一時帰国の時に日本で手にした芸術新潮にフェルメールの特集記事があった。そのなかで、ロンドンにKenwood Houseというものがあり、そこにフェルメールの作品があることを知った。別にフェルメールが好きなわけでもないのだが、フェルメールが飾ってあるほどのところで、自分が知らない場所が目と鼻の先にあるというのはなんとなく気になるので出かけてきた。
Kenwood Houseには絵画がたくさん飾られているが美術館というわけではない。どのような由来の建物なのか知らないが、1925年にEdward Cecil Guinness, first Earl of Iveaghという人がこの屋敷を購入し、現在あるようなコレクションを集めたのだそうだ。この建物はEnglish Heritageのひとつであり、建物自体も保存の対象となっている。内装や外装を見るだけでも老朽化が著しいのは明らかで、現在は建物の一部が足場に囲まれて補修作業が行われていた。
建物は2階建で、1階の大部分と2階の一部が公開されている。その殆どの部屋に絵画が飾られており、特に2階には肖像画ばかりが並んでいる。イギリスは並外れた肖像画好きの国だということを以前何かで読んだ記憶がある。肖像画が自分の先祖のもので、それがたくさん並ぶのは、それだけ自分の家が由緒正しいということを意味するから、ステイタスとして肖像を残すのだそうだ。オークションなどでも肖像画の売れ行きは良く、購入するのは成金とホテルが多いのだそうだ。自分と縁もゆかりも無い人の肖像を飾ってどうするのかと思うのだが、家に肖像画が飾れているということに意味があるのだろう。
以前、力のある作品は遠くから見てもすぐにそれとわかる、というようなことを書いた(2008年8月10日 ナショナル・ギャラリーを短時間で見学する法)。ここで改めてそのことが確認できる。薄暗い部屋に大小様々な絵画が飾られているのだが、部屋に入った瞬間にフェルメールの作品とレンブラントの自画像はすぐにわかる。私は、今日初めてこの「The Guitar Player」という作品と対面した。それでも、壁を一見するだけで、それがただならぬ作品であることがすぐにわかるのである。尤も、フェルメールの作品のなかでは、この作品の出来は良いほうではないような気がする。色彩や光の感じはフェルメールだが、全体としては描写が粗く、フェルメールらしい緻密さに欠けているように思われる。
実は、この粗さが気になったので、このあとNational Galleryに足を運んで、「A Young Woman seated at a Virginal」と「A Young Woman standing at a Virginal」を観てきた。やはり人物の顔とか衣服の皺とかの表現がGuitar Playerはあまい感じが否めない。
なにはともあれ、とりあえず観ておくべきものを観たという爽やかな気分が残る一日となった。