リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

近頃のセレブは謝罪ブーム?

2014年05月17日 | 日々の風の吹くまま
夕食をしながらテレビのニュースを見ていたら、セレブの「謝罪ブーム」みたいな話をしてい
た。そういえば最近やたらと芸能界やスポーツ、メディアのセレブたちの謝罪が多いなあ。
ふわっと浮かんだことを手軽に発信できる手段が氾濫したおかげで思考が緩んだのか、と
にかく不用意な失言をしては「アイアムソーリー」。まあ、手軽に失言できる手段のおかげで、
誰でも他人の言葉尻を捉えては同じ手段を使って「謝罪しろ」と手軽に要求でるようになっ
て、それをSNSの群集心理が煽るからかもしれない。何だか北米も小町横丁に似てきた
ような・・・。

日本で事故や不祥事が起きるたびに記者会見で企業の幹部が並んで、フラッシュを浴びな
がら(せぇ~の)「ごめんなさぁ~い」とチンシャする風景が外国のメディアにも流れたから、
「そっか、ああやってソーリーと言えばいいのか」ということになったのかもしれない。テレビ
ドラマの一場面か、PRマンのような男が「謝罪に誠意なんかいらねぇんだよ。謝っちまえば
いいんだ」と言っている映像には笑ってしまった。謝罪は重みのある行為だと思ってたいけ
ど、何ともまあ軽くなったもんだね。日本ではそのうちにスキャンダルを起こした若いセレブ
が「さぁせぇ~ん」なんてシャザイするようになるかもしれないな。

空涙でも何でもとにかくしおらしく謝罪したら、謝罪を要求した方は気分がすっきりするんだ
ろうか。小町ではよく不倫男の奥サンがダンナを土下座で謝罪させたと報告しているけど、
その夫婦が元の鞘に納まったのかどうか気になるところ。だって、ダンナは内心で「土下座
すりゃいいんだろ?謝罪すりゃいいんだろ?(今に倍返ししてやる!)」と思っているかもし
れないし、奥サンの方も、思い出してはつらくなると小町横丁で嘆いているところを見ると、
ダンナに土下座させて謝罪させても始末書を書かせても、気持がすっきり晴れたわけでは
なさそうな印象なんだもの。

いろんな失言セレブの(かなり白々しい)謝罪風景を見ながらのひとりごと。ワタシは謝罪を
要求しない。謝るかどうかは相手に任せて、ワタシは自分のためにどうしたいかを考える。
だって、心から悪かったと思って自発的にする謝罪でなければ、何も癒しはしないし、誰に
も良いことはないから。はて、妙に沈思黙考の表情になったカレシは何を思ったのか・・・。


忘れるか、赦すか、それが問題

2014年05月16日 | 日々の風の吹くまま
ニューヨークのグラウンドゼロ記念館がやっとオープンにこぎつけた。演説するオバマ大統
領の後ろの壁に書かれていた言葉に胸が熱くなった。「No day shall erase you from the
memory of time (いかなる日もあなたを時の記憶から消し去ることはない)」。ラテン語の
「Nulla dies Umguam memori vos eximet aevo」はウェルギリウスの叙事詩に出て来る。
たまたま早起きしたあの日、ふとテレビを見上げた瞬間にWTCのタワーが崩れて行くのを
リアルタイムで見てしまった。そのとき、聞こえるはずがないのに、ワタシの耳にはたくさん
の悲鳴が聞こえた。それと同時にワタシの中で何かが目を覚ましたと思う。いつか行きたい。
どうしても・・・。

あのとき、改めてワタシの心に強く響いてきたのが、イギリスの有力紙The Guardianの編
集長の「世界を歴史という大きな枠の中で見てごらん」という言葉だった。まるで孫娘に説き
聞かせるような手紙はその後のワタシの視座を大きく変えた。あのときにもうひとつ教えら
れたことがある。「We forgive but not forget(赦すけれども忘れない)」。赦そう。でも忘れ
ない。それは同じ轍を踏まないためであって、遺恨を引きずることではない。赦すことで心
が自由になり、経緯を負の感情に邪魔されることなく見ることができる、と。

あの日、世界には赦すことも忘れることも頑なに拒否する人たちがいるのだと知った。でき
ないのか、しないのか、宗教や文化がそう教えるのかは知る由もない。キリスト教の「隣人
を汝自身のごとく愛せよ」という教えは、言い換えれば「隣人を汝自身のごとく赦せ」というこ
とで、人を赦すということは実は自分を赦すこと、つまり自己嫌悪から自らを解放することで
もある。屈辱的な謝罪を要求したり、復讐を企てたりしても、自分を赦せなければ何の慰め
にもならず、よけいに負の感情を強めて悶々とするだけのように思える。まあ、少なくともワ
タシには・・・。

