熊本熊的日常

日常生活についての雑記

最初はマネ

2010年04月15日 | Weblog
このところ東京は雨が多い。今日も朝から雨、しかも寒い。先日、ネットで見たニュースによれば3月の東日本太平洋側の月間降水量が平年の159%で観測史上最大となったという。

雨で寒い、となれば不要不急の外出を控える人が増えるだろう。となれば、普段は混雑がちなところを訪れるよい機会だ。ということで、今月開館した三菱一号館美術館を訪れた。

もともとの三菱一号館は明治の所謂お雇い外国人のひとりで英国人建築家Josiah Conderの設計により1894年に竣工した丸の内最初のオフィスビルである。現在の三菱一号館はこれを復元したもので、原型と同じく230万個の煉瓦を使ったのだそうだ。私は建築のことは何も知らないので、19世紀末に建築したビルを今復元することの意味とか価値はさっぱりわからない。少なくとも景観としては、極ありふれたオフィスビルが林立する地域にぽつんと明治期の洋館が置かれていることに違和感を覚えないでもない。しかも、平日昼間はビジネスマンが忙しそうに行き交うなかに、老婦人の団体が傍若無人の体でうろうろしているという姿が、その地域の既存の秩序というかリズム感のようなものを崩しているようにも思われて、その風景が丸ごと現代美術のインスタレーションのようでもある。

さて、いつものことながら、日本の美術館の企画力には感心させられる。日本に在る西洋絵画の数は決して少なくはないのだが、国内産ではないのだから少なくとも量において欧州の主要国には及ばなくて当然だ。しかし、作品の見せ方、展覧会の切り口、というようなことの工夫は、そうした限界があるからこそ磨かれてきたとも言えるだろう。

今回の展覧会の作品は、およそ半分強くらいがオルセー、四分の一くらいがフランス国会図書館、残りが国内外諸々の所蔵品だ。都心の新しい美術館の開館記念展にふさわしい大作が集められているので、チケットやチラシに使われる目玉以外はちょっとがっかり、というようなことは無い。時代を追って作品が並べられ、それと並行してパリの街の変容を示す写真やエッチングなども展示され、作品の背景を想像する手掛かりも用意されている。このような配慮の行き届いた企画展というのはロンドンでは観たことがない。彼の地での企画展は、作品がふんだんに手当てできる所為もあるのだろうが、絵画作品以外の資料は殆ど展示されていないものが多かったと記憶している。観る側のリテラシーが違うということは全く無いわけでもないだろうが、平均的な観客個人の知識量に彼我の違いは無いと私は思う。やはり、制約の大きいほうが求められる工夫も大きくなるので、このような違いが出てくるのではないだろうか。

とはいえ、日本国内では普段観ることのできない、観る機会に恵まれれば是非観ておきたい作品がいくらもある。オルセーの収蔵品では「ローラ・ド・ヴァランス」「闘牛」「エミール・ゾラ」「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」「ビールジョッキを持つ女」「4個のリンゴ」、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの「死せる闘牛士」などはそうした必見作品の例であろう。個人的には晩年に病気による心身の痛みを癒すべく描いた「4個のリンゴ」「レモン」が心に残った。いずれもオルセーで観たはずなのだが、今回初めて観たような心持だ。

全く勝手な想像なのだが、裕福な家庭に生まれ、才能にも恵まれ、だからこそ批評家たちの厳しい評価に耐えながらも既存の価値観に果敢に挑戦し続けることができたのだろう。漸く画家としての評価を確立し、ある程度の絶頂期を経た後、病に倒れることになってしまうが、病身をおして最後に身近な静物を淡々と描く心境に至るところに、人の自然な在り様が見えるのである。物心付いて、自我に目覚め、その自我も結局は自然のなかに消滅する。その消滅を悟ったときに訪れる心の平和が、例えば「4つのリンゴ」の明るさに象徴されているように観えるのである。

達者でな

2010年04月14日 | Weblog
木工作業に勤しんでいたら、ふと「わ~ら~にぃまみれてよぉ、…」という三橋美智也の歌声を思い出した。今日は昇降盤に付きっきりで赤松の集成材を切る作業をしていたので、藁ならぬ木屑にまみれていたのである。

今作っているのはレターケースだ。A4サイズの書類が入る引き出しを5段にしたもので、全体の高さは約25センチである。この高さは、このレターケースと並べて置く無印良品の厚紙製ファイルボックスの高さ(246 mm)にあわせた。

集成材とはいいながら、赤松は元気のよい素材だ。もとの板材から部材を切り出して一気に組み上げるのが暴れる素材を扱うときの理想なのだが、週に一回の木工教室ではそういうわけにはいかない。切り出した材料を組んではクランプで止め、組み立てに至らなかった材料は纏めてクランプで止め、というように力技で押さえ込みながら作業を進めている。完成後も多少の暴れは残るかもしれない。尤も、昨年夏に作った杉のゴミ箱は暴れが予想されながらも、今のところは落ち着いている。このレターケースもなんとか落ち着いてくれと念じながら作っている。かといって、暴れを防ぐために塗装は施したくない。木の風合いはなるべくそのままにしておきたいのである。

木を切っていると木の香りがしてくる。一枚の大きな板から切り出しているので、香りは同じはずなのだが、切る毎に微妙に香りが違っている。集成材なので赤松という共通項を持ちながらも様々な木が混合している所為もあるだろうし、木の繊維をどのような角度で切るかによっても香りが違うのかもしれない。同じ赤松でも木によって香りが違うとすれば、人の体臭に個人差があるようなものだ。木にも個性があるということだろうか。木の生えている土地によって含まれている成分が異なるであろうし、日照の時間や強弱によっても木はそれぞれの個性を帯びるのだろう。

