熊本熊的日常

日常生活についての雑記

体調がよくない休日は家でざるそば

2008年08月17日 | Weblog
体調が悪い。どこがどう悪いということではなく、倦怠感がひどい。そういう時は眠るのが一番である。というわけで、今日はほぼ一日中寝ていた。しかし、腹が減るので、寝てばかりもいられない。ざるそばでも食べようかと思い、近所の中華食材店へそばとそばつゆの具を買いに出かける。

最近気に入っている具は鶏肉なのだが、たまには変わったものにしようと思い、冷凍のホタテ貝柱にする。貝柱のサイズによって、同じ重さでも値段が違う。ここは奮発して、一番大きいサイズのものを選ぶ。1キログラムで14.50ポンドだ。レジの近くに日清食品のレトルト中華デザートシリーズが並んでいた。ぜんざいと、杏仁豆腐と黒胡麻スープを買う。

家に帰ってまずはそばつゆを作る。湯を沸かし、乾燥昆布の切れ端、鰹節をぶっこむ。玉葱をスライスし、マッシュルームもスライス。これらも鍋に入れ、ホタテの貝柱を入れる。見事な貝柱。さすがキロ14.5ポンド。みりんが中途半端に残っていたので、これを鍋にあけてしまう。

別の鍋に水を入れて火にかける。沸いたらそばを入れて茹でる。このそばは、じつはそばではない。「HOSAN」というブランドで、そば以外にも日本の食材が出回っているが、これは韓国の会社のものである。では、この「そば」は何かというと、そば風冷麺なのである。そばではないが、味に不満があるわけでもないので、今日はこれを買ったが、やはり日本そばを選ぶことができるなら、そちらを食べたかった。

そばを茹でている間に、そばつゆの味を確認。醤油で味を調え、火を止める。そばをざるにあげて水洗い。そばを茹でた湯で、レトルトのぜんざいを加熱。

さすがに大きなホタテは風味豊かでおいしい。そばもそばつゆも完食。ぜんざいは甘さ抑え目。これは中国風なのか今風なのか。でも、おいしい。体調も少し良くなる。平和な休日。

北京といえば

2008年08月16日 | Weblog
中学生の頃、海外の短波放送を聴くことに熱中したことがある。当時、そのような趣味が「BCL」と呼ばれて流行っていたのである。お年玉で松下のクーガ2200を買った。本当はソニーのスカイセンサーが欲しかったのだが、予算の関係でそれほど大きくもない価格差を超えることができなかった。電波というのはデリケートなもので、昼間のノイズの多い時間帯よりは夜のほうが受信しやすい。季節の影響や太陽の黒点活動の影響もある。短波放送は遠くまで届くのだが、こうしたノイズの影響がはっきりと出る。そうした数々の障害を乗り越えて聞こえてくるラジオからの声を一生懸命聞き取ったものである。もちろん、日本語しかわからないので、聴くのは海外の日本語放送だ。VOAやBBCは受信できても、ドイチエベレは聴いた記憶がないし、ましてや、「アンデスの声」を聴くことなど絶望的だった。放送を聴くことができたら、所定の様式のレポートを書き、国際返信切手券を添えて放送局へ送るのである。そのレポートの内容で放送の受信が確認されれば、ベリカードというはがき大のカードを送ってもらうことができる。

頂いたものに関して印象深いのが北京放送で、カードだけではなく、カレンダーやポスターなどが送られてきた。そのポスターは、天安門広場で大勢の人々を前に手を振る毛沢東の姿を描いた絵だった。その絵の下に日本語で「文化大革命を最後まで成功させよう」と書いてあったのを覚えている。今となっては遠い昔のことである。

北京といえば、私のなかではいつまでも、この北京放送のポスターなのである。

オリンピック

2008年08月15日 | Weblog
家にテレビもないし、それほど関心もないので、オリンピックのことがわからない。それでも、ネットを開くとメダルの数とか、勝った負けたという話題はたくさん並んでいる。レスリングで銅メダルだった選手が、判定に不服があって、よりによって表彰式で怒り心頭に発して「金じゃなければ意味がない」と言って自分のメダルを投げつけてしまったというニュースも目にした。開会式で国歌を唱った女の子が口パクだったとか、判定に抗議して罰金をくらった監督がいるとか、しょうもないことも目にする。

