カレシに饒舌ブログで「ホームシック」についてだらだらと書いた話をしたら、「あのときキミ
がオタワまで来ていたら、オレたち、今もオタワかもしれないな」とちょっと遠い目になった。
あのとき(1973年)、連邦政府公務員だったカレシは蒸し暑いオタワの夏に嫌気がさして、
ホームシックになっていたらしい。まあ、格安航空券なんてない頃だったから、バンクーバー
から5千キロ近く離れたオタワまで行けなかったし、何よりも、4年間文通したとは言え会っ
たことのない独身男のところへひとりで行くのは「嫁入り前の娘」の行動としては「いかがな
ものか」だったんだし・・・。
あのときオタワに行っていたら、私たちは普通に恋をして、結婚して、そのままオタワに住み
着いたのかなあ。カレシは一応キャリア組だったから、連邦政府の官僚としてかなりいいと
ころまで昇進できたかもしれないね。カナダの首都だから、いろんな文化活動が盛んだし、
夏は週末ごとに湖畔か森の中のコテージに出かけて、冬はリドー運河でスケートを楽しん
で・・・う~ん、ばら色だなあ。でも、ワタシは専業主婦向きじゃないから、退屈で気が狂いそ
うになって、日本に帰る!と駄々をこねたかもしれないよ。
ビクトリアでもワタシは猛烈なホームシックになって、カレシを放り出してバンクーバーに帰
るとごねたじゃないの。だって、公務員はカナダ国籍者が優先されたから、「行政」が中枢産
業のビクトリアもオタワも、永住権だけでは仕事の選択肢が狭まってしまう。ビクトリアでは
実際にそれで何度か就職のチャンスを逃した。(だからバンクーバーに戻ってすぐに市民権
を申請したわけ。)「でも、ビクトリアはオレにとっても腰掛だったから、バンクーバーで募集
があったらすぐ応募するつもりだったよ」と、カレシ。うん、住宅難でやっと見つけたアパート
は粗悪で最低だったし、休みの日もあまりすることがなかったし、まあ、2人してホームシッ
クだったのかな。
「でも、オタワだったらオレの給料で十分に暮らせたから、キミは大学に行けばよかったんだ
よ」と、カレシ。なるほど、そういう手もあったのか。大学で勉強している間に市民権を取れ
ば、ワタシもキャリア組の公務員になれたのかな。だったら、翻訳者にはなってないだろう
から、日本は遠い存在になっていたのかな。ま、あれは「行かなかった道」。想像しているう
ちが花だけど・・・。
がオタワまで来ていたら、オレたち、今もオタワかもしれないな」とちょっと遠い目になった。
あのとき(1973年)、連邦政府公務員だったカレシは蒸し暑いオタワの夏に嫌気がさして、
ホームシックになっていたらしい。まあ、格安航空券なんてない頃だったから、バンクーバー
から5千キロ近く離れたオタワまで行けなかったし、何よりも、4年間文通したとは言え会っ
たことのない独身男のところへひとりで行くのは「嫁入り前の娘」の行動としては「いかがな
ものか」だったんだし・・・。
あのときオタワに行っていたら、私たちは普通に恋をして、結婚して、そのままオタワに住み
着いたのかなあ。カレシは一応キャリア組だったから、連邦政府の官僚としてかなりいいと
ころまで昇進できたかもしれないね。カナダの首都だから、いろんな文化活動が盛んだし、
夏は週末ごとに湖畔か森の中のコテージに出かけて、冬はリドー運河でスケートを楽しん
で・・・う~ん、ばら色だなあ。でも、ワタシは専業主婦向きじゃないから、退屈で気が狂いそ
うになって、日本に帰る!と駄々をこねたかもしれないよ。
ビクトリアでもワタシは猛烈なホームシックになって、カレシを放り出してバンクーバーに帰
るとごねたじゃないの。だって、公務員はカナダ国籍者が優先されたから、「行政」が中枢産
業のビクトリアもオタワも、永住権だけでは仕事の選択肢が狭まってしまう。ビクトリアでは
実際にそれで何度か就職のチャンスを逃した。(だからバンクーバーに戻ってすぐに市民権
を申請したわけ。)「でも、ビクトリアはオレにとっても腰掛だったから、バンクーバーで募集
があったらすぐ応募するつもりだったよ」と、カレシ。うん、住宅難でやっと見つけたアパート
は粗悪で最低だったし、休みの日もあまりすることがなかったし、まあ、2人してホームシッ
クだったのかな。
「でも、オタワだったらオレの給料で十分に暮らせたから、キミは大学に行けばよかったんだ
よ」と、カレシ。なるほど、そういう手もあったのか。大学で勉強している間に市民権を取れ
ば、ワタシもキャリア組の公務員になれたのかな。だったら、翻訳者にはなってないだろう
から、日本は遠い存在になっていたのかな。ま、あれは「行かなかった道」。想像しているう
ちが花だけど・・・。