松の香りの源の最たるものは脂なのだそうだ。松脂は化学製品の原料として様々な用途に用いられているが、木工品にとっては外観を損ねる要素となる。このため加工前にある程度の時間をかけて脂を飛ばしてしまうのが望ましいのだが、なかなかそんな悠長なこともしていられない。製作中の木工品が完成した後で脂が染み出し、それが固まってしまって斑点のようになったら、それは景色として受け容れるよりほかに仕方が無い。一応、今の予定では、一通り完成した後にオイルかワックスを塗るつもりでいる。脂が染み出しても目立たなくなるだろうし、なによりも汚れが定着しにくくなる。

幸い、今のところ作業は順調に進捗している。来週は事前に準備しておいた3mm厚のシナベニヤを使って引き出しの底板と筐体の裏板を作り、引き出しの組み立てまで終わらせようと思っている。この調子でいくと完成は5月中ごろになりそうだ。

曜変志野茶碗

2010年04月13日 | Weblog
長石釉をかけて還元焼成に出した茶碗が、焼成の問題で還元が十分に進行せず、半分還元で半分酸化という状態で焼きあがってきた。怪我の功名、というのかもしれないが、なかなか格好が良い。焼成中の不測の変化ということで曜変とも言える。

還元焼成というのは窯のなかを酸欠状態にして焼くことだ。今回は還元操作を誤って途中で還元をやめてしまったのだそうだ。その結果、茶碗のほぼ半分が還元作用で釉薬が白濁して灰色になり、残り半分が酸化で釉が透明になって地の赤土の色が出て赤味を帯びた。この茶碗には自分の指の跡を残そうと高台を手で持って施釉したので、その指跡とも相俟って、思いの外良い景色に仕上がった。

陶芸の面白いところは、いくら上達しても最後は焼成という人間の力ではどうにもならない工程を経て作品が思わぬ変化をすることだ。勿論、長年やっている人は自分の作ろうとしたものを作ることができるのだろうが、私は初心者なので、本焼きに出す度に、どのようなものになるのか楽しみだ。土は同じ業者から同じ種類のものを仕入れているとはいいながら、全く同じものというのは無い。それを形にまとめるのだが、轆轤を使ったところで、陶工ならいざしらず、私は同じ形を二度と挽くことができない。その毎回微妙に違った土と、一見して違いがわかる形の器と、その時々の気分で選ぶ釉薬とが組み合わされて焼成されるのである。焼きあがる度に、こんなふうになるのかと感心してみたり驚いてみたり、とにかく楽しくて仕方がない。

売れ筋

2010年04月12日 | Weblog
不要になった書籍やCD・DVDのなかでアマゾンのサイトで売却できるものは、定価の半値程度で処分している。常時20品目程度を在庫にしているが、昨年中盤あたりから毎月少しずつではあるが何かしら売れるようになった。それでも売れ筋がはっきりしていて、ほぼ確実に売れるのはCD・DVDである。書籍のほうは、時々、千円単位とか万円単位のものが売れることもあるのだが、たいがいは百円単位のものがぱらぱらと売れていく。とはいえ、あまり知られていない小説などは何ヶ月も在庫のままで、出してすぐに売れるのは住宅関係の特集を組んだ雑誌である。昨日、Penという雑誌を何冊か売りに出したのだが、そのなかの「こんな家に暮らしたい」という特集のものが今日早速売れた。過去には同じ雑誌の「リノベーションで理想の家づくり」というのもすぐに売れたし、Titleという雑誌の「ニッポン縦断! 建もの探訪。」というのも少し時間はかかったが売れた。

住宅関係の特集を組んだライフスタイル系の雑誌が売れるということは、住宅そのものに対する需要が強いということではないだろうか。マクロデータでは不動産市況は厳しい状況にあるようだが、それは不動産事業者本位のお仕着せの不動産がそっぽを向かれているということであって、不動産そのものに需要が無いということではないのだろう。

物が売れない、不景気だ、消費マインドが冷えている、など他人事のように経済の現況が語られることが多いのだが、要するに世の中全体として当事者意識が欠如しているから、経済の牽引役が現れない、という側面もあるのではないだろうか。例えばユニクロの業績が好調なのは、単なる小売ということではなしに、自ら商品を開発して需要を掘り起こそうとする姿勢が一貫しているからだろう。単に安いというだけで、あれほどの業績になるはずはない。対して、百貨店が毎月のように前年同月比で売上が縮小を続けているのは当然のことだろう。ユニクロにはユニクロでなければ手に入らない商品がいくらでもあるが、百貨店にはそういうものはない。どこでも手に入るものを、少しばかり小奇麗にした売り場に並べて、過剰な包装で売るというだけのことに、どれほどの付加価値があるというのだろう。いまだに特定の百貨店の包装紙に価値を見出すシーラカンスのような人々が生き残っているのは確かだが、それはもはや雑音の域を出ないだろう。スーパーやコンビニも不振が続くのは、おそらく百貨店と似たような事情によるのだろう。要するに、独自性が乏しいのである。

他にも売れないものはたくさんある。ビールが売れないのは単純に値段の割りに旨くないというだけのことだろうし、自動車やバイクが売れないのは、単に必要性に乏しいからに過ぎないだろう。