中国にしてみれば、国威発揚の行事なのだろう。写真でしか見ていないが、北京の町や空港の整備は、予想はされていただろうが、気合いの入ったものだ。聖火リレーを巡る一連の騒動は、国家とオリンピックとの関係について饒舌に語っている。

選手個人にしてみたら、自分の存在意義を賭けて競技をしている人もいるだろう。ただ、選手の多くは若者である。彼等のほんとうの人生はオリンピックの後に始まる。そこに出場するというだけでも偉業であることにちがいないが、その経験を、その後にどのように活かすかということのほうがもっと重要な個人的課題だろう。

オリンピックとは何なのだろう? 平和の祭典と言われながら、オリンピック開催中に参加国間で戦争が起こるし、オリンピックを観に来た人が殺されたりもする。これでは平和の祭典にならないだろう。当初の意図は平和の尊さを認識することだったかもしれないが、今はそんな企画意図があるとは思えない。

経済発展の足がかりとしての公共投資の場、という見方もある。しかし、オリンピックの施設建設にどれほどの波及効果があるのだろうか? 確かに、1964年の東京大会では、オリンピック開催に合わせて首都高速道路の整備や新幹線の開業があった。オリンピックを機にテレビの普及が加速したという現象も見られた。これらは、既に経済成長の流れがあり、その節目のひとつとしてオリンピックがあったということを語っているに過ぎない。むしろ、東京大会は、その前のローマ大会や72年のミュンヘン大会とともに、戦後復興の象徴的行事という色彩が強かったのではないだろうか。

結局、国を超えた行事というものは、どのような形であれ、政治イベントなのである。巨額の金が動き、利権を巡って人々が右往左往する。人類の欺瞞の象徴とでも言えようか。何はともあれ、無事に閉会式を迎えることを祈っている。

管理職とは何を管理するのか?

2008年08月14日 | Weblog
職場で1週間おきに東京や在宅勤務の人たちとの電話会議がある。会議といっても何事かを話し合う場ではなく、連絡事項の伝達ような場でしかない。要するに、あってもなくてもどうでもよいものだ。その所為か、当初は1週間おきというはずであったが、5月以降は月一回の割合が続いている。そのうちなくなるのではないかと思うし、なくならなくても個人的にパスさせてもらおうかと考えている。

職場のメールは5%がサンプリングされて、上司が監視することになっているらしい。実際に何人のメールに目を通すのか知らないが、馬鹿馬鹿しい話である。

会社の存在目的は営利の獲得である。全ての部門は、その営利獲得という大目的に寄与すべく行動しなければ存在意義がないということである。「コストセンター」という言葉があるが、純粋にコストを使うだけで、その活動が本来の営利獲得に全くつながらないとしたら、そうした部門の存在は株主に対する背任に等しいと言えるだろう。

直接収益を獲得しない部門の管理職が考えるべきことの筆頭は、現状の仕事量を、現状の人員の半分で処理する方法を考えることだ。それが実現したら、さらに半分、もう半分、と果てしなく考え、実行しつづけることだ。その工夫の上に、不測の事態に備える仕組みを考えておかなければならない。組織が肥大化し、「コストセンター」ばかりが闇雲に増えると、組織は内部から崩壊するものだ。世の中には、崩壊の管理を自分の仕事だと信じている「管理」職も少なくないのではなかろうか。

となりの芝生

2008年08月13日 | Weblog
たまたま手にした雑誌に「パリの個人美術館へ行こう」という特集記事があった。その最初の見開きにあった写真をみて、パリの街中の風景を思い出した。

先日、パリを歩いたとき、良い町だと感じた。ロンドンとは大違いだと。以前、「思想のある建物」ということについて考えてみたことがあったが、都市にも思想のある町というものがあるように思う。パリの中心部はなにかしらの秩序のもとに整然と構築されているように見える。建物の高さが揃い、甍の海に浮かぶ島のように大規模な教会やモニュメンタルな建物が点在する。殊更に清潔というわけではないが、ロンドンから出かけるとそのように感じられる。この都市の秩序のようなものは、単なる都市計画とか景観保護というような上辺だけのものではなく、そこで暮らす人々あるいは統治する権力の思想に根ざしているのではないだろうか。

フランスの人は、自国の言葉を大切にするという。それは外国人が話すフランス語に対しても容赦しないのだそうだ。それで、フランスに留学したものの、そこで受け入れられない疎外感に苛まれてしまう人もいるらしい。言葉はまさに思想を語るための道具である。その道具を大切にするというのは、道具を使う意図が明確であるからだろう。言葉を無造作に扱うというのは、それで表現しようとする内容が浅薄であるということだ。