過ぎたことは水に流して忘れるという考えもあるけど、心の痛みは「時の記憶」から消えるこ
とはあっても、「心の記憶」は支配しきれないから容易に消せないし、恨みつらみは忘れた
つもりでも思い出されて来る。でも、赦すことは恨みつらみを手放す(心の記憶から切り離
す)と自分で決めて実行することだから、究極的には重い負の感情を捨てて自分の心を解
放することで、その時点で忘れるかどうかはどうでも良くなる。思い出したら「繰り返さない
から」と自分に約束するだけ。少なくともワタシにはそうすることで人生が幸せに感じられる
ようになったと思えるんだけど・・・。


経済発展で事故が起きるのはどうして?

2014年05月15日 | 日々の風の吹くまま
トルコの炭鉱での爆発事故。急激な経済発展を遂げたのに、なぜ産業事故が減らないの
かと国民の怒りが全国に広がっている。現場に赴いた首相は「災害は遺憾であるが、事故
は稀なことではない」みたいなことを言ってしまったらしい。政治家になって現実世界から乖
離するというのは世界共通の現象だけど、何百人もの国民が死んだというのに、「事故は
起きるもんなんだ」はないと思うよ。(これも想像力欠如による共感力の欠如なのかな。)

急速に近代化と経済発展を遂げて来たトルコでどうして産業災害が多発するのか。その背
景にあるのは「急速な経済発展」のひと言に尽きるかな。ワタシが中学生だったときか、九
州の「筑豊炭田」にあった三井三池炭鉱で炭塵爆発が起きて458人の死者が出た。(同じ
日に横浜での鉄道事故で200人近い死者が出たのを覚えている。)あれは日本が「戦後」
を脱して、経済が急激に発展していた頃で、あちこちで公害が起き、産業災害が起きていた。
政治家の汚職事件も頻発したな。あの頃の日本の状況は現在の新興経済国と似ているか
もしれないと思う。

三井三池鉱の事故が起きた頃には、筑豊の石炭産業はすでに衰退が始まっていて、激し
い労働争議や失業による貧困の問題が起こっていた。(小学校の頃に生活に困窮した炭鉱
労働者を助ける「黒い羽根募金運動」というのががあった。)Wikipediaによると、事故の原
因には「保安を無視した生産第一主義」とする鑑定と、「不可抗力だった」とする(会社側の)
鑑定とがあって、前者に基づいて会社幹部を起訴しようとしたら、急に多くの検事が転勤に
なって、結局は事故原因の「科学的な立証」は不可能と言うことで不起訴処分になった。
(ふむ、東電の釈明みたい・・・。)

過渡期だったのだと言ってしまえばそれまでだけど、産業の急速な発展に安全や労働条件
などの法規制が追いつけなかったのか、あるいは経済成長が優先されて労働者の命を守
る法規制は蔑ろにされたのか。トルコもかっての「新興経済」日本が通って来た道の半ばに
あるのかもしれないな。そういう状況では、政府も産業も「国民」という人間の存在に疎くな
る。うんと怒りなよ、トルコの人たち。黙っていたら何も変わってくれない。みんなが声を荒げ
て怒らないと、ジェリコの壁は崩せないよ。

レリゴー論争はレリゴー

2014年05月14日 | 日々の風の吹くまま
まだ平年より暑めなので、クーラーの運転を始めようと思ったら、あら、うんともすんとも言
わない。前に修理を頼んだ人は廃業してしまったようなので、工務店のマイクに泣きついて
取引先の業者に連絡してもらったけど、まあ、20年だから、買い替え時なんだろうねえ。人
にもモノにも寿命ってものがあるんだし。

小町横丁でまだ「レリゴー論争」をやっていたので、おもしろ半分にオリジナルを聞いてみた。
知らなかったけど、『アナと雪の女王』と言うのはディズニーの『Frozen』というオスカー受賞
のアニメーションの日本題だったんだ。(日本題には原題の「Frozen」の意味合いがまったく
ないけど、そこが英語のニュアンスを訳す難しさ。)なかなかいい歌だけど、争点?の「Let it
go」のところは「レリゴー」には聞こえなかった。どんな風に聞こえたかと言うと、「Let it go」
と聞こえたとしか言えない。ワタシの耳、英語は英語にしか聞こえないということかな。