高度成長期には、横並びで世間の眼を意識しながら、消費活動に勤しむことが美徳であった。平均的な所得水準が上昇し、家庭が飽食状態となり、持ち物だの見た目だのでの自己主張が困難になると、消費活動に対するインセンティブが働かなくなるのは自然なことだ。それでも人は「我こそは」と思いたいのである。人だけではない、交尾の季節に動物たちの見た目が派手になり、気性が荒くなるのは、生きるという行為の本質が「我こそは」という姿勢にあるからだ。横並びという価値が崩壊すれば、人とは違った姿を模索することで自己を主張したくなるものだ。悲しい哉、価値観というのはそう急に変えることはできない。それでも生きていかねばならないとすれば、とりあえず立ち止まって様子を見るということになるのだろう。そうしたなかで横並びとは対極の独自性という方向を目指す動きが現れるということなのではあるまいか。

銀座のユニクロの並びにユザワヤが店を出した。ユニクロで買ったシャツなどを持ってユザワヤに立ち寄り、刺繍の道具だの装飾具だのを買って、自分で飾り付けて着るのだそうだ。最近、キンカ堂が倒産してしまったが、その再起を期待する声が少なくないとも聞く。もともと庶民は服を自分で作って着ていたものだ。金をかけず知恵を働かせて生きることの心地よさが見直されるようになってきた、と思うのは早急に過ぎるだろうか。

「り」のはなし

2010年04月11日 | Weblog
子供とのメールのやりとりのなかで、「ハート・ロッカー」をネタにした話から始まって、国連の役割とか、利害とか、民主政治ということについての話題になった。そうした流れの中で、先週末に私が以下のようなことを書き送った。

***以下引用***
国連に関する君の意見はしっかりとしていて頼もしいと思いました。確かに存在する以上は何がしかの意味はあるはずです。国益の調整の場、国際紛争の議論の場、というような、国家間の問題を国際社会の公開の場に晒して公平な議論を試みるという役割は確かにあるでしょう。ただ、私は世論というものを信用していません。しかし、テロの脅威に晒されているとは言いながらも、現実として世界の主要国が平和を享受しているのは、平和であることが各国の利害と一致しているからに他ならないと思います。人も国も「理」ではなく、「利」で動くものです。諸々の要件を考慮したときに、結果として平和であることが各国の国益にかなっているということなのです。さらにより現実的な問題として、…
(中略)
ところで、民意であるとか世論といったものに対して、どの程度の信頼を置くかは人それぞれだと思いますが、私はそうしたものを全く信用していません。日本でも欧米でも民主主義というものが文明の象徴であるかのような見方があり、イラクやアフガニスタンも民主政治を導入することで欧米の占領が完了するという段取りになっています。しかし、そもそも民主政治などというものがありえるのでしょうか。具体的な例として選挙制度を挙げることができます。日本では、地方議会議員、地方自治体の首長、国会議員は選挙によって選ばれます。また、最高裁の判事は国民審査を受けることになっています。選挙になれば、各候補者や政党が好き勝手なことを言って、自陣営への投票を促します。ところで、選挙民はどれほど各候補者や政党のことを理解しているでしょうか。あるいは、どれほど政治というものを理解しているでしょうか。おそらく圧倒的大多数の人は何も知らないと思います。最高裁の判事に至っては、ほとんどの国民がその存在を意識したことがないのではないでしょうか。にもかかわらず、選挙民は無知のまま、あるいは勝手な思い込みを抱いたまま、投票し、それによって政治家が選ばれ、最高裁の判事が審査を受けるのです。とりあえず、今のところは、不景気だのなんだの言われながらも淡々と国民生活は送られていますから、無知な選挙民によって選ばれた政治家の政治で間に合っているわけですが、これはとても恐ろしいことだと思います。
***以上引用***

これに対する子供の返信が以下のようなものであった。

***以下引用***
一昨日入学式がありました。同じグループの子とは離れてしまったのですが、割と仲の良い子や友達の友達が何人かいたので良かったです。

人も国も「利」で動くと言うのは私も普段から考えている事です。やはり自分に何らかの見返りが無いと動く気にはなれません。「利」というのはかなり広い意味を持つと思います。最も多く使われる意味合いは「利潤」だと思いますが、それだけではないでしょう。とても身近な例ですが、人と一緒に居るのにも目的の達成や共に居て楽しい等の利益が無ければ関わりを持とうとは思いません。むしろ、反りが合わない人と居るのは疲れますし、不愉快になる事も多いので必要最低限の関わりしか持ちたく有りません。世の中には人のために自分が犠牲になっても良いという考えの人も居るようですが私はそういう人も自分の利益のために動いているに過ぎないと思います。人のためなんて言っていても実際にそれが相手のためになっているかは相手や時間が出した結果しか分からないものですし、人のために多少は自分に損が回っても構わないという事は、人の役に立ったり、人からお礼を言われるのが嬉しいという利益を感じるからこその考え方だと思います。人の役に立つ事にそこまで喜びを覚えない私のような人は、損をしてまで人のために動こうとは思いません。その場では損になっても自分の評価が上がる見込みがあれば動きますが、それこそ自分の「利」のためだと言えるでしょう。利害の一致とまでいかなくても自分のために起こした行動が人のためになる事があるから世の中がまわるのだと思います。しかし、当然誰かの利益が誰かの損につながる事も多々有ります。「他人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、この言葉は誰かが不幸になった分の幸が自分にまわってくる事があるから蜜の味という解釈も出来ない事は無いと思います。

話がまとまらなくなって来たので「利」の話はここまでにしようと思います。

選挙の話ですが私もほとんどの人はマニュフェストの内容を正確に理解していなかったり、目を通していないと思います。ニュースでたびたび取り上げられる民主党の公約ですが、「子供手当」等の話しを聞く度予算の無駄を省くというのと矛盾している気がします。選挙民がもっと公約に目を通していればいくら自民党で不祥事が続いたからといえ民主党にこんなに票が集まる事も無かったのではと思います。
***以上引用***