ロンドンも、少なくとも地図で見れば、整然とした都市である。しかし、街中を歩けば、そこで生活する人々のモラルが透けて見える。

東京はどうだろう。以前、このブログに書いた「いきあたりばったり」(7月22日付)の通りである。

あくまで、私のパリの印象は、通りすがりの印象でしかない。しかし、都市も建物も人も、第一印象というのは大切なものなのではないか? そこから全てが始まるのだから。

良い本、悪い本、普通の本

2008年08月12日 | Weblog
良い本というのは、そこから何か次のものにつながる本だと思う。悪い本は、読んだ後に、どうしてこんな間抜けなものに金と時間を浪費してしまったのだろうと自己嫌悪に陥る本。普通の本は、楽しく読み終えて、それだけの本。

今、須賀敦子の著作集を読んでいるが、ここに至る起点になったのが坪内祐三の「考える人」だった。今となっては記憶にないのだが、この本を注文したのは、別の本に挟まっていた広告か、新潮社のサイトでたまたま目を引いたからにすぎないと思う。ここに紹介されていた「考える人」が16人で、そのなかから神谷恵美子、幸田文、須賀敦子、福田恆存の作品を読もうと思ったのである。

須賀敦子以外の3人の作品は、読んで、ふぅん、と思って、今は宙ぶらりんである。須賀は現在まだ進行形なので、ここから次々と別の作品に飛んで行く。坪内の「考える人」にも選ばれていた吉行淳之介は、坪内の文章ではなく、須賀の文章を読んで手に取る気になった。そして須賀の「トリエステの坂道」に登場する吉行の「樹々は緑か」が収められている「砂の上の植物群」を読むことになった。他にはアン・モロー・リンドバーグ「翼よ、北へ」、サン=テグジュペリ「戦う操縦士」を読み、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」を今読み始めたところである。この後にはナタリア・ギンスブルク、ヨシフ・ブロツキー、ダンテ、マルグリット・デュラス、スーザン・ソンタグ、石川淳、川端康成が控えている。さらに、アマゾンの私のカートにはアントニオ・ダブッキの作品がいくつか入っている。際限がない。

こうしてみると、私にとっては、坪内の「考える人」や、そこから連なる須賀の著作集は良い本ということになる。こんなつながりを振り返って、「なんでだろ?」と思い巡らすのも、本を読む楽しみ方のひとつである。「つながる」のが良い、というのはなにも本に限ったことではない。人間関係もそうだ。もう老後のことを心配しなければならない年齢にさしかかってきたので、これからは「つなぐ」ことを軸に生活を組み立てていきたい。

義務教育は義務に値するか?

2008年08月11日 | Weblog
最近読んでいる本のなかに、偶然、欧州のブルジョア家庭の教育のことが触れられていた。日本でいう義務教育に相当する部分は家庭で行い、高等教育だけ学校教育に託すという考え方があるようだ。今は、よほど上流階級でもない限り、初等教育から学校が担うようになっているようだ。

確かに、自分の経験から考えると、少なくとも小学校に通うということは人として必要なことであったのだろうかと疑問に思う。尤も、私の場合は家庭での教育に関しては全く何も期待できないので、義務と権利があってもなくても、学校に通わざるを得なかったのだが。

人が人に何を「教える」ことができるのだろうか。知識という断片を伝えるのは意思疎通の一環であって「教育」ではないだろう。断片を詰め込んだところで、詰め込まれた人間が生きる上では何の意味もない。「考える」ことの豊かさを伝えることが、教育の唯一の目的ではないだろうか。いくら知識ばかりあっても、それだけでは生きることはできないのだから。

学校教育は不特定多数を対象にする以上、自ずと知識偏重型の「教育」にならざるをえないだろう。それは、入学試験を設けて教育の対象を絞り込んだところで同じことである。集団という煙幕に隠れて目先の快楽に溺れた卑劣な行為に興じる走る刹那的快楽を体験するには、学校というところは適しているかもしれない。それが大人の社会の延長線上にあることなら、社会の現実を知る格好の教材でもある。しかし、そんなことに時間と労力を費やすことは人格形成にどれほど重要なことなのだろうか。

家庭に子弟の教育を行う能力があるのなら、学校に通わせるのではなく、家庭内で教育をするのが合理的ではあると思う。所謂「義務教育」が果たして「義務」にするだけの内実を備えたものなのか、私は疑問に思う。