でも、日本人の耳に「レリゴー」と聞こえてもぜんぜん不思議じゃないと思う。まず英語では
単語をそれぞれ切り離して発音しないから、Let it goならLetitgoになる。カタカナ語にする
と「レティゴー」かな。でも、中に挟まったTは舌が滑って強く発音されない。一方で、日本語
のR(ラ行)はDかTの要素が混じった発音なもので、letitgoのtiはリ゛に聞こえるというし
くみかな。(日本語ではラ行に濁点はつかないけど、音としてはそんな風な感じ。)日本語と
英語では基本的に舌の使い方が違うので、同じ文字でも違って聞こえてあたりまえだから、
カタカナで「rerigo」と歌っているのを聞くと、(日本語にはLがないから)英語耳には「デディ
ゴー」に近いように聞こえるかもしれない。

いつものことだけど、こと英語となると、ネイティブはああだ、こうだと(しばしばあやふやな)
薀蓄を傾ける人や英語の「正しい発音」について(英語の発音を正しく表現できない)カタカ
ナで説明しようとする人がたくさん出て来る。日本人の英語が日本語訛りでどこがいけない
のかと思うけど、日本人の英語に対する思い入れはすごい。ま、Let it goには(こだわりや
負の感情を)思い切る、捨てる、忘れるという意味もあって、ヒロインがLet it goと歌うこと
で原題の「Frozen」の意味が生きて来るわけ。日本語版では「ありのままで」という歌詞だ
そうだから、レリゴーに聞こえるんだったら、ありのままにレリゴーと歌えばいいじゃないの。
レリゴー、レリゴー!

国籍をどうするかって?

2014年05月13日 | 日々の風の吹くまま
今日は暑い。7月の陽気だそうで、いや、暑い。と言っても22度くらいだけど、バンクーバー
はこれで「夏日」だから、やっぱり暑い。三連休の週末には平年並みに戻って雨が降るそう
だけど、とりあえずシーツ類をフランネルから肌に涼しいパーケールに変えてから、もう少し
のところまで来ていた仕事をさっさと片付けて納品。後は「無職」モードでのんびり・・・。

「国際結婚したら国籍は?」というのは、異国小町の古くて新しい悩みのようで、最近はたい
てい「老いた親の介護問題」とセットになっている感じがする。親が介護を必要としても、外
国籍では日本に長期滞在できないと思い込んでいる人が少なくないけど、実は日本政府は
「元日本国民」にはわりとすんなり長期滞在ビザを出すんだけどね。ただし、きちんと日本に
国籍喪失届を出していればの話。逆に、日本国籍のままで長期滞在すると国によっては永
住権が消滅して帰れなくなることもある。外国の国籍になってもその届出をしないで「幻」の
日本国籍を保っている人にはどっちも問題だろうな。

子供に日本国籍を持たせるために国籍を変えないのはわかるな。昔は父親が日本国籍で
なければ子供は外国人だったけど、法律が変わって父母のどちらかということで、新たな
「国際結婚の悩み」になったんだと思う。たしかに外国籍になれば日本人でなくなるけど、そ
れは「日本国民」でなくなるだけで、民族としての日本人を「やめる」ことはできない。でも、
日本人はその区別がないらしいから、ワタシは多民族国家カナダに国籍を置く「カナダ人」
であると同時に日本人の両親を持つ「日本(民族)人」だと言っても、「国籍=単一民族」と
思い込んでいる日本の人には理解されにくいのかもしれないな。

まあ、国籍でも戸籍でも帰属意識は人それぞれなんだけど、日本人の「日本人であること」
への思い入れの強さは信仰に近いと思えるくらいだから、イスラム教徒がイスラムを絶対視
するように、「日本人であること」は絶対なのかもしれないね。つまり、日本人が外国籍にな
るということは、キリスト教徒がイスラム教に、イスラム教徒がキリスト教に改宗するような、
ある意味で裏切りということなのかな。そういう観点から見ると、外国籍取得に対して出され
る反対・拒否意見の心理的な根拠がわかって来たような気がして来た。

思いつきでお祝いディナー

2014年05月13日 | 日々の風の吹くまま
2人が一緒になって満39年の「記念日」のきのうは、もう少しで終わりそうな仕事をさぼって、
ちょこっとご馳走を作ってお祝い。フリーザーをかき回して適当に選んだ材料で、思いつくま
まの「ちょこっとご馳走」。

     
ムール貝のガーリックバター蒸し。すでに調理して冷凍したものだから、解凍せずにバター
とにんにくでさっと蒸し煮するだけ。殻の大きさの割には身が小さいのは二度火を通したせいかな。

