そのスーパーのすぐ近くにある中国食材店で、似たような詰め合わせの冷凍品が1キロ3.98ポンドで売られているのを発見してしまった。さっそく1つ買って帰り、シーフードカレーを作った。カレールーはスーパーの1瓶440グラム入9ペンスのものを使う。野菜類はいつもと同じものを使ったが、なんとなく軽い感じがした。なぜだろう?
ところで、今、インターネット接続を2つの会社と契約している。BTのADSLとVodafoneのMobile Internetである。回線がいつでも問題なく接続できるのなら、どちらか片方だけで用が足りる。用が足りないから2回線を確保しておかなければならないのである。最近はBTの調子が良く、Vodafoneは調子が悪い日が多い。たまたま最近の状況がそうなのであって、いつ逆になるかわからない。無駄なようなのだが、仕方がないのである。地下鉄だけでなく、この国のインフラは先進国とは思えないお粗末なものだ。
もともとミニマリズムを指向しているので、それほど生活に無駄があるとも思えないのだが、こうしてみるとまだまだいくらでも節約の余地はありそうだ。以前、仕事でいろいろなメーカーの経営を調べていて、どの会社も異口同音に毎年のように「コスト削減」を唱えているのを不思議に思っていた。なぜ一気に削減せずに小出しにするのだろうと。ひとりで生活をするようになって、じわりじわりと生活の工夫を重ねる感覚がなんとなく皮膚感覚として理解できるようになった。誰が見ても明らかな無駄もあれば、合理性のある費用もある。ちょっとした気付きで変わることもあれば、試行錯誤のなかで工夫を重ねることもある。できることは毎日同じではない。環境が変われば利用可能な材料というものも自ずと変わる。そうしたなかで、乾いた雑巾を絞るような根気強さで、日々の生活を見直す姿勢というものがないと生活は漫然と流れてしまうのである。