別に教えたわけでもないのに、自分の経験に照らしながら物事を理解しようとする姿勢がある。書いてある内容はともかく、物事に向かう姿勢としては至極真っ当だと思う。ごく平均的な高校一年生だと思うのだが、それでもこの程度の意見は持っている。日本はそういう社会なのである。しかし、残念ながらこの社会は崩壊しつつある。この子たちが社会に出る頃、世の中がどのようになっているのかはわからないが、起死回生の大転換でも起こらない限り、年金制度も医療保険制度も破綻に瀕しているのだろうし、地方自治体のいくつかは財政再建団体に指定されたまま再建不能に陥るところが続出しているだろう。それは当然に地方自治体にとどまることではないだろう。

ところで、子供からのメールに対しては以下のような返信を送った。

***以下引用***
高校入学おめでとう。3年間はあっという間に過ぎてしまうので、その時々で自分が何をどうしたいのか考えながら生活をするとよいと思います。自分が高校生の時は大学受験のために3年間を費やしてしまったように思います。今から思えばもったいない時間の使い方だったと多少の後悔があります。受験勉強は、受験に必要な知識と思考力を身につけるという点では意味があるのかもしれませんが、試験のための勉強というのは受験に限らず総じて不毛なものだと思います。勿論、ある程度の水準の大学に進学することは、その後の生活を積み重ねる上で必要なことではありますから、受験勉強も無駄というわけではありません。ただ、学校の勉強と、若い感性がある時期にしかできない経験と、バランスよく時間を配分することも考えたほうがよかったと思っています。

「利」は確かに単なる目先の損得の話ではありません。経済的な利益だけが「利」ではなく、その人なりの価値観によって決まることです。世間では物事を全て金額に換算してしまう傾向が強いのですが、経済的価値は物事の一側面でしかありません。

「他人の不幸は…」ということを書いていましたが、幸福とか不幸というのは自分の中で感じるものであって、自分の外部に存在するものではありません。あたかも自分の外部に確たる姿として「幸福」というものを想定している人は、決してその「幸福」を手にすることができません。なぜなら、人の欲望は無限です。あることを実現すれば、決してそれに満足することなくその先にあるものを求めるものです。私が考える「幸福」とは自分が今ある状況を全て受け容れてしまう能力です。人は存在すること自体が奇跡的な確率によって実現しています。その奇跡を通じて今の自分が在るということを認識できれば、目先の都合も不都合も、たいしたことではないと感じられるものです。世間体だの点数だのと、他人が勝手に作り上げた価値観に支配されていたのでは、いつまでたっても他人に振り回されるだけです。自分の価値観を構築して、自分の土俵で物事を判断できるようにならない限り、人は自由にはなれませんし、幸福を感じることはできないと思います。自分の価値観を作り上げるには、たくさんのことを経験して学ばなければなりません。勉強というのは、そのためにするものだと思います。

さて、先週読了した本は小林秀雄の評論集「モオツァルト・無常という事」(新潮文庫)と阿刀田高のエッセイ「イソップを知っていますか」(新潮社)です。

小林秀雄の評論は高校生の現代国語の教科書には必ずといってよいほど…
(以下省略)
***以上引用***

大落語

2010年04月10日 | Weblog
国立劇場大劇場で開催中の桂文珍独演会を聴きにでかけてきた。国立劇場で落語をやっているのは知っていたが、それは専ら演芸場のほうでのことで、まさか大劇場で落語をやるなどとは思わなかった。この大劇場に足を踏み入れるのは、中学生の時に歌舞伎教室で訪れて以来のことである。

落語は演じ手と観客との間の物理的な距離が噺を楽しむ上での重要な要素のひとつであると思う。都内にある寄席の小屋では鈴本も末広亭も池袋演芸場も客席の規模は、そういう芸の性質を考慮してあるように思うのだが、本当のところは知らない。横浜のにぎわい座は明らかに落語仕様だろう。どの席でもしっくりとくるように感じられる。それが地方公演に使われる多目的ホールとなると、落語を演るには違和感があるように思うが、他に適当な場所がないのだから仕方が無い。都内の場合となると、聴きたい人の絶対数が多くなるので、そうした需要に応えるためには大規模な会場を用意しなければならない。その規模がある程度大きくなると、距離感もへったくれもなくなってしまう。特に演劇用の劇場の場合は垂直方向にも多くの観客を収容するような構造になっているので、2階席3階席の後ろのほうともなると、落語を聴きにきたのだか、落語を聴きにきた人を眺めにきたのだかわからなくなってしまう。

今日の私の席は3階の最後尾だ。演じ手の表情などわからないし、ましてや息遣いなど感じることもできない。それでも、自分も観客のひとりであるにもかかわらず、観客の反応を少し距離を置いて、理科の実験でも見学するかのような心持で観ることができたのは新鮮な経験だった。ただ、楽器が入った場合に楽器と声とを1系統のマイクで処理していたので、音声が聞き取りにくかった。中入り後の女道楽がそれなのだが、三味線の音が強すぎて唄の文句がよくわからない箇所がいくつもあった。これは、おそらく大規模な会場特有の問題だと思うので、何らかの対策が必要なのではないかと思う。

演じ手と観客との距離感を無視して落語会を設定するというのなら、いっそのこと東京ドームあたりで開催してみてはどうだろう。よく音楽コンサートでやるようにバックスクリーンのあたりに大画面のプロジェクターを用意すれば、演じ手の表情もよくわかる。できることなら、口演は大看板が夜中に演るのがよい。夜空の下で白く浮き上がったドームから時折笑いが漏れ湧き上がる様子も大都市ならではのパフォーマンスになるのではないだろうか。誰か挑戦してみようという落語家はいないものだろうか。もし実現したら、私は会場の外でドームを眺めてみたい。