ナショナル・ギャラリーを最短時間で見学する法

2008年08月10日 | Weblog

ナショナル・ギャラリーへ行ってきた。ルーブルやオルセーを観て気になったことがいくつかあったので、ちょっと確かめるために出かけたのである。

何を確かめたかったということを語ると長くなるので、語らない。今日は一通り観て回ることができたので、これまでの印象や他の美術館との比較も念頭に置いた上で、良いとこ取り的独断偏見満載見学順路を考えてみた。

優先順位としては、本館よりも先にSainsbury Wingを推したい。ここに展示されているのは殆どが宗教画で、キリスト教に関心の低い人には退屈かもしれない。しかし、それでもよく見て欲しいのである。特に区画番号66のピエロ・デラ・フランチェスコ、区画56のヤン・ファン・エイクは、人類の一員として是非脳裏に刻み込んで欲しい作品である。時間と気持ちに余裕があれば、区画58のボッティチェリと区画62のジョヴァンニ・ベリーニを観て欲しい。

ピエロ・デラ・フランチェスカというとウルビーノ公夫妻の肖像がすぐに思い浮かぶと思うが、ここにあるのは肖像画ではない。力のある絵画というのは遠くから見ても、すぐにそれとわかるものである。画面がよく見えないけれど、視界に入った瞬間、身体が反応してそちらへ引き寄せられるのである。そういう絵は舐めるように観る。必ず、何かしら脳裏に残るものである。ピエロ・デラ・フランチェスカの「The Baptism of Christ」がまさにそのような作品なのである。「The Nativity」はポップな印象すら感じさせる構図で、描かれてから600年近く経つというのに、新鮮さが失われていない。「Saint Michael」も赤が印象的に使われている。作家の空間認識力と空間構成力の非凡さが発揮されている。

ヤン・ファン・エイクの「The Arnolfini Portrait」はあまりに有名な作品で、今更語ることもない。ヤン・ファン・エイクは現在の油彩画の技法の生みの親とされている。油彩画自体はそれ以前から存在していたが、現在の技法の原形を確立したとされている。また、この夫婦の肖像画に見られるように、リアリズムに基づく作品を生み出したことでも知られている。尤も、この夫婦の絵には様々な記号が盛り込まれており、そうしたことについてのリテラシーがないと面白くないかもしれない。テレビの美術番組や美術雑誌でしばしば取り上げられているので、そうした予備知識を持った上でこの作品を眺めると、この作品だけで軽く1時間くらいは楽しむことができるかもしれない。

その後、渡り廊下で本館へ移り、区画8の作品は漏れなく全て舐めるように観て欲しい。特にラファエロの「Saint Catherine of Alexandria」と「Pope Jullius II」は見逃してはならない。ラファエロは、作品によって出来不出来の差があるように思う。ここにある作品が全て好きなわけではないが、「アレクサンドリアの聖カタリナ」はルーブルにある「美しき女庭師」と同じくらい好きだ。「教皇ユリウスII世」は色使いが格好良い。緑の背景に赤のマントと帽子、白いプリーツの入った服という組み合わせのセンスが素晴らしいし、教皇の皮膚の感じとか、指輪の宝石の色も計算し尽くされた完成度の高さを感じさせる。

ラファエロに感動したら、後ろを振り返って欲しい。ブロンツィーノの「An allegory with Venus and Cupid」をじっと見つめ、想像力を逞しくして、股間を濡らして欲しい。絵に込められた寓意を考え始めると、股間は萎えてしまう。どうせ考えてもわからないのだから、濡れないにしても勃起はして欲しい。そのように観て欲しい。なんといっても描かれているのはヴィーナスなのだから。気持ちが高ぶったところで、その隣に目を移し、ミケランジェロで冷静になろう。

日頃禁欲的な生活を送っているので、絵画を見るとどうしても女性を描いた作品に目がいってしまう。先日は、裸婦像だけを集中して観て回ったほどである。しかし、人目を引かない人物画は存在意義がないといえよう。女性を描くなら、その作品を観る者の股間を濡らすくらいの力がないようではプロの絵描きとは言えまい。濡らさなくとも、勃起させるのはプロたる必須条件だろう。女性の絵という点で、ラファエロもブロンツィーノも文句がないが、アングルが描いた肖像画に言及しないわけにはいかない。残念ながらナショナル・ギャラリーには1点「Madame Moitessier」しかないのだが、ルーブルにある「リヴィエール嬢」は特筆ものだと思う。モデルは13歳なのだそうだが、少女の色香というものが的確に表現されている。例えば25歳の女性の色気を表現するというのは、それほど困難なことではないだろう。しかし、少女から女へと成長の真只中にある人物の、その芽生えの部分をそれとなく表現するというのは、描き手にそれ相応の女性経験の厚さが求められると思う。人は経験を超えて発想することはできないのだから。