     
シーバスの塩焼き、グレープフルーツソース。カレシが朝のオレンジジュースに混ぜるつも
りで絞って余ったのを小瓶に入れて冷蔵庫においてあったので、シーバスに塩と胡椒だけ
を振って、山羊のバターで焼いたところへグレープフルーツジュースをジャッ。あめ色になっ
たのを、炒めたほうれん草と赤ピーマンの上に乗せたシーバスの上からかけ回してみたら、
これが意外といい。山羊のバターにはほんのり独特の風味があるし、ほうれん草にはかん
きつ類が合うしね。

     
ボタンエビとししとうのてんぷらにホッキ貝の炊き込みご飯。フライヤーの油の温度があまり
上がらないので、てんぷらは難しい。まあ、即席の天つゆに山椒を振った大根おろしを添え
て、これで何とかメインコース。

     
「ご馳走を作るなら、オレがデザートを作る」と、カレシが腕まくりして作ったのはフルーツサ
ラダ。すいか、オレンジ、りんご、バナナ、キウィをリモンチェロたっぷりでマリネート。この前
はシャンボールを使ったけど、リモンチェロもさっぱりしていていいね。

これでけっこうおなかがいっぱい。39年前の初めての一緒の夕食は何を食べたんだろうと
いう話になったけど、おぼえてないなあ。着いたばかりのワタシが何か作ったんだっけ?ま
あ、切りの良い満40年の来年のお祝いはありあわせじゃなくて、ちゃんとご馳走の計画を
立てようね。

39年は長いのか、短いのか

2014年05月12日 | 日々の風の吹くまま
満39年。長かったのか、短かったのか。39年前の今日のワタシは27歳。あの日、千歳空
港の搭乗口に向かって歩いて行くワタシの後姿。海の向こうの異国へひとりで嫁いで行く娘
を見送る父の後姿・・・。

     

39年後、いつものように向かい合って朝食をしながら、あの日のことをあれこれカレシと思
い出していた。東京―バンクーバー間は週に3便しか飛んでいなかった。(初めてカナダに
来た41年前の夏には、東京行きはまだアラスカのアンカレジで給油していた。)成田はまだ
開港していなかった。国際電話はまだ交換手を通していた。もちろんインターネットもスカイ
プも、それどころかパソコンさえ存在していなくて、航空便の手紙が届くのに1週間もかかっ
た時代。2人の恋はもどかしかった・・・。

いきなり深いところにどぼ~んと飛び込んだようなもので、けっこう向こう見ずだったよね。
俗に「後戻りできない」という意味でBurn the bridges、「渡って来た橋を燃やす」というけど、
そんな悲壮感はなかったにしても、いや、いろんな意味で若かったなあ、あのときのワタシ。
あの頃のバンクーバーは、街も人も「おっとり」という形容詞が似合っていた。あっという間
に過ぎたような気もするけど、39年はやっぱり長い年月なのかな。何よりも、ワタシもカレシ
も共にシニアになっちゃったもん・・・。

シャルル・アズナブールのBon Anniversaireをしんみりと聞きながら、ちょこっとご馳走を
作って、ハッピーアニバーサリー!

好天、10キロ踏破

2014年05月11日 | 日々の風の吹くまま
いい天気。カレシが運動がてら写真を撮りに行こうと思い立ったから、今日は「おでかけ」。
午後1時出発。気温は15度。半袖のTシャツ1枚でも汗ばんで来る。我が家の前の道路を
手をつないでてくてく歩いて行くとクィーンエリザベス公園(QEパーク)の東側。そこから公
園の南端に沿ってちょっときつい坂を登る。QEパークはバンクーバー市で標高が一番高い
ところ(海抜152メートル)で、昔は石切り場だった。公園を斜めに越えて西側に出て、キン
グエドワード駅で地下鉄に乗る。ひと駅で降りるつもりが、気が変わってその先のオリンピッ
クヴィレッジ駅で降りて、グランヴィルアイランドまで歩くことにした。

フォルスクリーク(入り江)に沿って延々と続く遊歩道はそぞろ歩きの人、ジョギングする人、
サイクリングする人、犬の散歩をする人で大賑わい。マリーナを出入りするボートに混じっ
てカヤックの練習をしている人たちを携帯のカメラで撮ってみた。(背景はダウンタウンの高
層マンション。)
     

     
グランヴィルアイランドは芝居に行くために夜の風景を見ることが多いけど、青空の下では
また違って見えるもので、劇場の裏からグランヴィル橋を見上げる。アイランドは橋の真下
で、実は連邦政府の所有地。昔は工業地で鉄道の引込み線があったかららしい。公共マー
ケットは中も外のデッキも買い物客や観光客でごった返しの観。珍しいアジア食品を売って
いる店でゆずの果汁とゆず胡椒ソースを買って、今度はWhole Foodsまでタウンハウス
の密集するフェアビュースロープをてくてく。Whole Foodsでは牛乳とトマトとライムを買っ
てブロードウェイ駅から地下鉄。母の日の花束を抱えた人たちがたくさん乗っていた。

