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リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

建国記念日にアイデンティティを考える

2018年07月02日 | 日々の風の吹くまま
7月1日(日曜日)。曇りのち晴れ。今日はカナダ建国151年の記念日。ハッピーバースデ
イ、カナダ!今年は北海道も「命名」150周年。開道百年の1968年はワタシが成人した年
で、明るい未来を感じたもんだけど、今はどうなんだろうな。かって独立論に傾いていた道
産子五世としては自分の父祖の地が「植民地」扱いされて来たという気持を未だに拭えな
いでいる。「北海道開発庁」という東京のお役所が道産子の闊達な開拓者精神を押し潰し
たことは否めないだろうな。開拓者も元は「内地」から移民して来た日本人だから、ある意味
で同調圧力に抵抗がなかったのかもしれないな。

その人のアイデンティティが1個の人間として存在基盤であれば、グローバル時代にはなか
なかひと筋縄では行かない問題だな。最近「サー」の称号を与えられたイギリスのノーベル
賞作家カズオ・イシグロに関する記事に「スリランカ出身の日本人」のブログ記事を重ねて
読んで、自分の「カナダ人」のアイデンティティが揺らぎのないものになっていることを確認し
たけど、個人のアイデンティティよりも「日本人」としての一体感を重視する人たちには理解
し難いかなと思ってしまう。多重文化・多民族国家のカナダにはカナダ国籍を持っていれば
誰でも「カナダ人」という共通観念が根を下ろしつつあって、移民でも二世、三世の代になれ
ばもう普通に「カナダ人」になっちゃうんだけど。

たしかに自主的にカナダ国籍を取得してもカナダ人であることを否定する人は多い。中には
重国籍を認めていない出身国の友人たちにひけらかす人たちもたくさんいるけど、この人た
ちにとってはカナダ国籍(パスポート)は社会的、経済的な便宜を得る手段に過ぎないわけ
で、おそらくは生涯カナダの地に根を下ろすことなく、異文化の中に鉢植えのまま置かれた
異国の花として生きて行くんだろうな。それがその人の自主的な選択なら他人がとやかく言
うことじゃないけど、あまり幸せそうに見えない人が多そうなのはどうしてかな。

日本は日本なりにいい国だけど、ワタシの国は養母のように迎え入れてくれたカナダ。外国
でカエデの国旗を見るとじぃ~んとするくらいだから、普通のカナダ人のストーリーを芝居に
したいと思うのも自然な成り行きだろうと思う。まあ、40年以上も離れていれば、お互いに
「去る者は日々に疎し」になって不思議はないけど、それで縁もプッツンというわけでもない
しね。