平塚市美術館で開催中の「長谷川潾二郎展」を観てきた。平塚は自分の生活圏外なので足を運ぶことは無いのだが、何年か前に同館で開催された「山本丘人展」を観に来たときに印象の良い場所だと感じた。初めての土地を訪れたときに、なんとはなしに感じる心地よさとか不快さというものがある。特別な理由があるわけではないのに、好きな場所もあれば嫌いな場所もある。不思議なことである。
この展覧会のことは都内のどこかの美術館にあったチラシで知った。長谷川潾二郎という名前は聞いたこともなかったのだが、そのチラシに載っていた絵に心引かれるものを感じて出かけてきたのである。
チラシの表面は「猫」という作品だ。画家が飼っていたタローという名の猫だそうだ。実物は6号の大きさのカンバスに描かれている。背景はエンジの床と鼠色の壁、その境目で縞模様の猫が気持ち良さそうに眠っているという画である。猫の丸まり具合というか伸び具合というか、そうした形と猫の毛の色艶の様子と、それらの全体のなかでのバランスと、諸々があって惹かれたのだと思う。展示会場では終わりに近いほうの一画にある。作品の隣には画家の手になる「タローの履歴書」というものの拡大コピーが展示されている。ただの猫ではなく、画家に愛されていた猫なのである。その眼差しがあればこそ、画家と猫との関係とは無関係な第三者の眼を惹き付ける作品になるということなのだろう。
この猫には片側の髭しか描かれていない。しかも、身体を覆う毛の緻密な表現に対して、髭は取って付けたような簡略な表現である。この髭を巡って評価は分かれているのだそうだ。この作品はこれでよい、とする派と、髭は蛇足だとする派である。そのような話を聞くと、髭のない版というものが存在しない以上、髭の有無を論じることは現実と空想との対比でしかないのだから、そもそも論じようが無いのではないか、と私などは思ってしまう。展示会場の最初に飾られているのは「猫と毛糸」という、やはり猫を描いた作品だが、こちらの猫には髭がない。それでも「猫」と比べると、全体として写実性の薄い作品なので髭が無いことに然したる違和感は覚えない。「猫」の場合は猫の身体の完成度に対して髭の表現が適合していないから問題視されることになるのだろう。要するに作品を構成する諸要素間の関係が調和しているのかいないのか、いないとすれば何が問題なのか、という議論なのだろう。門外漢の私がとやかく言うことではない。言えるのは、この画が好きだということだけだ。
初めて出会う作家であったのと、惹かれる作品が多かったので、図録を購入した。この図録には画家が書いた文章も収録されている。パネルにして展示会場に掛けられている文章は当然全て収められているが、「写生を見る人々」と「タローの思い出」というまとまったものもある。画もさることながら、文章も面白い。自分の世界というものをしっかりと持ち、その世界をしっかりと生きているという凛とした姿勢が伝わってきて、読んでいて気持ちがよい。
この展覧会のことは都内のどこかの美術館にあったチラシで知った。長谷川潾二郎という名前は聞いたこともなかったのだが、そのチラシに載っていた絵に心引かれるものを感じて出かけてきたのである。
チラシの表面は「猫」という作品だ。画家が飼っていたタローという名の猫だそうだ。実物は6号の大きさのカンバスに描かれている。背景はエンジの床と鼠色の壁、その境目で縞模様の猫が気持ち良さそうに眠っているという画である。猫の丸まり具合というか伸び具合というか、そうした形と猫の毛の色艶の様子と、それらの全体のなかでのバランスと、諸々があって惹かれたのだと思う。展示会場では終わりに近いほうの一画にある。作品の隣には画家の手になる「タローの履歴書」というものの拡大コピーが展示されている。ただの猫ではなく、画家に愛されていた猫なのである。その眼差しがあればこそ、画家と猫との関係とは無関係な第三者の眼を惹き付ける作品になるということなのだろう。
この猫には片側の髭しか描かれていない。しかも、身体を覆う毛の緻密な表現に対して、髭は取って付けたような簡略な表現である。この髭を巡って評価は分かれているのだそうだ。この作品はこれでよい、とする派と、髭は蛇足だとする派である。そのような話を聞くと、髭のない版というものが存在しない以上、髭の有無を論じることは現実と空想との対比でしかないのだから、そもそも論じようが無いのではないか、と私などは思ってしまう。展示会場の最初に飾られているのは「猫と毛糸」という、やはり猫を描いた作品だが、こちらの猫には髭がない。それでも「猫」と比べると、全体として写実性の薄い作品なので髭が無いことに然したる違和感は覚えない。「猫」の場合は猫の身体の完成度に対して髭の表現が適合していないから問題視されることになるのだろう。要するに作品を構成する諸要素間の関係が調和しているのかいないのか、いないとすれば何が問題なのか、という議論なのだろう。門外漢の私がとやかく言うことではない。言えるのは、この画が好きだということだけだ。
初めて出会う作家であったのと、惹かれる作品が多かったので、図録を購入した。この図録には画家が書いた文章も収録されている。パネルにして展示会場に掛けられている文章は当然全て収められているが、「写生を見る人々」と「タローの思い出」というまとまったものもある。画もさることながら、文章も面白い。自分の世界というものをしっかりと持ち、その世界をしっかりと生きているという凛とした姿勢が伝わってきて、読んでいて気持ちがよい。