ところで、今日の演目にある「御神酒徳利」は6代目三遊亭圓生が1973年に昭和天皇皇后両陛下の前で口演したものだとの解説がまくらのなかで語られた。圓生は1979年9月3日夜に心筋梗塞で急逝したが、翌4日未明にパンダのランランも死亡した。新聞の4日朝刊のトップはランランの死亡記事だったそうだ。この国のマスコミの性格をよく表しているエピソードだと思う。

本日の演目
楽珍 「蒟蒻問答」
文珍 「池田の猪買い」
昇太 「花筏」
(中入り)
英華 女道楽
文珍 「御神酒徳利」

開演 15:00
閉演 18:00

昼間にプール

2010年04月09日 | Weblog
今日は出勤前に近所のプールで泳いできた。平日の昼間は団体や水泳教室の利用があるのだが、コースの半分は一般に公開されている。今まで平日は利用したことがなかったのだが、どのような様子なのか見てみようと思い、出かけてみたのである。

今日たまたまそうであったのかどうか知らないが、一般公開のほうのコースはほぼ貸切に近い状態で利用することができた。これなら日曜の夜に行くよりも平日昼間のほうがのんびりとした気持ちで利用できる分だけ良いかもしれない。人出の多い場所というのは苦手なので、平日の昼間にプールにでかけて、週末はなるべく外に出ないようにできるものなら、そのようにしたいと思う。

木曜日

2010年04月08日 | Weblog
火曜水曜と習い事で身体の稼働時間が長い所為か、木曜はゆっくり起きて夕方の出勤までのんびり過ごすという習慣が定着しつつある。今生活している地域では、木曜が古紙回収の日なので、そろそろダンボールや古雑誌を出さないといけないとは思いつつ、回収時間前に起床できない日が続いている。今日も出しそこなったので、来週こそは、と今から緊張している。間抜けな話だ。

家にいるからといっても、ぼぉっとしている余裕はない。掃除をしたり、洗濯をしたり、数日前に洗濯をして仕舞っていないものがあればアイロンをかけたりしなければならない。家に居ても腹は減るので炊事もしなくてはならない。何かと多忙なのである。

一人暮らしを始めて2年半になるが、結婚していた頃から掃除や炊事はやっていたので、家事に不自由は全く感じない。家に専業主婦がいて、なぜ自分が家事をしなければならなかったのか、今から思えば不思議な気がしないこともないのだが、何故か家事は一通りできてしまうのである。ありがたいことである。

ただ、炊事に関しては一人暮らしが長くなると、たまに人が来て食事を出したりする場面で量の加減がわからずにまごついたりする。コーヒーを淹れるにも、例えば豆の量を一人分の倍にしたのでは濃すぎてしまう。一人当たりの量があり、それを人数倍しても適量にはならないのが集団の難しいところである。このあたりの加減は、ものによって違うので、コーヒーの豆の量での経験を他のことに敷衍できるとは限らない。おそらく、こういうことは炊事に限らないのだろう。

個別最適を組み合わせただけでは全体最適には至らない。言われてみれば、そういうものだろうとは思うのだが、いざ個別具体的な分野で自分が当事者となって最適を模索するとなると容易なことではない。そういうところに、例えば組織の管理職の能力が試されたりするのかもしれない。そんなことをぼんやり思う木曜の昼下がりである。

行きつ戻りつ

2010年04月07日 | Weblog
昨日は暖かかったのに、今日は寒さが戻ってきてしまった。それでも桜は満開だ。ひとたび開きだしてしまったものを今更止めることはできないということなのだろう。

木工教室に通い始めてもうすぐ1年になる。去年の6月に始めたのだが、そのころは教室の最寄り駅の駅前にある池に鴨の親子が暮らしていた。駅から教室に至る通りの並木が桜であることはすぐに気付いたので、その頃から、なんとなく花の咲く様子が気になっていた。いざ咲いてみれば、なるほど見事なものである。都心の所謂「お花見スポット」は平日でもそれなりの人出なのだが、そうした話題に上らないような場所となると、これほど立派な桜並木でも、わざわざ遠方からやって来る人はないようだ。今住んでいる巣鴨地蔵通りを見ていて思うのだが、人が人を呼ぶのであって、何か特別な関心とか興味が人を呼ぶのではない。桜が見たければ、おそらく日本中どこにでも観賞に耐える場所はいくらでもあるはずだ。それが特定の場所に人が集中するのは、桜が見たいのではなく、花見で「有名」な場所にいる「自分」を確認したいだけなのだろう。

こうして季節は巡るのだが、果たして自分はこの間にどれほど変化したであろうか。陶芸や木工は、週に一度のことでしかないのだが、それでもそれなりに上達はしているように感じる。それと同じように、自分の生活というものも自立へ向けて組み立てていかないといけないのだが、まだその進捗を確かめることができるような水準には達していない。以前にも書いていることだが、自分のなかでは3年というのを物事の単位としているので、帰国から3年経過後あたりを目処に何か新しいことを立ち上げるべく精進しないといけない。この周期とは別に、妙なことなのだが、5のつく年は何かしらインドと縁がある。85年にインドに遊びに出かけ、95年は仕事でインドを訪れ、今は休止しているが2005年にヨガを習い始めた。次は2015年だが、ひょっとしたらこのときにはインドで暮らしているような予感もするのである。尤も、それまで生きていればの話なのだが。