フランドル絵画に興味があるなら、ここで一旦、区画16でレンブラントの初期の作品と区画23と24の同じくレンブラント、区画25のフェルメールは押さえておいて損はないだろう。

もう時間がない、というなら、フランドルは飛ばして、区画8の後は区画6と4をざっと眺めながら通り過ぎ、区画2でレオナルド・ダ・ヴィンチの「The Virgin and Child with Saint Ann and Saint John the Baptist」と「The Virgin of the rocks」を押さえて、そのまま出口へ抜けるとよいだろう。

以前にも書いた記憶があるのだが、ダ・ヴィンチの作品は完成度が高すぎて絵画というより何かの設計図のように見えてしまう。典型的にはルーブルにある「モナ・リザ」と「洗礼者聖ヨハネ」だが、ここの「岩窟の聖母」は同じタイトルのものがルーブルにある。ルーブルにあるものは未完成ながらスフマート技法で描かれており、いかにもダ・ヴィンチという感じなのだが、こちらの作品は弟子や何者かが後から描き加えたものがあり、わずかな違いが全体の雰囲気を変えてしまうことがよくわかる。

あと少し時間があるというなら、出口へ抜ける前に、区画30でベラスケスの「The toilet of Venus」をみて、隣の区画32でカラヴァッジオの「The supper at Emmaus」を勧めたい。

ベラスケスのヴィーナスは構図の面白さや美しさは勿論のこと、鏡を持ち込んだことによって、見る側と見られる側とが交錯する面白さもある。つまり、鏡にはヴィーナスの顔が映っている。ということは、ヴィーナスには我々見る側が見えている。ヴィーナスの腰から大腿部という最も視線をひきつける場所に接して鏡を置くことで、絵を見る我々と絵の中のヴィーナスとが確実に交感するようになっている。

「The supper at Emmaus」は光の流れがおもしろい。聖なる人とは光を発する人なのである。

印象派だのポスト印象派といった作品は、パリ以外ならどこで観ても似たようなものである。時間があってもなくても、優先順位は最下位でよいだろう。

余談だが、不思議に思ったのは、ルーブルにもオルセーにも作品を写真に収めている人が大勢いたのに、ナショナル・ギャラリーではそのような人は見かけないことだ。確かに、パリのほうには美術の教科書には必ず登場するような作品が多数展示されていて、それを見たという証拠を残したい気持ちがあるのだろう。しかし、作品の知名度や質においてロンドンのほうは見たという証拠を残すに値しないということはあるまい。おそらく、所謂「101匹目のサル」現象なのではないかと睨んでいる。誰かがカメラを構えると、それが同じような行為を誘発するのだろう。


「戦う操縦士」

2008年08月09日 | Weblog
サン=テグジュペリの作品と向かい合うのはこれが最初かもしれない。勿論、「星の王子様」は読んだことがある。しかし、長編作品は手にした記憶がない。もし、自分がまだ若い頃、この「戦う操縦士」を読んだとしたら、今のように食い入るように読むことができただろうかと疑問に思う。この作品のなかのフランスは、ドイツ軍の侵攻を止めることができず、敗戦が目前に迫り絶望に満ちていた。そのフランスの軍隊で偵察部隊として戦っていた作者の手によるのが、この作品である。

人が何事かを学ぶのは、おそらく順境にあるときではなく、逆境にあるときなのだろう。物事が自分の予期していた通りに運ばず、それどころか、自分が窮地に陥って初めて、人は自分を取り巻く世界と自分自身とを理解しようと務めるのではないか。そこで思索が深まり、人として成長するのだろう。この作品はそうした作者の思索をまとめたものと言える。やや言葉だけが空回りしている感がなきにしもあらずだが、心に響く文言が夜空の星のように散りばめられている。戦争の最前線にいて、いつ命がなくなるかわからない状況のなかで、言葉が溢れ出てしまうのは当然かもしれない。それを考えれば、むしろ抑制の利いた文章であるといえよう。

