BSで
『大杉 漣 60歳のフラメンコ』
を録画して、
何気なく視てみたら、
驚きのエンディングで
圧倒されてしまった。
番組のコンセプトは、
還暦を迎える大杉が、
セヴィリアに赴き
踊りのマエストロの弟子に
直接フラメンコの踊りを五日間習い、
最終日に披露するという
ありがちな企画だった。
名優の大杉といえども、
レッスン初日から
これは容易な世界ではなく
途轍もなく奥深いと悟り
愕然とする様子が伺われた。
レッスンは、
「フラメンコの母」と言われる
「ソレア」で、
「孤独」という意味でもある。
二日目、三日目となっても、
相変わらず腰の砕けた
ドジョウ踊りのレベルで
苦笑を禁じえなかったが、
さすがに名優だけあって
次第に、フラメンコの本質や
それが形だけの表現ではないことに
気付き始めるのである。
そして、
75歳のマエストロの
マノロ・マリン宅に訪れた大杉に
彼はこう諭した。
「誰でも、老いたくはない・・・。
でも、すべてを失うわけではない。
失うのは表面上の美しさや
肉体のパワーくらいだが、
それに代わるものがある。
派手に踊るだけがフラメンコじゃない。
フラメンコは悲観的だったり、
激しく表現する事が多いけれど、
瞬間の静けさも必要なんだ。
『葉っぱは森を見せてくれない』
と、言うけれど、
葉が茂りすぎると
森の美しさが見えなくなる…。
それと、同じように
派手に動くだけでは
観衆に何も伝わらないんだ。」
フラメンコの奥深さと
自分の老いと不器用さに
直面させられた大杉が
追い込まれながらも
マエストロの教えに
何かを触発される。
5日間、文字通り、
手取り足取り指導してくれた
ベタンソ先生(38)は
レッスンの成果を
師匠の前で披露する前日に、
大杉の苦悩する姿と
懸命に打ち込む姿に触発され、
「本番」当日に、
一夜で書いたという詩を渡す。
これが私の孤独だ
今は離れて静観してみる時だ
いつも独りで居たいわけではない
でも
私は自分の孤独に魅力を感じる
独りでいる事が好きではあるが
それは私を傷つける
しかし
私は私自身である必要を感じ
私自身を感じることができるのだ
大杉は受け取ったこの詩を
あたかもドラマのセリフのように
頭の中に叩き込む。
そして、
マエストロが登場して、
ベタンソ先生が見つめ、
ギタリスト・歌い手がセットする。
大杉は、黒い帽子と
黒いコートに身を包み、
コンビニの袋を小道具に持ち、
スタジオの外の通りから
稽古場の木戸に入ってくる
という演出を考えた。
即興劇的に
通りの子どもの声も
BGM効果として
採り入れられていた。
自ら「Ok!」と言うと、
演技が始まった。
スタジオ内にいる
フラメンコ・アーティストたちは
通りの向こうから
足取り重く歩んでくる
ひとりの老いさらばえた
老人がスタジオの木戸から
入ってくる姿をそこに観る。
老人は伏し目がちに、
時に、虚空を凝視し、
やおら、ダンッ! …と、
静寂を破るような
ステップを踏む。
すかさず、
ハッとしたかのように、
ギターがそれを受けて
不協和音で「孤独」の
世界観を音に表す。
手にした紙片の詩を
自分に言い聞かせるように、
読むような語るような
訥々とした「日本語」で訴えかける。
そして、
その紙片を床に落とし、
さらに、つぶやくように
詩を続けると、
マエストロが目くばせで
カンタオール(歌い手)に指示を出し
「♪ アイアイ、アイーッ!!♪」
という歌い出しが始まる。
その「間」が絶妙であった。
老人はさながら
能役者のような摺り足で
凝視する4人の前に進み出て、
コンビニ袋を抱えながらも
片方の人差し指を突き立てて
油の切れた体のように
天を指さす。
そして、
ポトリと袋を落とすと、
両手を使い、全身で、
声にならない慟哭を上げる。
すかさず、カンテ(歌)が
その表情に合わせて
振り絞るように声を張り上げた。
まるで、アテレコのように…。
そして、それをギターが受けて、
激しいラスゲアード(掻き鳴らし)で
老人の「孤独」の絶望を表現した。
そのシンクロ加減は
見事な即興劇であった。
そして、
ギターと歌のクライマックスに
ピタリと合った刹那、
一転して、老人は床に崩れ、
不思議な微笑を浮かべ、
やがて瞑目して昇天した…。
ギターも同時に
息絶えたかのような
微かな音で消えていく。
そして、静寂…。
⁂
演技が終わって、
複雑な笑みを浮かべ
大杉が立ち上がると、
一同から
「ムイ、ビエンーッ!!