名人芸

2010年04月06日 | Weblog
「びんぼう自慢」を読んだら志ん生の落語が聴きたくなってしまった。落語は生に限ると思っているので、こういう時に故人のことに興味が湧くと不便な思いをする。仕方がないのでアマゾンで志ん生のCDボックスを注文して、それが昨日届いた。早速、何枚かを聴いてみたら、ますます生が聴きたくなってしまって困ったことになった。あの世に行けば聴けるかもしれないと思って、山手線にでも飛び込もうかと考えたが、終電に乗って帰ってきたのだから、今出かけて行ってももう電車は走っていない。走っているとしても、ナメクジみたいに走る保線作業用の工事車両くらいなものだ。

生に限る、というのは落語も音楽も演劇も一回性のものだと思うからだ。茶の一期一会という考えにも通じるものだ。落語の場合は話芸とはいいながら、話し手の身振りとか表情といった視覚的なものも芸のうちで、なによりも聴衆との関わりという言語化できない要素も噺の構成上不可欠なので、DVDやCDのような記録媒体に落すとそういう重要な要素が抜け落ちてしまうという。それでも、一時の慰みには十分で、例えば枝雀のDVDなどは暇さえあれば眺めているのだが、一向に飽きるということがない。

志ん生のCDは、当然に音声だけなのだが、それでも十分に凄い。聴いていてすぐに気付くのは、間が現在の噺家とは全然違うということだ。まるで複数の登場人物が舞台で演じているかのように聞こえるのである。おそらく、テレビが無い時代に生きた人は、寄席や独演会という生の場面が主たる仕事場であったため、芸は自分の息遣いを感じられる範囲内にいる人を相手にしたものになる。そこでは誤魔化しが利かないし、聴衆の評価が即時に伝わってくるのだから、演じ手の緊張感は今との比ではなかったのではなかろうか。テレビに先立ってラジオでの口演があるが、それにしても視覚的要素が伝わらないのだから、否が応にも話芸を巧みにしないことには商売にならなかっただろう。

勿論、落語は生で聴くに限る、という考えは変らないが、志ん生のCDを聴いて、音声だけでも堪能できる噺家もいるのだという認識を持つに至った。何事も決め付けてしまうというのは良いことではない。間口をゆったりと構えておくというのが楽しく生きる秘訣のひとつであるようだ。

想像もつかない

2010年04月05日 | Weblog
国立近代美術館工芸館のイベントで映画の上映会と作品鑑賞会に参加してきた。映画はポーラ伝統文化振興財団が企画制作した「十三代今右衛門 薄墨の美」という作品だ。今泉今右衛門家は有田の色絵磁器を製作しており、十三代は重要無形文化財に指定されている。映画は十三代による色絵磁器の製作過程を記録したものだ。

伝統工芸の世界では、先祖代々同じ家業を受け継いでいるという人々が少なくない。生まれたときから仕事が決まっているというのは、私のように何もない家に生まれた身からすれば羨ましいことのように感じられるのだが、当人にしてみれば様々な重圧があってたいへんなことなのだろうとは思う。しかし、その重圧にしても私のような凡人には想像もつかないことである。

伝統というのは、同じことを繰り返すのではない。基本を守りつつも、その時々の時代の変化のなかで、常になにかしら創造を続けていかなければ、単なる陳腐に成り下がってしまう。創造という行為ほど困難なことはない。ましてや、人は習慣に支配されやすい。自分自身の習慣を打破していくのは勿論必要なのだが、自分が背負った伝統に対する世間の習慣というものを変える挑戦も続けなければ、伝統を守ることにはならない。世間というのは無責任なので、伝統など理解もしないのに、情緒的に伝統の上っ面を守りたがる。伝統は社会や時代との位置関係であり、社会や時代が変化すれば当然に伝統の表現も変化しなければ忘れ去られてしまうということが、傍観者には理解できない。

今回のイベントは事前申し込み制なので、工芸に関してある程度は興味や関心のある人たちが参加しているはずである。イベントのなかで陶磁器作品を実際に手にとって鑑賞するという機会があるのだが、その光景を眺めていると、陶磁器の取り扱いをきちんとできる人は皆無に近く、美術館のスタッフがハラハラしているような様子である。世間というのはそういうものなのである。わかったようなことを言いながら、実はなにもわかっていないというのが過半を占め、そうした有象無象の作り出す雰囲気で動くのが世間というものだ。

だから世間は恐ろしいのである。今から振り返れば奇妙なほどに無謀なことにしか思えない太平洋戦争も、決して軍部が独走した結果ではあるまい。戦後、日米安保条約を巡って国中が騒然となった時期もあったが、騒いでいた人々のどれほどが政治や外交を理解していたのか疑問である。バブル経済にしても単なる狂騒だろう。騒動になって生活が脅かされれば、騒動の責任者をつくりあげて他人事のように非難する。その騒動を突き動かす潮流の一部となって自分も関わっていたことなど無かったことにして、都合の悪いことは他人に押し付けあう。それが世間というものだ。

そういうなかで連綿と続く伝統を守るというのは、どのような世界であれ、並大抵のことではないだろう。重要無形文化財とされる人々の技巧による作品は、本来なら金銭に換算できるようなものではない。それでも市場経済という世の中では敢えて金銭による価値が付けられざるを得ない。皿ひとつ、壷ひとつ、ものによっては億単位にもなるが、伝統の重みというものは、それでも不足な程なのかもしれない。

まくらはまくら

2010年04月04日 | Weblog
柳家小三治の独演会にでかけてきた。前座の後、殆どマクラらしいマクラもなく「長屋の花見」でたっぷり聴かせて仲入り。締めは期待に違わぬ長いマクラ。話題はうがいのことと傷を治すバンドエイドのこと。ひょっとして、マクラだけで終わってしまうのかと思ったら、ちゃんと「品川心中」でまとまった。

