熊本熊的日常

日常生活についての雑記

血と肉

2008年10月30日 | Weblog
昨日、鶏南蛮を作るとき、鶏肉に血のついた部分があった。そのまま使ったら、やはり血の部分はまずかった。血と肉というのは、生きているときには渾然一体となって生命活動に従事しているように思われるのだが、こうして命が失われてみると、明確に別の物であることを否応無く思い知らされる。血と肉が別のものであるなど生きているときでも当然なのだが、生命のありようを示すものとして、一体として認識されているように思う。例えば、「血となり肉となる」とか「血沸き肉踊る」という表現がある。血も肉も生命体そのものを象徴している。しかし、命が絶えてみれば、血も肉もそれぞれに腐敗していく。料理という、その血や肉のもともとの当事者にとっては想像だにしなかった場面においては、それらが混じり合った状態は甚だ好ましくないということになってしまう。

似たようなことは他にもあるのではないか。それまでは一体のものとして認識されていたものが、相が変化した瞬間に分離、対立するものになってしまう。人間関係などその典型だろう。水魚之交というが、水と魚は別物だ。特段に問題が無い時は親しい間柄が、少なくとも片方に問題が生じると、別離や対立に至ってしまうのはよくあることだろう。

尤も、血を使った料理もある。赤身魚の血合いを使った料理は数多くある。味はともかく、スッポンは肉も血もどちらも使われる。山羊をつぶすとき、その血を集めて血餅煎餅のようなものを作って食べるところもあると聞く。しかし、しょせん血と肉は別物だ。料理のときには、きちんと分けないといけない。