熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「倫敦塔・幻影の盾」

2008年10月11日 | Weblog
何十年かぶりに漱石を読んだ。新潮文庫版の短編集である。表題作のほか「カーライル博物館」「琴のそら音」「一夜」「薤露行」「趣味の遺伝」が収載されている。これらの作品のなかで、「倫敦塔」と「カーライル博物館」はロンドン滞在中の出来事を描写したものであろうし、「幻影の盾」や「薤露行」はイギリスの伝説系文学に材を得たものらしい。しかし、いずれの作品も帰国後の1905年から1906年にかけて発表されたものである。当時はまだ文学者が本業であり、小説や創作を書くのは余技としてである。職業作家になるのは1907年からだ。これらの作品は、小説家夏目漱石誕生の助走期間中のものと考えることもできるのかもしれない。

漱石がロンドンに留学していたのは彼が30代の前半であった1900年から1902年にかけてのことだ。若い頃から神経衰弱だの肺結核だのと病気ばかりしていたようだ。ロンドン滞在中も現地での生活に馴染むことができず、神経衰弱が悪化しているようで、下宿を転々とかえている。しかし、それでも最後に住んだClaphamにある家には1年4ヶ月も暮らしており、落ちついたというのか、諦めがついたというのか、そのいずれかなのであろう。ロンドンでの生活が漱石の創作活動に大きな影響を与えていることは紛れも無いことである、と言われている。

さて、作品についてだが、文章のリズムが心地よいことを改めて認識した。内容も陳腐なところがない。科学技術がどれほど発達したところで人間の内面というものはそれほど大きくは変わらないということなのだろう。「倫敦塔」と「カーライル博物館」以外は恋心をモチーフにしている。短編ではあっても小説で、文語調の表現なので、それなりに文学風ではあるが、エッセンスの部分は昔のテレビ番組「パンチdeデート」のようなものである。初対面で相手の外見以外に何の情報も持っていないのに、その印象だけで好きになったり嫌いになったりする心理の神秘を描いている。といっても、神秘を解き明かそうというのではない。神秘は容易に解明できないからこそ神秘なのである。明治時代の文章なので、多少は読みにくいところもあるが、そうした人の心の不思議なありようを、軽妙な会話と歯切れの良い状況説明によって描きだしている。

漱石が生きた時代の恋愛とはどのようなものだったのだろうか。所謂前期三部作(「三四郎」「それから」「門」)にしても後期三部作(「彼岸過迄」「行人」「こころ」)にしても、今とそれほどかわらぬ恋愛、あるいはその苦しみを描いているように見える。これらの作品の下敷きになっているのが「趣味の遺伝」であったりするのではないだろうか。「趣味の遺伝」はたわい無い話なのだが、これに恋成らぬ恋とか禁断の恋の要素を散りばめ、それによって主人公の悩みが深くなると、これら三部作に行き着くのではないか。そんなことが気になり始めたら、漱石をもういちど読みたくなってきた。