家に帰り着いたのは午後4時。2人とも足がこちこち、喉はからから、おなかぺこぺこ。歩い
た距離は合計でざっと10キロ。こういうおでかけもいいもんだね。もちろんトレッドミルは休
みにして、それでも、あしたは2人ともぎくしゃくだろうなあ・・・。

こまめに動けと言われても

2014年05月10日 | 日々の風の吹くまま
今日はまじめに終わりまで仕事をして、やっと見直しの段階。その気になればまだ腕まくり
するんだけど、メガ仕事が終わって以来どうもだらけ癖がついたようで、エンジンのかかり
が悪かったり、快調に走ってみたかと思うと、サービスエリアに寄り道ばっかりしていたり。
まあ、十分に納期に間に合いそうだから、まだ慌てることはないけど。

まじめに仕事をした後は、まじめに運動。トレッドミルでのウォーキングを再開して2週間で、
今のところ皆勤賞。時速3.5マイル(5.6キロ)で20分。最初の4分で傾斜ゼロから1%、
2%、3%と上げて行って、カウントダウン式のタイマーがあと5分になったところで4%。こ
れがよく効いて、ちょっとでも歩調が緩むと後ろに下がってしまいそうで走り出しそうになる。
2分後には3%に戻って、残り1分で徐々にゼロに戻して終了。データの表示画面によると、
これで標高170メートル超の山を20分で登ったことになるけど、170メートルじゃ「山」とは
言わないかな。

2、3ヵ月前に、年を取ってから座ってばかりの生活をしていると、いくら「運動」をしていても
健康に良くないというアメリカの研究報告の記事があった。動かないでいると筋肉が燃焼す
る脂肪の量が減って、血流がのろくなり、高血圧や心臓病、糖尿病になったり、足首にむく
みが出るという話で、対策は1日中こまめに体を動かすこと。たとえば、立ったまま電話をし
たり、立ったついでにちょっと歩き回ったりとか、とにかく座っている時間を減らすこと。起き
ている日中の「座り時間」は男女平均して1日9時間で、1時間増えるごとに体が不自由に
なるリスクが50%高まるんだそうな。やぁ~だぁ、ワタシはばっちり座業なんだけど・・・。

最近はこういう類の研究報告が次々発表されるけど、たいていは「さらなる研究が必要」と
書いてある。要はまだよくわかってないということで、まじめに取るとかえってストレスになり
そうだから、話半分がちょうどいい。まあ、ワタシの運動は姿勢を保つのも目的のひとつ。
猫背ではすてきなドレスも台無しってもので、すっきり伸ばした背筋こそ大人の「着こなし」
の秘訣。気合を入れて背筋を伸ばしていたら、座り時間の悪影響をちょっとは減らせる・・・
は甘いね。じゃあ、タブレットのゲーム、立ってやることにしようかな。

結婚は危険がいっぱい?

2014年05月09日 | 日々の風の吹くまま
きのうは予報の時刻(正午)より2時間遅れで雨が降り出して、夜はかなり本格的な雨だっ
たけど、今日はまたまぶしい晴天。それにしても、正午から雨が降り出すなんて予報、バン
クーバーでは当たりっこないんだけど。地形が複雑で微気候の集まりなもので、天気も複雑。
バンクーバーっ子は天気の文句が多いと言われるのはそのせいかも。だって、天気予報、
当たらないじゃないの。

仕事日のつもりだけど、あっちの新聞、こっちの新聞と道草を食いながらちんたらちんたら。
いつもの事件やら紛争やらとは別に「へえ」という記事がたくさんある。たとえば、デンマーク
での研究の結果、年中に妻にガミガミ言われている夫は早死する危険が2倍半になること
がわかった。男はストレスホルモンを出し過ぎるからなんだそうで、つい小町横丁の井戸端
に集まる奥サンたちのダンナさんたちに同情してしまった。女は逆に口うるさい夫がいても、
男に比べて愚痴のはけ口が多いので寿命には影響しないらしいそうだから、寅さんでなくて
も、男はつらいね。

だけど、だけど。スウェーデンでの40年近い追跡調査によると、中年の頃に離婚や死別、
仕事、家族の病気などで日常的に強いストレスに曝された女性はアルツハイマー発症のリ
スクがやや高まるとのこと。慢性的なストレスによるストレスホルモンが脳の配線の効率を
低下させるらしく、ストレスが強いほどリスクが高まるとか。集中的なストレス期があったけ
ど、後は極楽とんぼでやって来たから、リスクは帳消し・・・だといいけど、しぃ~らない。

