

梅雨が明けたかのような、そんな空。
そう言えば、九州、山口地方では、
明けたそうですね。
それでも朝早くから蝶が、
ヒラヒラ舞っています。
白い 「半夏生」(はんげしょう) に
蝶が止まったかと思うと・・。
俄かに、黄色い蝶もお出ましです。
そして、あまりにも背が高くなって、
全然、気付かなかった、白い薔薇も・・。
いつかのアゲハ蝶などは、
家の中にまで入って来ようとして? 網戸の周りをグルグル・・。
それは、まるで私を挑発しているかのよう。
このアゲハ蝶、どういう訳か、
「ベルガモット」 の赤い花が、大好きだったのですよね。
赤と言えば、今日 「カンナ」 の赤い花が咲いたのですが、
この蝶は、一向に止まる気配すら、ありません。
どうやら、赤なら何でもいいという事では、ないようですね。
ベルガモットの花が終わった今、落ち着かないのも仕方ないのかも知れません。
そうそう、今日は今年初めて、蜻蛉(とんぼ) が、やって来ました。
アゲハ蝶はカンナには、見向きもしませんが、
この蜻蛉は、カンナが大好きなのでした。
こんな小さな庭にも、ちょっとしたドラマがあって、
なかなか退屈させません。
こんな風に・・家の中から窓越しに、庭を眺めていますと・・。
ふと、正岡子規の 『病牀六尺』 を思い出します。
明治35年、35歳で9月19日に亡くなる子規が、
その2日前まで4ヶ月余り、病床で書き続けた随筆集です。
肺結核から脊椎(せきつい)カリエスを患っていた子規は、
「病状六尺、これが我世界」 という、境遇にあったと言います。
蒲団の外に出られないばかりか、度々襲う激痛に、
号泣する日々でもあったとか。その心痛は、いかばかりだったでしょう。
果物や、草花の写生を楽しむ一方、教育論等など・・。
それでも、一向に衰える事のない好奇心には、目を見張らされます。
子規が伏していたのは、東京根岸の下町。
明治時代の下町の、馥郁(ふくいく) とするような、
ほのぼのとした人情を感じさせる話も、多数収められています。
それにしても、暑いですね。暑いからと言って、ダランとして、
こんな弛緩した気持ちでいては、いけませんね。アンを見習わなければ!!
“・・・今日のような輝く夏の日には、
アンは一番美しく見えた。
彼女は、夏の日と共に輝くかと思われ、
黄金色の大気の中をギリシャの壺から抜け出た、
ほっそりとした人影のように動き回った。
アンが入って来ると、又となく鬱陶しい部屋も輝き ――
生き生きとなった。” 【「アンの幸福」 13.】