるだろう。そのときに、既製品の枠を超えられないのが一般人で、自ら創造してしまうのが芸術家、とも言えるような気がする。
TATEに足を運ぶようになって1年になるが、傾向としてはTATE Britainで開催される展覧会よりもTATE Modernのほうが観客動員力が強いように感じるのである。Britainに比べてModernのほうがやや立地が市街地寄りであるという所為もないわけではないだろうが、展覧会の内容が大きな要素であるように思う。現代美術というのは、いろいろな意味で身近なのだろう。
ロスコは、そのキャリアの前半においてはシュールレアリズム風の作品を描いていたが、後半は専らこの展覧会に出品されているような色の濃淡だけの作品に徹している。しかも、彼は自分の作品を展示する際には、他の作家の作品と一緒に並べないで欲しいという要望を出している。確かに、彼の作品はカーテンとか壁紙のようなもので、部屋のなかの複数の面、できれば四面全てに並べることで、その部屋全体の雰囲気をプロデュースするようにできている。
日本でも佐倉の川村記念美術館にロスコ・ルームがある。私は美術の門外漢だが、敢えて言わせてもらえば、ここの展示は少し濃密過ぎるような気がする。もう少し大きめの空間に、もう少しおおらかに展示したほうが、観る人に身近なものを感じさせるのではないだろうか。あれでは窮屈でゆっくりできない。もともとレストランの壁を飾るための作品だったのだから、そのあるべき姿というものを想像できるような工夫があってもよいのではないかと思う。
さて、TATEのロスコ展だが、これは小さな習作から巨大な作品まで多数揃えられ、展示の部屋も小さなものから大きなものまで9室を使ってロスコの世界を堪能できるようになっている。シーグラムビルの社員食堂の壁面を飾るはずだった作品群も、その食堂の模型とともに展示されている。絵そのものではなく、それの組み合わせと配置の仕方を含めて作品とするというところが一般の絵画とは違うところだ。カーテンや壁紙のようなものと私は思うのだが、美術の世界では画期的な作家であるらしい。自分の家を新築したり新しい家に引っ越したりするとき、カーテンや壁紙に思い悩む人も多いだろうし、それが楽しいと感じる人もあるだろう。そのときに、既製品の枠を超えられないのが一般人で、自ら創造してしまうのが芸術家、とも言えるような気がする。