ニューファウンドランド州の小さな町の浜辺に打ち上げられたシロナガスクジラの死骸。北
大西洋には250頭ほどしかいないという超絶滅危惧種。例年より厚かった氷に閉じ込めら
れて死んだらしいけど、何しろ長さ23メートル。重さが推定100トン以上もある死骸が内部
の腐敗が進んでぱんぱんに膨れ上がり、このままでは破裂するかもと言われていた。新聞
サイトから拝借してきた写真↓
    
すったもんだの末にトロントのオンタリオ州立博物館が引き取ることになって、別のところに
曳航して解体作業中。どうやら破裂はしなかったけど、すんごい悪臭を放っているそうな。
それでも学者さんたちは大張り切りで、骨だけをトロントに送って骨格標本として展示するこ
とになるとか。(巨大な頭蓋骨をどうやって運ぶか、思案投げ首・・・。)

人生の天気図

2014年05月08日 | 日々の風の吹くまま
予報通りに雨が降り出して、またちょっぴり肌寒くなった。初夏も一進一退というところかな。
でも、この夏のバンクーバーは高温で雨が少ないという予報で、冬の間ノースショアの山脈
(水源地)の積雪がやけに少なかったから、水、大丈夫かな。バンクーバーの夏はめったに
30度を超えることはないし、おまけに雨が少なくて乾燥するから、蒸し暑いのが苦手中の
苦手のワタシには天国。観測史上最高は34度だけど、はて、今年はあの暑い夏を超える
のかな。

ふと、人生模様って高気圧と低気圧があって、等圧線や前線の位置がくねくねと変わって
いく天気図に似ていなくもないと思った。高気圧は暖かな空気をタンクから水が溢れるよう
に周囲に押し広げるけど、低気圧は逆に周囲から空気を引き寄せて吸い込み、雲の渦を作
り、雨を降らす。低気圧に覆われた空はどんより。湿った重い空気がどんどん流れ込んで、
渦が速くなれば嵐にもなる。爆弾低気圧というのもある。世の中、いつも青空の高気圧みた
いな人と、いつも雨雲を吸い込んでいる低気圧みたいな人がいるってことかな。

小町横丁で「もう聞き飽きた」と文句を言っている人がいて、他人の愚痴をイヤになるほど
聞かされて来たのかと思ったら、愚痴を聞いてくれる友人の「いつかいいことがあるよ」は聞
き飽きた、と。もう10年も不幸続きで、「いったいいついいことがあるんでしょうか」って、人
生はJRの電車じゃないから、ホームで待っていれば、「いいこと」が時刻表通りに滑り込ん
で来て、ドアがさっと開く、なんて夢の中でもめったにない。あっても混んでて乗れないかも
しれないし。(もっとも山手線はループだから、同じ電車が巡ってくる可能性はあるけど、乗
れるかどうかは別。)

この人は典型的な低気圧なんだろうな。なぜかいつも不幸せをかこっている人がいるけど、
天気図が低気圧に覆われているんだろうな。低気圧は移動性で、どこへ行っても低気圧。
雨が嫌だと愚痴っても雨が止むわけじゃないし、濡れるのが嫌だと引きこもっていると、雨
が止んだのに気づかないかもしれないんだけど。でも、天気は変わるもので、人生の天気
も晴れるか、晴れないかは自分で描く天気図しだい。低気圧をやりすごして高気圧に覆わ
れる天気図を描いたら、台風一過の青空が広がると思うんだけど。

母の日と2人の始まりの日と

2014年05月07日 | 日々の風の吹くまま
つかの間の五月晴れ。今日は掃除の日で、正午過ぎにシーラとヴァルが到着。もうすぐお
ばあちゃんになるヴァルは「今日は超音波検査なの。男の子か女の子かわかるのよぉ」と
興奮気味。男の子ばかり3人育てたから、初孫は女の子がいいんだそうな。パパになる末
の息子は母の日に生まれたせいか、お母さん思いの気だてのいい息子らしい。女の子だと
いいねえ、ほんと。

