名古屋・港区の金城ふ頭にある「リニア・鉄道館」へ。蒸気機関車から新幹線、そして超電導リニアまで、居並ぶ車両を見て回り、過ぎし人生の何コマかを振り返るひとときになりました。
リニア・鉄道館はJR東海が2011年に開設した鉄道博物館。約40両の車両が並び、運転シミュレータや日本最大級の鉄道ジオラマなどもあって、全世代共通の人気スポットです。
僕は比較的転居・転勤が多く、出張も多かったせいで、よみがえるシーンの中によく鉄道が登場します。
まず、足が止まったのは特急「つばめ」を牽引していた蒸気機関車です。
東海道線の沿線で過ごしていた小学生時代。ばく進する列車を見に線路わきへ行き「つばめ」と「はと」のカッコよさに「いつかは乗ってやろう」と夢見たものです。
機関車が引っ張る貨物列車は、それ以上に魅力的でした。
機関車の迫力と車両のとてつもない長さ。車両を「1つ、2つ・・」と数え、「今度は何両かな。100は超えるかな」。時の立つのも忘れ、次に走ってくる貨物列車の音に耳をすませました。
屋根のない貨車の積み荷や車両の所属基地を示す文字などに興味を持ち、日本経済の一端を子供なりに学んでいた、と思います。
蒸気機関車といえば煤煙。四国山脈を貫きトンネルを抜けたらトンネルの土讃線を利用していたころ、窓を閉めるのを怠り車内に煙を充満させてしまったこともありました。
国鉄ストの度に、未明の空に煙を噴き上げる機関車を労使が囲んで繰り広げる「暁の乗務員争奪戦」。ウオッチしたのは、機関区のある任地に赴いた駆け出し時代の1ページです。
列車が一本も走らないストの朝、通勤者らと歩いて職場に急ぐ「痛勤体験記」をものにしたのも遠い思い出です。
在来線車両の展示コーナーで懐かしかったのは、東京―静岡間の急行「東海」の文字。それより前に東京―名古屋間で走っていた準急時代を含めて、「東海」は安くて、速くて、夜行もある、若いころの頼りになる存在でした。
展示場には鉄道輸送の歴史や写真などのコーナーもあります。
戦後、機関車の屋根にも人が乗ったまま走る写真には、列車の窓から小便小僧をしたり、車内からあふれた大人たちに挟まれて乗車口のそばで小さくなっていたころがよみがえりました。
今や東京―新大阪間が2時間22分。
「考えられなかった速さ」に改めて驚くとともに、長時間の旅の思い出もいくつか浮びます。
半世紀前、四国の田舎から上京するには丸一日かかりました。
それでも、心ひそかに思う女性とその友人のために、ひと足早く出かけて瀬戸内海を渡り、東京へ向かう急行の座席を確保したり、寝台車では乗り合わせた女性に胸をときめかせたり・・・。僕にも、こんな青春時代があったのです。