風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「名古屋の街を走る路面電車=加藤幹彦さんの写真個展」

2016-07-12 17:56:08 | 日記・エッセイ・コラム

      





       

かつて名古屋の街を走っていた路面電車(名古屋市電)の姿を収めた元美術教師・加藤幹彦さん(81)の写真展「市電残像」が、名古屋・納屋橋の角にある旧加藤商会ビル地階の堀川ギャラリーで開かれています。
名古屋の街から市電が消えゆく時代に名古屋に勤務していた僕の脳裏にも、路面電車の姿と音・振動がよみがえりました。展覧会は7月31日まで。

ウィキペディアなどによれば、名古屋市電は1898年、わが国2番目の電気鉄道としてスタート。小刻みに路線を巡らし、まさに市民にとって最も頼りになる足でした。

しかし、バス路線の充実や地下鉄の増強、さらに本格的な車時代の到来で深刻になった道路混雑の緩和策などを理由に、1960年代から次々に路線を廃止。74年には全ての路面電車が姿を消しました。
広小路通りを走っていた路線の最後の夜、名古屋に勤務していた僕も最終電車を取材。車内は飲食街などでの仕事を終えて家路につく女性たちでいっぱいだったのを思いだします。

加藤さんは、市民の暮らしの中にあった路面電車を写真に残しておこうと、さまざまな場所や角度から撮影。膨大なフイルムの中から今年になって写真集「市電残像―名古屋に路面電車があった頃―」を出版しました。

熱田神宮の初詣客の中を行く電車、車掌から切符を求める女性ら、僕も毎日のように目にしていた納屋橋周辺の夜景に包まれて走る電車、花で飾られた最後のお別れ電車・・・。

列車の鉄道を渡る電車、車体の検査や修理の現場などもあります。

ギャラリーにはそれらの中から15点ほどが展示。写真集を見たという元市電乗務員の手紙なども展示されています。

市電廃止後、しばらくして「うるおいのある街づくりのために、八事~本山間の四谷通に路面電車を復活させてはどうか」との声が行政側から上がったことがありました。

結局、費用対効果などを理由に夢のままで終わりましたが「けばけばしいネオンは別として、路面電車が走っていたころの街の風景は、ゆとりがあって美しかった」と思うのは、僕も年をとったというこ とでしょうか。

             



      



        
※写真は加藤さんの写真集と個展の展示作品から選びました。