母の日か。子供のないワタシには普通の日曜日だけど、まだ新婚の頃の母の日に、生地で
「MOM」(お母さん)と模様をつけたアップルパイを焼いて持って行ったら、カレシママが大
喜びしてくれたっけな。もうずいぶん昔になった。ワタシは孫の顔を見る喜びは味わえない
けど、その代わりに子供のことで心配したり、悩んだりすることもなかったわけで、そう言うと
よく「それでも子供はいいわよぉ」と言われる。でも、子供ができなかったのは神さまの思し
召し。おかげで全力疾走で仕事をして来られて、今こうして経済的な心配のない老後を手に
入れたんだから、人生は捨てる神あれば拾う神あり。(「カレシ」と言う大きな子供がいるよう
な気がしないでもないけど、まあどうやら思春期は過ぎたようだし・・・。)

カレンダーを見たら、月曜日はカレシと暮らし始めて満39周年の日。スーツケース3つで異
国に渡って来て、日本で言うワンルームマンションでカレシとの生活を始めたあの日も月曜
日だった。その2、3日前にカレシママが来て散らかった部屋を掃除してくれたというから、
何たるどら息子。「お嫁さんを迎えるというのに、掃除くらいしなさい!」と喝を入れてくれた
ら良かったのに。でも、カレシママのおかげで、きれいに片付いた「新居」で2人の生活を始
めることができた。(私たちの住処が片付いていたのはあのときくらいのもんじゃないかと思
うけど。)私たちにとってはあの日が実質的な結婚記念日のようなものだから、ちょこっとご
馳走を作ろうかな。

今年で39年なら来年は満40年。年を重ねるにつれて時間の足がどんどん速くなるから、
あっという間に50周年が来てしまいそうだなあ。大波に翻弄されていたときは、25周年を
迎えられるかどうかもわからなかったのにね。あのさあ、2人が50年も一緒にいるなんて、
想像したことある、カレシ?

っすぴーくっすね

2014年05月06日 | 日々の風の吹くまま
トレッドミルでの運動を再開して1週間(と1日)。おもしろいことに、運動を長期間サボった
後で再開すると、1、2週間の間は食事に変化がないのに体重が増える。1キロに満たない
程度だけど、確実に増える。体調を整えるための運動だから、秤の数字はどうでもいいけど、
どうしてだろうなあ。

小町横丁で、「っす」は「丁寧語っすよね?」というノー天気なことを聞く人がいて、住人たち
もおもしろがって「っす体」でアドバイス。ワタシも笑いが止まらなくて、「何だ、何だ」と寄って
来たカレシに説明するのに四苦八苦(英語にならないっす)。ま、「パネェ」とか、「さぁせん」、
「あっざぁ~す」という新しいボキャを獲得したけど、どうりで日本語が分からなくなって来た
と感じるはずっすね。カリフォルニア南部サンフェルナンドバレーの十代の女の子の間で始
まったvalleyspeakが、30年後の今は大人にも広まって、「SoCal(南カリフォルニア)方言」
として定着しつつあるそうだけど、この「っすぴーく」はどうかなあ。

何段か下に『若すぎる服装のご年配女性…』というトピックがあって、60代後半の(現役の)
知人がお洒落とピンクが好きで、若い人が着るような服装が「正直恥ずかしい」。「ご年配」
と言って「…」で終わらせるタイトルからはぶりっ子おばちゃんのイメージ。この、赤の他人の
私事について自分が恥ずかしいと思う心理が未だにわからない。恥ずかしいと思うべきは
相手本人のはずじゃないの?「人間社会の最小単位は個人ではないから、他人は別個の
人間ではなくて自分の「分身」である」ということかな。だから自分の「常識・マナー」に反す
ると「恥ずかしい」。要するに他人と自分の境界がわかっていないということか。モラはこの
「境界」を破って他人の領域を略奪しようとするけど、他人を自分の領域に「拉致」するのは
何と言うんだろうな。

それにしても、外国に出たことがないんだろうな、この人。おばあちゃんたち、60代どころか
80代でも派手な色を着ているから、恥ずかしさに目を回すかも。あ、自分も真っ赤が好きだ
し、ミニスカも履くし、胸元ローカットのTシャツも、背中丸出しのドレスも、スパンコール付き
のパーティドレスも着るっす。ちゃんと着られるように運動してるっす。恥ずかしくないっす。
さぁ~せんっすね!