以下、その星たちのいくつかを紹介したい。

突撃するときは、かならず先頭に立つ人間が必要だ。そういう人間はほとんどいつでも死ぬ。だが、突撃が存在するためには、先頭に立つ人間は死ななくてはならない。(118頁)

ひとは死を怖れていると思いこんでいる。ところが、不測の出来事、爆発を怖れているのだ。自分自身を怖れているのだ。死を怖れているだろうか? いや、ちがう。死に出会ったとき、もはや死は存在しない。(145頁)

生命というものは、そのときどきの状態によって説明されるものではない。その歩みによって説明されるものだ。(174頁)

すでに建立された大聖堂のなかで香部屋係や貸椅子係の仕事にしがみついている人間は、すでにして敗者である。だが、建立すべき大聖堂を心に宿している人間は、すでにして勝利者である。(175頁)

おのれを赦そうとして、おのれの不幸を宿命のせいにするなら、わたしは宿命に屈することになる。裏切りのせいにするなら、裏切りに屈することになる。だが、その過誤の責任を担うなら、わたしは人間としての力を権利として要求することができる。わたしが結びついているものに働きかけることができる。わたしは人間の共同体を構成する部分となる。(181頁)

愛を築きあげるためには、犠牲からはじめなければならない。そうしてはじめて、愛は他の犠牲をうながすことができるし、それをいっさいの勝利のために用いることができる。人間はいつでも最初の歩みを踏み出すべきだ。存在するまえに誕生しなければならない。(204頁)

1940年、独仏間の休戦が成立すると、サン=テグジュペリはニューヨークに居を移した。しかし、彼の地では英語を話さなかったそうだ。「外国語でぎこちなく言葉を操り、そうやって自分の思考を歪曲することを拒否したのだ」* ということらしい。どこまでもひたむきに自分というものの存在意義を考え続けた人らしいエピソードだ。

*ジョン・フィリップス(著) 山崎庸一郎(訳)「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、その最後の日々」『戦う操縦士』に収載

夏の暑さ

2008年08月08日 | Weblog
職場で東京からの業務連絡のなかに余談として、大手町の気温が35度を超え、この夏最初の猛暑日になったと書かれていた。

先日、パリへ行った帰りのユーロスター(7月27日19時13分発 列車番号9055)で、私の乗車していた車両(5号車)のエアコンが故障して機能していなかった。乗務員が他の車両の空席を探し、4人だけは別の車両に移動できたが、私を含め、他の多くの乗客はそのままロンドンまで乗車していた。

エアコンの無い密閉された車両のなかは確かに蒸し暑い。しかし、その暑さは耐え難いほどのものではない。同じことが今の時期の新幹線で発生したら、ちょっときついのではないかと思うが、日本の夏とこちらの夏では「夏」の中身が全然違うのである。あからさまに不快感を示す乗客もわずかにいたが、個人的にはどうというほどのこともない出来事だった。

結局、他の車両に移ることができず、この車両でロンドンまで過ごすことになった乗客には、次回のユーロスターの料金を半額にするという措置が取られることになった。乗務員が乗車券の裏の空白に「No A/C Compensation announced TM」とボールペンで記入し、ゴム印を押してまわった。乗車券を購入する際に、窓口でこの裏書きされた乗車券を提示すると料金の割引が受けられるとの説明であった。ネットでの購入には対応できないとも言われた。

これは幸運だろうか? その日の午前、聖母像見たさに教会のミサに参列したので、聖母様が「またおいで」とでもささやいたということだろうか? いや、「またおいで」というなら、割引ではなく、無料招待券だろう。

しかし、パリはもう一度訪れてみたいところではある。今度は、ポンピドーセンターやケ・ブランリーを観てみたい。さて、どうしたものか?

