もうひとつ、はじまっている展覧会をご紹介。西新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催の、「没後80年 岸田劉生 肖像画をこえて」がそれ。
岸田劉生と言えば、娘の麗子をモデルとした作品が有名。ポスターにもなっている「麗子肖像(麗子五歳之像)」(1918)もそのひとつです。娘を描いた最初の油絵だそうで、手に“赤まんま”(イヌタデ(犬蓼)のこと)を持ち、ぽっちゃりしたほっぺが印象的。
頭上の赤いアーチ型の額や装飾文字も、作品に独特の雰囲気を醸し出しています。ところで岸田劉生は、1891年(明治24年)6月23日、東京銀座で生まれました。1908年黒田清輝に師事し、本格的に絵の世界に入ります。
1917年(大正6年)結核と誤診されますが、その後も麗子像をはじめ多くの作品を発表。1929年(昭和4年)、はじめての中国(大連・奉天・ハルビンなど)へ海外旅行。帰国直後、1929年12月20日尿毒症で死去。38歳でした。
明治・大正・昭和を駆け抜けた岸田劉生の代表作品は、肖像画。この展覧会では、「自画像」(1913)、「画家の妻」(1915)、「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」(1916)、「麗子立像」(1920)、「麗子十六歳之像」(1923)などが展示されます。
岸田劉生は、ゴッホ、セザンヌらの影響を受けたと言われています。また、1915年(大正4年)草土社を創立。草土社主催の展覧会に作品を出展しています。第2回に出展した「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915)は、重要文化財に指定された風景画で、私のお気に入り。
風景画、静物画、肖像画に素晴らしい作品を残した岸田劉生。今回の展覧会では、肖像画をたっぷり楽しみたいと思っています。行かねば…。
岸田劉生と言えば、娘の麗子をモデルとした作品が有名。ポスターにもなっている「麗子肖像(麗子五歳之像)」(1918)もそのひとつです。娘を描いた最初の油絵だそうで、手に“赤まんま”(イヌタデ(犬蓼)のこと)を持ち、ぽっちゃりしたほっぺが印象的。
頭上の赤いアーチ型の額や装飾文字も、作品に独特の雰囲気を醸し出しています。ところで岸田劉生は、1891年(明治24年)6月23日、東京銀座で生まれました。1908年黒田清輝に師事し、本格的に絵の世界に入ります。
1917年(大正6年)結核と誤診されますが、その後も麗子像をはじめ多くの作品を発表。1929年(昭和4年)、はじめての中国(大連・奉天・ハルビンなど)へ海外旅行。帰国直後、1929年12月20日尿毒症で死去。38歳でした。
明治・大正・昭和を駆け抜けた岸田劉生の代表作品は、肖像画。この展覧会では、「自画像」(1913)、「画家の妻」(1915)、「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」(1916)、「麗子立像」(1920)、「麗子十六歳之像」(1923)などが展示されます。
岸田劉生は、ゴッホ、セザンヌらの影響を受けたと言われています。また、1915年(大正4年)草土社を創立。草土社主催の展覧会に作品を出展しています。第2回に出展した「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915)は、重要文化財に指定された風景画で、私のお気に入り。
風景画、静物画、肖像画に素晴らしい作品を残した岸田劉生。今回の展覧会では、肖像画をたっぷり楽しみたいと思っています。行かねば…。