熊本熊的日常

日常生活についての雑記

木曜日

2010年04月08日 | Weblog
火曜水曜と習い事で身体の稼働時間が長い所為か、木曜はゆっくり起きて夕方の出勤までのんびり過ごすという習慣が定着しつつある。今生活している地域では、木曜が古紙回収の日なので、そろそろダンボールや古雑誌を出さないといけないとは思いつつ、回収時間前に起床できない日が続いている。今日も出しそこなったので、来週こそは、と今から緊張している。間抜けな話だ。

家にいるからといっても、ぼぉっとしている余裕はない。掃除をしたり、洗濯をしたり、数日前に洗濯をして仕舞っていないものがあればアイロンをかけたりしなければならない。家に居ても腹は減るので炊事もしなくてはならない。何かと多忙なのである。

一人暮らしを始めて2年半になるが、結婚していた頃から掃除や炊事はやっていたので、家事に不自由は全く感じない。家に専業主婦がいて、なぜ自分が家事をしなければならなかったのか、今から思えば不思議な気がしないこともないのだが、何故か家事は一通りできてしまうのである。ありがたいことである。

ただ、炊事に関しては一人暮らしが長くなると、たまに人が来て食事を出したりする場面で量の加減がわからずにまごついたりする。コーヒーを淹れるにも、例えば豆の量を一人分の倍にしたのでは濃すぎてしまう。一人当たりの量があり、それを人数倍しても適量にはならないのが集団の難しいところである。このあたりの加減は、ものによって違うので、コーヒーの豆の量での経験を他のことに敷衍できるとは限らない。おそらく、こういうことは炊事に限らないのだろう。

個別最適を組み合わせただけでは全体最適には至らない。言われてみれば、そういうものだろうとは思うのだが、いざ個別具体的な分野で自分が当事者となって最適を模索するとなると容易なことではない。そういうところに、例えば組織の管理職の能力が試されたりするのかもしれない。そんなことをぼんやり思う木曜の昼下がりである。