手にしたものの重さ

2008年08月07日 | Weblog
昨日、別のブログのほうに原爆の話を書いたのだが、そのためにいろいろネットで調べてみて驚いた。原子爆弾というのは、要するに太陽のようなものらしい。物心ついてから、いったい何回の原爆記念日を迎えたことだろう。これまで、原爆の被害とか原爆投下に至った政治的状況といったものについては関心を持っていたつもりだったが、テクノロジーの側面には殆ど注意を払ってこなかった。

昨日初めて知ったことがたくさんあって、そうしたことを知らずに何十回も原爆記念日を迎えていた自分に驚いた。外国の人と少し親しくなって、そうした人たちと日本のことが話題になるたびに、広島や長崎のことは必ずと言ってよいほど尋ねられる。今、彼の地はどうなっているのか、と。私は広島市にも長崎市にも行ったことがないのである。原爆に関する記憶を遡ると、中学時代に学級文庫に収められていた「はだしのゲン」だ。あとは映画やテレビ番組の断片的な記憶だけしかない。つまり、考えたことがないということだ。

核兵器を製造するための技術的な難易度は必ずしも高くはない。誰でも、と言えば言い過ぎだが、テロ組織が核燃料や核廃棄物を盗み出して兵器に加工するというのは技術的には不可能なことではないのである。だから、国際的に核サイクルを監視し、世界中の核燃料や核廃棄物の全量管理を目指しているのである。このことは昨日知ったのではなく、2001年9月に青森県六ヶ所村の核燃料処理施設を見学した時に受けた説明で知ったのである。

核兵器の技術的な面での困難な部分というのは安全管理である。核分裂が始まってしまえば、とりかえしのつかないことになってしまう。しかし、核分裂を誘発させたいときに滞りなく実施できなければ兵器としての意味がない。広島に投下されたウラニウム型原爆には約60キログラムのウラン235(全ウランに対するウラン235の割合が80%の濃縮ウラン75キログラム)が格納されていたと言われているが、このうち実際に核分裂を起こしたのは約1キログラムほどで、残りは四散したと見られている。しかし、核分裂を起こすには臨界量のウラン235が必要であり、広島に投下された爆弾の起爆装置(ガンバレル方式)に対応した臨界量は22キログラムなのだそうだ。最初の核実験は広島への投下に先立つ7月16日であり、しかもその時の原爆は広島に投下されたものとは別のプルトニウム型であったという。つまり、世界初のウラニウム型原爆の使用が広島への投下であり、確実に爆発させるために最小臨界量の倍以上である60キログラムが使われたということのようだ。

その1キログラムのウラン235による核分裂によって放出されたエネルギーは63兆ジュール、TNT火薬1万5千トン相当という。同年3月10日の東京大空襲では午前0時8分頃から午前2時37分頃にかけて1,783トンの通常爆弾が投下されている。爆発エネルギーという点では東京大空襲の8.4倍の量が東京の10分の1程度の規模の都市に一度に投下されたことになる。このエネルギーは具体的には、爆風、熱線、放射線となって放出される。

爆心地付近の爆風は秒速440メートルといわれている。音速が毎秒349メートルであり、大型の強い台風の中心風速は40メートルほどである。風のエネルギーは速さの3乗に比例する。即ち、爆心地付近の爆風のエネルギーは、台風の風の1,000倍である。また、爆風圧は350万パスカルと推定され、これは1平方メートルあたりの加重が35トンということである。

核分裂によって出現する火球の表面温度は摂氏数千度といわれる。火球から放出された熱線エネルギーは22兆ジュール(5.3兆カロリー)である。熱線は赤外線として爆発後3秒以内に大量に放出されたとされる。熱線のエネルギー量は距離の2乗に反比例するので、爆心地付近の地表は平方センチメートルあたり100カロリーの熱線エネルギーを受けたことになる。これは太陽の照射エネルギーの数千倍に相当するという。このため地表温度は摂氏3,000~4,000度に達したと推定されている。

放射線については、核分裂により大量のアルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線が生成され、透過力の強いガンマ線と中性子線が地表に到達した。もちろんアルファ線もベータ線も地表に到達している。爆撃から3日後には、被爆遺体の病理解剖により、これらすべての放射線が被爆者を蝕んでいたことが明らかになっている。

いままで核というものを身近に感じたことは一度もなかったのだが、こうして具体的な話を見聞きしたことで、人類が手にしたものの重さが伝わってきた。なぜ、いままでこんなことを知らなかったのだろうと、改めて不思議に思う。

いつでもどこでも

2008年08月06日 | Weblog
グーグルのストリートビューというサービスが日本でも始まった。イギリスはまだである。グーグルの地図のページから、その場所の写真映像が開き、しかもそれがほぼ360度パノラマで見えるのである。例えば不動産物件を探すときに、このサイトで事前に場所の雰囲気がわかるのである。便利な世の中になったものである。しかし、この写真情報の収集がいかにもたいへんそうである。労力やコストという点では、それほどでもないのだろうが、ある程度の頻度で更新を続けなければ情報としての価値を維持できまい。カメラを搭載した車をあちらこちらに走らせているのだそうだ。例えば宅配便の車などに搭載しておけば、それでかなりの映像情報が収集できそうだが、それにしても漏れなくというわけにはいくまい。でも、現状で必要十分であるように思う。いつでもどこでもネットにつながってというのでは、どこかうっとうしい。

