柳家小三治の独演会にでかけてきた。前座の後、殆どマクラらしいマクラもなく「長屋の花見」でたっぷり聴かせて仲入り。締めは期待に違わぬ長いマクラ。話題はうがいのことと傷を治すバンドエイドのこと。ひょっとして、マクラだけで終わってしまうのかと思ったら、ちゃんと「品川心中」でまとまった。
前座は柳亭燕路で「粗忽の釘」これは上方では「宿替え」と呼ばれている噺で、私が持っている枝雀のDVDボックスにも収録されている。今回は前座で演るということで短縮形なのだが、本来は一反風呂敷にまとめた荷物が持ち上がらなくて、ひとつひとつ降ろさせるくだりも聞かせどころのひとつである。中心となるのは箒をかけるのに柱に釘を打とうとして、壁に打ち込んでしまい、隣の家に謝りにいくところの顛末で、隣の亭主とのやりとりのなかでサゲをつける。サゲも、今回は短縮形で伏線を張る余地が限られていたことから、さらりとまとめられていた。
「長屋の花見」は落語を知らない人でも、だいたいの話は耳にしたことがあるのではないだろうか。それほど有名な噺である。この噺に限らず、古典というのは筋もサゲも予め知っていて聴くのである。それでも楽しいのは、そこに落語家の芸があるからだ。それは一期一会のようなものもあり、何がどうというのではないが、DVDで観るのではなく、落語会に足を運んでみないと味わうことのできない部分が大きいと思う。よく知られた話ほど噺家の力量が出るもので、「此の噺は本当はこんなに面白いものだったのか」という発見があると、聴きに来てよかったと嬉しくなる。
「品川心中」は廓噺なので、そのままではわからない。噺の途中に用語解説を加えながらの進行になる。文化とか習俗というものは時代とともに変化するものなので、昔の話をそのままかけても聴くほうにはわからない。そこはなんとか工夫しなければならないが、聴くほうも当然の教養として自分の国の歴史や文化はある程度知っておかねばならないだろう。歌舞伎も能も、もとは大衆芸能である。それが今となっては、何の予備知識も無しに観たのではわけがわからない。落語も同じことだろう。尤も、廓というものが日本人として知っているべきものかどうか、という議論はまた別のことである。
ちなみに前回、昨年6月に草加で聴いたときは「蒟蒻問答」と「小言念仏」だった。やはり「小言念仏」のマクラが長く、このまま終わってしまうのではないかと思ったのを思い出した。マクラの割合についてはいろいろ意見もあるだろうが、会場の雰囲気に合わせて高座と客席を一体化させるものなら長かろうが短かろうがどちらでもよいのではないかと思う。時々、高座と客席の間に微妙な断絶があって、まるでテレビを観ているような心持になる落語会に出くわすのだが、あれはいかがなものかと思う。そういうものがあることを考えれば、今日の小三治の独演会は、噺が終わって幕が下りた後の心地がなんとも良い塩梅で、遥々立川まで出かけてきた甲斐があった。
聴きに行きたい落語会はたくさんあるのだが、生憎、夜の仕事なので平日夜の会に出かけることができない。それでも現時点でチケット入手済みの落語会は以下のようなものだ。
4月10日土曜日 桂文珍 春風亭昇太 (国立劇場)
4月18日日曜日 林家たい平 柳家喬太郎 (蕨市民会館)
5月16日日曜日 桂三枝 古今亭菊之丞 立川談笑 桂三若 三遊亭王楽 (足立区シアター)
6月12日土曜日 柳亭市馬 立川談笑 柳家花緑 (関内ホール)
7月10日土曜日 柳家花緑 (行徳文化ホール)
7月24日土曜日 桂雀々 立川志らく (日経ホール)
チケットはイープラスで購入しているのだが、案内のメールが来て、日程が週末なら、とりあえず申し込むことにしている。そうしたら、こんなふうに夏まで予定が入ってしまったのである。
前座は柳亭燕路で「粗忽の釘」これは上方では「宿替え」と呼ばれている噺で、私が持っている枝雀のDVDボックスにも収録されている。今回は前座で演るということで短縮形なのだが、本来は一反風呂敷にまとめた荷物が持ち上がらなくて、ひとつひとつ降ろさせるくだりも聞かせどころのひとつである。中心となるのは箒をかけるのに柱に釘を打とうとして、壁に打ち込んでしまい、隣の家に謝りにいくところの顛末で、隣の亭主とのやりとりのなかでサゲをつける。サゲも、今回は短縮形で伏線を張る余地が限られていたことから、さらりとまとめられていた。
「長屋の花見」は落語を知らない人でも、だいたいの話は耳にしたことがあるのではないだろうか。それほど有名な噺である。この噺に限らず、古典というのは筋もサゲも予め知っていて聴くのである。それでも楽しいのは、そこに落語家の芸があるからだ。それは一期一会のようなものもあり、何がどうというのではないが、DVDで観るのではなく、落語会に足を運んでみないと味わうことのできない部分が大きいと思う。よく知られた話ほど噺家の力量が出るもので、「此の噺は本当はこんなに面白いものだったのか」という発見があると、聴きに来てよかったと嬉しくなる。
「品川心中」は廓噺なので、そのままではわからない。噺の途中に用語解説を加えながらの進行になる。文化とか習俗というものは時代とともに変化するものなので、昔の話をそのままかけても聴くほうにはわからない。そこはなんとか工夫しなければならないが、聴くほうも当然の教養として自分の国の歴史や文化はある程度知っておかねばならないだろう。歌舞伎も能も、もとは大衆芸能である。それが今となっては、何の予備知識も無しに観たのではわけがわからない。落語も同じことだろう。尤も、廓というものが日本人として知っているべきものかどうか、という議論はまた別のことである。
ちなみに前回、昨年6月に草加で聴いたときは「蒟蒻問答」と「小言念仏」だった。やはり「小言念仏」のマクラが長く、このまま終わってしまうのではないかと思ったのを思い出した。マクラの割合についてはいろいろ意見もあるだろうが、会場の雰囲気に合わせて高座と客席を一体化させるものなら長かろうが短かろうがどちらでもよいのではないかと思う。時々、高座と客席の間に微妙な断絶があって、まるでテレビを観ているような心持になる落語会に出くわすのだが、あれはいかがなものかと思う。そういうものがあることを考えれば、今日の小三治の独演会は、噺が終わって幕が下りた後の心地がなんとも良い塩梅で、遥々立川まで出かけてきた甲斐があった。
聴きに行きたい落語会はたくさんあるのだが、生憎、夜の仕事なので平日夜の会に出かけることができない。それでも現時点でチケット入手済みの落語会は以下のようなものだ。
4月10日土曜日 桂文珍 春風亭昇太 (国立劇場)
4月18日日曜日 林家たい平 柳家喬太郎 (蕨市民会館)
5月16日日曜日 桂三枝 古今亭菊之丞 立川談笑 桂三若 三遊亭王楽 (足立区シアター)
6月12日土曜日 柳亭市馬 立川談笑 柳家花緑 (関内ホール)
7月10日土曜日 柳家花緑 (行徳文化ホール)
7月24日土曜日 桂雀々 立川志らく (日経ホール)
チケットはイープラスで購入しているのだが、案内のメールが来て、日程が週末なら、とりあえず申し込むことにしている。そうしたら、こんなふうに夏まで予定が入ってしまったのである。