教えられ下手

2014年05月05日 | 日々の風の吹くまま
5月5日。日本の「少子化」はまだ進行中のようで、ワタシが生まれた昭和23年の出生数は
270万人近くだったのに、去年は103万人。100万人を割るのも時間の問題って感じだな。
移民を受け入れると「日本人が日本でマイノリティになってしまう」と言う人たちがいるけど、
このままで行っても日本人は「太平洋の端っこの島国の少数民族」になってしまうんじゃな
いのかな。

放ってあった論文の仕事、納期まで後10日なので、そろそろ始めようとファイルを開いてみ
る。テーマは土木工学で、うん、おもしろそう。最近は論文の捏造だ、コピペだと騒がしいけ
ど、今日の朝日新聞に「パクツイ」や「コピペ」が蔓延する背景事情と言う記事があって、他
人のツィートをパクるためのアプリがあって、そういうパクリを見つけるサイトもあるとか。ま、
電子時代は何でもボタンひとつでお手軽だから、捏造、盗作もお手軽で、人間の思考も軽く
なって来たということだな。(想像力が激低下するはずだ・・・というよりはその逆かも。)

専門化志向の翻訳業界で、専門がないから「何でも屋」を専門として来たのがワタシ。昔、
出身大学を聞いて来た駆け出しの若いコに行かなかったと言ったら、「ありえなぁ~い!」と
叫んだっけ。目の前にいるのに「ありえない」はないだろうと思ったけど、あれから20年、あ
のコはどの「専門」に進んだのかな。ビジネス系では法律分野が得意だけど、大学で法律を
学んだわけじゃないから「専門」じゃないし、学術系も大学勉強をしたことがないから、どの
領域にも「専門知識」は持ち合わせていない。まあ、学術系は何でもありでおもしろいから、
好奇心に勝てないと言うこともある。

そう言うと今どきのあのコに「マジありえなぁい」と言われそうだけど、電子時代は楽なもん
で、専門知識はいくらでも見つかるから、半日くらいググりまくって、あれこれ読みまくって、
ABC(基礎知識)のAとBとCの半分くらい行けば「なぁるほどっ、そういうことかっ」。後は
専門用語を拾って、日本語原稿の内容をイメージしながら英作文。抽象的な概念でもイメー
ジ化すればそこそこ理解するのはそんなに難しくない。強いて言えば文系よりも理系の日
本語の方が分かりやすいかな。それがワタシの生まれつきの「学習法」らしいので、専門は
「雑学」ということかな。ま、「教えられ下手」なだけかもしれないけど・・・。

カタカナで英語はちょっと無理でしょ

2014年05月04日 | 日々の風の吹くまま
正午を過ぎてもまだやっと12度。ありゃ、昨日の今ごろは20度あったのに。でも、ロッキー
の向こうのカルガリーでは15センチも雪が降ったというから、文句は言いっこなしかな。5月
になって雪というのも何だけど、ワタシ自身は5月になっても雪が降るところで生まれ育った
もので、「季節外れ」の雪なんて別にぃ~。

のんきに小町横丁を散策していたら、『レリゴーレリゴー♪と気分よく歌っていたら』、夫にそ
れは「レットイットゴー」だ、ちゃんと発音しろと注意されたという投稿。どうやらヒット映画の
中で歌われる曲の一節らしいけど、これが英語発音から英語と日本語の発声の違いから、
はてはネイティブには通じないとか、まあ賑やかなこと。日本の人って、英語に関して薀蓄
を傾けるのがほんっとに好きなんやねえ。でも、英語の音声を日本語音声を表すカタカナで
表現しようとするから、その薀蓄も説得力がイマイチ・・・。

英語歌詞の「Let it go」がカタカナ耳に「レリゴー」に聞こえるなら、そこから始めればいいと
思うけどね。生まれつき英語人の子供もそうやって耳に聞こえる音声を真似ることで言葉を
覚える。姪のスーザンがヨチヨチ歩きの頃、おばあちゃんにクッキーをねだるのに「カッキー
カッキー」と言っていた。しばらくすると「ウォンカッキー」(クッキー欲しい)になり、そのうち
「ギミコッキー」(クッキーちょうだい)と発音が微妙に変化したと思うと、いつのまにか「アイ
ウォンナクーッキー!」と要求するようになっていた。

日本人だって同じように幼児の頃に耳から入ってくる日本語音声を真似て発声することで
日本語を習得すると思う。書き込みを読んでいったら、「レット・イット・ゴーと言う人は英語が
苦手な人、レッイッゴーと言う人は中途半端に英語を勉強した人、リエゾンやRとLの違い
に言及する人は英語を良く勉強した人、最も早く英語が上達する人は何も知らずに歌を聞
いただけでレリゴー!と歌ってる人」と言った人がいて、思わずTouché(1本!)と膝を打っ
た。うん、言えてるかも。そういえば、アメリカ英語ではwaterを「ワラ」、littleを「リル」と発
音するんだと言う人がいたけど、最近はTが弱まりつつあるのはたしかでも。まだlazytalk
(ぐうたらトーク)のうち。話し方でお里が知れるのは英語でも同じだから、アメリカでの生活
環境を覗かれるかも・・・。