(very good!)」
の歓声が上がった。
5日間の猛レッスンで習得した
ステップや振り付けは
一つも使わずに、
ベタンソ先生が詩に託してくれた
“フラメンコの心”
「ソレア(孤独)」の本質を
名優は見事に歌と音楽と
場のアイレ(空気)を採りこんで、
ホンド(深い)なドゥエンテ(魂)で
表現しきった。
それは、まさしく
「大杉 漣のフラメンコ」であった。
マエストロの語った
「派手に踊るだけが
フラメンコじゃない。
瞬間の静けさも必要なんだ…」
という
教え通りであり、
ベタンソ先生の詩の
「これが私の孤独だ」
という言葉の
迫真の無言劇であった。
ベタンソ先生は、
目を泣き腫らしながら
「自分の詩を
こんなに素晴らしく表現してくれて
ありがとうございます」
と、名優のフラメンコに
感動と謝意を伝え
二人は互いを讃えて
抱擁しあった。
マエストロからも
「感動した。
国も言葉も関係ない。
万国共通のものがあるんだ」
という最大級の賛辞と共に抱擁され
大杉は子どものように泣きじゃくった。
老いの身を酷使する踊り、
馴染みにくい12拍子、
マエストロや先生たちの思い遣り、
出来ない自分への苛立ち、
そして、異国での「孤独」感…
表現へと追い込まれる「苦悩」…
それらが、これ以上ないほどに
昇華されて“その場”に
フラメンコとして結晶した。
5日間のレッスンの最終日、
ペタンソ先生は
「振りなんて忘れたっていい。
毅然として、その時の
自分の感情を表現し、
自分を伝えるんだ」
とフラメンコの本質を伝えた。
並の番組、
並のアイドルであれば、
猿真似の不完全な踊りを見せて、
「よく頑張ったね…」
と、マエストロに
激励されて嬉し泣き…
というチープな予定調和と
なったことだろう。
しかし、
番組終了後に、それを視聴して
圧倒されてしまった知人の
森 公美子が、
在りし日の大杉を偲んで
「漣さんは、
『予定調和なんて大嫌いだ…。
人生にそんなのはない・・・』
と言ってました…。
そして、言葉通りに
66歳で逝ってしまいました…」
と、述懐する。
「あれこそが、
漣さんのフラメンコなんですね。
踊っていないとか、
そんなこと関係ないんですよ。
だからこそ、先生たちも
感動したんですよ」
とアーティストとして
さすがに本質を見抜いていた。
まさに、
心が震えるような
迫真のフラメンコを
久しぶりに観た。
なんだか、
居ても立ってもいられなくなり、
古いフラメンコギターを
取り出して、
無心に『ソレア』を弾いて
この感動を音にせずには
いられなかった。
きっと、
今度のレクコンでの
フラメンコ曲も
今までよりも更に深く
「一曲入魂」
「曲中没我」
になれそうな気がする。
レッスンの中で、
何度も出てきた
先生のカウントが
大杉さん同様に
耳にこびりついてしまった(笑)。
同時に、
フラメンコ教室で
伴奏をやらせて頂いてた時の
イズミ先生のカウントを
思い出してしまった。
スペイン語での
カウントである。
「ウノ・ドス」1・②
「ウノ・ドス・トレス」1・2・③
「クワトロ・シンコ・セイス」4・5・⑥
「シエタ・オチョ」7・⑧
「ヌエバ・ディエゴ」9・⑩
という
アクセントで踊る。
この12拍子に乗れないと
フラメンコは踊れないから、
一朝一夕では
盆踊りにもならないのである(笑)。
風呂上がりに、試しに、
カウントしながら、
サパテアート(足運び)と
ブラソ(腕振り)を
姿見の前でやってみたら、
なんだか、“ドラム缶のタコ踊り”
といったあんばいだった(笑)。
…:;(∩´﹏`∩);:.