前座は柳亭燕路で「粗忽の釘」これは上方では「宿替え」と呼ばれている噺で、私が持っている枝雀のDVDボックスにも収録されている。今回は前座で演るということで短縮形なのだが、本来は一反風呂敷にまとめた荷物が持ち上がらなくて、ひとつひとつ降ろさせるくだりも聞かせどころのひとつである。中心となるのは箒をかけるのに柱に釘を打とうとして、壁に打ち込んでしまい、隣の家に謝りにいくところの顛末で、隣の亭主とのやりとりのなかでサゲをつける。サゲも、今回は短縮形で伏線を張る余地が限られていたことから、さらりとまとめられていた。

「長屋の花見」は落語を知らない人でも、だいたいの話は耳にしたことがあるのではないだろうか。それほど有名な噺である。この噺に限らず、古典というのは筋もサゲも予め知っていて聴くのである。それでも楽しいのは、そこに落語家の芸があるからだ。それは一期一会のようなものもあり、何がどうというのではないが、DVDで観るのではなく、落語会に足を運んでみないと味わうことのできない部分が大きいと思う。よく知られた話ほど噺家の力量が出るもので、「此の噺は本当はこんなに面白いものだったのか」という発見があると、聴きに来てよかったと嬉しくなる。

「品川心中」は廓噺なので、そのままではわからない。噺の途中に用語解説を加えながらの進行になる。文化とか習俗というものは時代とともに変化するものなので、昔の話をそのままかけても聴くほうにはわからない。そこはなんとか工夫しなければならないが、聴くほうも当然の教養として自分の国の歴史や文化はある程度知っておかねばならないだろう。歌舞伎も能も、もとは大衆芸能である。それが今となっては、何の予備知識も無しに観たのではわけがわからない。落語も同じことだろう。尤も、廓というものが日本人として知っているべきものかどうか、という議論はまた別のことである。

ちなみに前回、昨年6月に草加で聴いたときは「蒟蒻問答」と「小言念仏」だった。やはり「小言念仏」のマクラが長く、このまま終わってしまうのではないかと思ったのを思い出した。マクラの割合についてはいろいろ意見もあるだろうが、会場の雰囲気に合わせて高座と客席を一体化させるものなら長かろうが短かろうがどちらでもよいのではないかと思う。時々、高座と客席の間に微妙な断絶があって、まるでテレビを観ているような心持になる落語会に出くわすのだが、あれはいかがなものかと思う。そういうものがあることを考えれば、今日の小三治の独演会は、噺が終わって幕が下りた後の心地がなんとも良い塩梅で、遥々立川まで出かけてきた甲斐があった。

聴きに行きたい落語会はたくさんあるのだが、生憎、夜の仕事なので平日夜の会に出かけることができない。それでも現時点でチケット入手済みの落語会は以下のようなものだ。
4月10日土曜日 桂文珍 春風亭昇太 (国立劇場)
4月18日日曜日 林家たい平 柳家喬太郎 (蕨市民会館)
5月16日日曜日 桂三枝 古今亭菊之丞 立川談笑 桂三若 三遊亭王楽 (足立区シアター)
6月12日土曜日 柳亭市馬 立川談笑 柳家花緑 (関内ホール)
7月10日土曜日 柳家花緑 (行徳文化ホール)
7月24日土曜日 桂雀々 立川志らく (日経ホール)

チケットはイープラスで購入しているのだが、案内のメールが来て、日程が週末なら、とりあえず申し込むことにしている。そうしたら、こんなふうに夏まで予定が入ってしまったのである。

「びんぼう自慢」

2010年04月03日 | Weblog
五代目古今亭志ん生の「びんぼう自慢」を読んだ。落語をあまり知らない人でも、日本の文化に多少の興味や関心のある人なら、この人の名前くらいは耳にしたことがあるだろう。それほど高名な落語家である。現在、高座で活躍している人のなかには、この本を読んで落語家を志したという人もいるくらいの名著なのである。

残念ながら、私はこの落語家の噺を生で聴く機会には恵まれていない。私が生まれる前年、巨人の優勝祝賀パーティーの席で脳出血で倒れ、翌年、私が生まれる直前に新宿末広亭で復活を果たしたものの、私が小学校に上がる前年10月9日のイイノホールでの「精選落語会」を最後に高座に上がることは無かったからである。ついでながら、長男の10代金原亭馬生にも間に合わず、次男の3代目古今亭志ん朝は私の親と同世代なのでテレビで観た記憶がある程度だ。いずれにしても三人とも故人で、とうとうこの親子の生の噺に触れることができなかった。

それで本のことだが、著者としてクレジットされているのは古今亭志ん生だが、実際に書いたのは小島貞二である。聴き語りなので、話し手にしてみれば、聞き手が目の前にいるわけなので、話をおもしろおかしくしようという気持ちも出てくるだろうし、聞いて書くほうにしても、本にする以上は売れるように書こうという気持ちがあるだろうから、多少の誇張や脚色は当然にあるだろう。

それにしても、「飲む打つ買う」の「飲む」への執着というのは、飲まない私には全く想像できないことである。彼の場合「打つ」も「飲む」に通じているもので、「買う」はあまりなかったのだそうだ。そういう人が60歳を過ぎて人気が上がり、今こうして「名人」として名前の残る落語家になっている。結局は、酒に溺れているように見えていながら、落語という自分自身の生活の軸足を外さなかったことで、人生の最終コーナーを回ったあたりから、その軸足を守り抜いた効果が出てきたということなのだろう。どんなときでも稽古を怠ったことがないのだそうだ。それと、落語は話芸なので、よほど噺の中の人物になりきることができないと、特に古典のように予めおおかたの筋と下げがわかっている噺などは、多くの観客を惹きつけることができない。それには、噺のなかの登場人物を演じるというのではなく、演じることを超えて自分に憑依させるほどの人生経験がないと、なかなか説得力のある噺にはならないということだろう。「飲む打つ買う」というのは欲望の根源のようなものなので、そういう部分に関連した経験を積んだことが落語に活きているのは確かである。