どいつもこいつも

2008年08月05日 | Weblog
日本通運が毎月開催している引越セミナーの9月の回に参加を申し込んでおいたのだが、今日、その回が中止になったとの連絡が来た。明日の回にまだ空席があるとも書いてある。しかし、平日の昼間の行事の期日直前に案内を受けても対応のしようがない。郷に入りては郷に従え、というわけで日本企業でも英国法人は間抜けな対応しかできないものなのか、たまたま日本通運という組織がそういう客を舐めた組織なのか知らないが、どちらにしてもろくなものではない。知りたいのは、どの程度の荷物をどの程度のコストで日本まで運ぶことができるのかということだけである。どうしても運びたいのは書籍と衣類だけで、あとはコストに応じて、どこまで追加するかという状況なのである。引越の時期が年末もしくは年始なので、こちらのクリスマス休暇の時期にかかってしまい、とてもまともな仕事は期待できそうにない。そこで、事前に相談したいと考えていたのだが、11月は仕事の繁忙期にあたり私のほうに余裕がない。10月もよくわからない。それで9月の引越セミナーというわけであった。とりあえず、セミナーに合わせて申請しておいた休暇を取り消して、他の業者との交渉を考えておくことにした。

痩せる

2008年08月04日 | Weblog
痩せた。いくつか理由がある。

ここ2ヶ月ほど、週末を利用してあちこち出かけている。出かければ、当然、そこで食事をすることもある。すると、改めてロンドンの物価の高さを認識するのである。そして、ふと思う。社員食堂の料理に3ポンドを超える金額を支出するのは納得が行かない。そんなわけで、昼食はジャケットポテトに煮込み料理を添えたセット(2.5ポンド)で済ますことが多くなった。

菓子類の消費を止めた。酒を飲まないことと関係があるのかどうか知らないが、甘いものが大好きである。時々、スーパーで店内調理の焼き菓子やドーナツを買っては食べていた。しかし、一通り食べてしまったので、もう食指が動かなくなってしまった。それでも、甘いものは食べたい。最近はもっぱら果物をいただくようにしている。今日はマンゴーを食べた。美味だ。

肉類を食べる機会が減った。繰り返しになるが、よく週末を利用してあちこち出かけるようになった。出かければ、当然、交通費や宿代がかかる。そこで、旅行費用を捻出するために節約するようになる。簡単に減らすことができるのが食費である。日々の買い物で肉と果物を減らすと食費は劇的に少なくなる。しかし、先に書いたような理由で、果物を減らすことはできない。その分、肉類を買わなくなる。主義主張のあるベジタリアンではなく、貧乏によるベジタリアンである。

歩く。どこへ行くにも、取り敢えず歩くことを優先して考える。だから脚は痩せない。これはロンドンでの生活では合理的なことだ。公共交通機関があてにならないのだから、移動は自分の足によるのが最も確実なのである。

適度なストレス。馬鹿げた毎日を過ごしていると、自然に心身を消耗する。

年齢の所為もあるのだろうが、こちらへ来て、少しウエストが膨らんでいたのだが、この1ヶ月ほどで元にもどったか、それ以上に細くなった。別に痩せようと思って痩せたわけではない。

今日も良い週末

2008年08月03日 | Weblog
久しぶりに雨が降った。しかし、そんなことには関係なく、今日も昨日に引き続いて先週末のパリのことをまとめていた。昨日と違うことと言えば、昨日はしなかった掃除と洗濯を今日はしたというだけだ。あと、買い物の行き先が違うというのもある。

昨日、近所のSainsbury’s でカレーのルーを買った。こちらではペースト状のものが瓶に入って売られている。ナショナルブランドなら1瓶500g入で1.3-1.5ポンド、小売店のハウスブランドなら0.7ポンドくらいというのが相場なのだが、今、Sainsbury’sではハウスブランドの廉価版(440g)が0.1ポンドである。しかも、そこそこ美味しい。これは久しぶりにお買い得品に巡り会ったと思って喜んでいる。そんなわけで、今日と明日の夕食はカレーライスだ。良い週末だった。