落語家というのは職業の名称ではなくて、人の生き方なのだということを、この本を読んで感じた。同時に、貧乏などしたくてもできない、それどころか貧乏が嫌でこの世界を目指すような人が、今の落語界の多数派なのではないかと感じることもある。勿論、時代が違うので志ん生のような落語家はもう出てこないのだろう。今の時代には今の時代なりの「落語家」がいてもよさそうなものだと思うのだが、なんとなくどの人も「落語家という商売をやってます」みたいな感じを受けてしまい、「落語家という人生を生きています」という人は皆無とはいわないにしても希少であるように思う。それにしても、名著だと思う。

変らぬ世界 変えたい世界

2010年04月02日 | Weblog
東京国際フォーラムで開催中のアートフェアに現金10万円握り締めて出かけてきた。「芸術新潮」にアートフェアについての座談会の記事があって、「買うと買わないでは、世界が違ってくる」という言葉に惹かれたのである。確かに、その通りだろう。

午後の早い時間に2時間近く会場のなかを歩き回り、それなりに惹かれるものもあったのだが、そういうものは当然に予算超過で、かといって役所ではないので予算消化が義務付けられているわけでもなく、結局「違った世界」を手にする機会を逸してしまった。

それでもいろいろな作品を一度に眺めるのは楽しい経験だった。買うとしたら、まだ名前の知られていない人の作品がいいと漠然と思っていた。できれば絵画で、私が今住んでいる30平米の小さな部屋でも飾ることができそうな小さなものが欲しいと思いながら、会場を回った。勿論、それ以外のジャンルのものも観て歩いた。

陶芸をやっているので、陶磁器にはどうしても目が吸い寄せられてしまう。ルーシー・リーの存在感は圧倒的だった。もっと予算があったとしても買うことはないのだが、どの器にもオーラのようなものが感じられて、シンプルで洗練された形なのだが、不思議な力強さのようなものがある。何故買わないことに決めているかというと、陶磁器に関しては欲しいものは自分で作ることにしているからである。勿論、遊びでやっているような陶芸では、できるものというのは限られている。しかし、遊びとはいえ、欲しいものを作るために技能を向上させるべく教室の通っているわけなので、買ってしまっては教室に通う意味がない。

同じ理由で、写真もあまり買いたいとは思わない。写真は習っているわけではないが、部屋を飾る程度のものは自分で撮りたいと思う。現に、部屋には自分が撮った写真を自宅のプリンターで印刷して自分で作った額に収めて飾ってある。額は1月14日付「額を作った」に書いた額である。額は今のところ、このブログのなかに書いた3つだけだが、飾る場所はひとつ分しかない。そんなわけで、3つの額をとっかえひっかえ飾っている。

絵は筧本生の作品が面白いと思ったが、既に名前のある人で、当然に私の予算では収まらないので、やはり購入対象たりえない。ほかにもいくつか気になるものがなかったわけではないのだが、結論としては買いたいほど欲しいものには出会うことができなかったということだ。ただ、今まで美術品を買うなどということは思いもよらぬことだったので、それが買ってみようと思うようになったのは自分のなかでの大きな変化であることには違いない。さて、私の世界は変るのだろうか。

春の嵐

2010年04月01日 | Weblog
ようやく春らしい気温になったと思えば、風も強く、JRの運行に支障が出るほどであった。仕事帰り、東京駅を0時20分頃に発つ京浜東北線大宮行き最終電車に乗ったものの、秋葉原で遅延している総武線各駅停車との接続を取り、その接続で車両が一気に混雑したので、このままでは田端で降りることができなくなってしまうかと思っていたら、日暮里で下車する人が多かったので、その流れに乗ってホームへ出た。ここで山手線に乗り換えようと思ったら、これが遅延。構内放送によれば、ようやく東京駅を発車したところだという。

毎日のように遅延を繰り返していると、さすがに駅員のほうも、そろそろ客にぶん殴られやしないかと緊張するらしく、しつこいほどに遅延状況を知らせる放送が入る。遅延して東京を発った山手線内回り品川行き最終列車は、秋葉原で同じく遅延している総武線の接続を取るためさらに遅延する。ようやく到着した山手線に乗ると、今度は遅延している京浜東北線赤羽行き最終列車との接続を取るため、田端で足止めをくらって、さらに遅延を重ねる。結局、巣鴨に到着したのは1時20分頃になった。東京から巣鴨までの所要時間1時間、通常の3倍である。

今日は遅延くらいで済めば幸運なほうで、京葉線は運休だ。それほどの強風だったのである。それにしても、首都圏のJRがダイヤ通りに運行されている日というのはあるのだろうか。理由はいろいろあるようだが、先日書いたように当てにならない時刻表は、この際非公開にして、職員が努力目標として内部資料として扱うということにしたほうがよいのではないか。

ポーカーというゲームで、手札が思わしくないときは、全部の持ち札を一度に交換してしまうという手がある。この際、JRも全職員を一旦解雇して、改めて募集をかけるということも考えたほうがよいのではないか。主だった新聞や街の掲示板に「JR東日本 正社員募集」という広告が出れば、そこに至る事情はどうあれ、「景気が良くなったのかな」という錯覚も生まれるかもしれない。「誤解も信用のうち」ということを言う人もいる。たとえ錯覚でも多くの人が前向きな気分になれば、結果として個人消費にはプラスの要因になるだろう。政治にはそういう方便も必要なのである。