『大杉 漣 60歳のフラメンコ』
を録画して、
何気なく視てみたら、
驚きのエンディングで
圧倒されてしまった。
番組のコンセプトは、
還暦を迎える大杉が、
セヴィリアに赴き
踊りのマエストロの弟子に
直接フラメンコの踊りを五日間習い、
最終日に披露するという
ありがちな企画だった。
名優の大杉といえども、
レッスン初日から
これは容易な世界ではなく
途轍もなく奥深いと悟り
愕然とする様子が伺われた。
レッスンは、
「フラメンコの母」と言われる
「ソレア」で、
「孤独」という意味でもある。
二日目、三日目となっても、
相変わらず腰の砕けた
ドジョウ踊りのレベルで
苦笑を禁じえなかったが、
さすがに名優だけあって
次第に、フラメンコの本質や
それが形だけの表現ではないことに
気付き始めるのである。
そして、
75歳のマエストロの
マノロ・マリン宅に訪れた大杉に
彼はこう諭した。
「誰でも、老いたくはない・・・。
でも、すべてを失うわけではない。
失うのは表面上の美しさや
肉体のパワーくらいだが、
それに代わるものがある。
派手に踊るだけがフラメンコじゃない。
フラメンコは悲観的だったり、
激しく表現する事が多いけれど、
瞬間の静けさも必要なんだ。
『葉っぱは森を見せてくれない』
と、言うけれど、
葉が茂りすぎると
森の美しさが見えなくなる…。
それと、同じように
派手に動くだけでは
観衆に何も伝わらないんだ。」
フラメンコの奥深さと
自分の老いと不器用さに
直面させられた大杉が
追い込まれながらも
マエストロの教えに
何かを触発される。
5日間、文字通り、
手取り足取り指導してくれた
ベタンソ先生(38)は
レッスンの成果を
師匠の前で披露する前日に、
大杉の苦悩する姿と
懸命に打ち込む姿に触発され、
「本番」当日に、
一夜で書いたという詩を渡す。
これが私の孤独だ
今は離れて静観してみる時だ
いつも独りで居たいわけではない
でも
私は自分の孤独に魅力を感じる
独りでいる事が好きではあるが
それは私を傷つける
しかし
私は私自身である必要を感じ
私自身を感じることができるのだ
大杉は受け取ったこの詩を
あたかもドラマのセリフのように
頭の中に叩き込む。
そして、
マエストロが登場して、
ベタンソ先生が見つめ、
ギタリスト・歌い手がセットする。
大杉は、黒い帽子と
黒いコートに身を包み、
コンビニの袋を小道具に持ち、
スタジオの外の通りから
稽古場の木戸に入ってくる
という演出を考えた。
即興劇的に
通りの子どもの声も
BGM効果として
採り入れられていた。
自ら「Ok!」と言うと、
演技が始まった。
スタジオ内にいる
フラメンコ・アーティストたちは
通りの向こうから
足取り重く歩んでくる
ひとりの老いさらばえた
老人がスタジオの木戸から
入ってくる姿をそこに観る。
老人は伏し目がちに、
時に、虚空を凝視し、
やおら、ダンッ! …と、
静寂を破るような
ステップを踏む。
すかさず、
ハッとしたかのように、
ギターがそれを受けて
不協和音で「孤独」の
世界観を音に表す。
手にした紙片の詩を
自分に言い聞かせるように、
読むような語るような
訥々とした「日本語」で訴えかける。
そして、
その紙片を床に落とし、
さらに、つぶやくように
詩を続けると、
マエストロが目くばせで
カンタオール(歌い手)に指示を出し
「♪ アイアイ、アイーッ!!♪」
という歌い出しが始まる。
その「間」が絶妙であった。
老人はさながら
能役者のような摺り足で
凝視する4人の前に進み出て、
コンビニ袋を抱えながらも
片方の人差し指を突き立てて
油の切れた体のように
天を指さす。
そして、
ポトリと袋を落とすと、
両手を使い、全身で、
声にならない慟哭を上げる。
すかさず、カンテ(歌)が
その表情に合わせて
振り絞るように声を張り上げた。
まるで、アテレコのように…。
そして、それをギターが受けて、
激しいラスゲアード(掻き鳴らし)で
老人の「孤独」の絶望を表現した。
そのシンクロ加減は
見事な即興劇であった。
そして、
ギターと歌のクライマックスに
ピタリと合った刹那、
一転して、老人は床に崩れ、
不思議な微笑を浮かべ、
やがて瞑目して昇天した…。
ギターも同時に
息絶えたかのような
微かな音で消えていく。
そして、静寂…。
⁂
演技が終わって、
複雑な笑みを浮かべ
大杉が立ち上がると、
一同から
「ムイ、ビエンーッ!!
(very good!)」
の歓声が上がった。
5日間の猛レッスンで習得した
ステップや振り付けは
一つも使わずに、
ベタンソ先生が詩に託してくれた
“フラメンコの心”
「ソレア(孤独)」の本質を
名優は見事に歌と音楽と
場のアイレ(空気)を採りこんで、
ホンド(深い)なドゥエンテ(魂)で
表現しきった。
それは、まさしく
「大杉 漣のフラメンコ」であった。
マエストロの語った
「派手に踊るだけが
フラメンコじゃない。
瞬間の静けさも必要なんだ…」
という
教え通りであり、
ベタンソ先生の詩の
「これが私の孤独だ」
という言葉の
迫真の無言劇であった。
ベタンソ先生は、
目を泣き腫らしながら
「自分の詩を
こんなに素晴らしく表現してくれて
ありがとうございます」
と、名優のフラメンコに
感動と謝意を伝え
二人は互いを讃えて
抱擁しあった。
マエストロからも
「感動した。
国も言葉も関係ない。
万国共通のものがあるんだ」
という最大級の賛辞と共に抱擁され
大杉は子どものように泣きじゃくった。
老いの身を酷使する踊り、
馴染みにくい12拍子、
マエストロや先生たちの思い遣り、
出来ない自分への苛立ち、
そして、異国での「孤独」感…
表現へと追い込まれる「苦悩」…
それらが、これ以上ないほどに
昇華されて“その場”に
フラメンコとして結晶した。
5日間のレッスンの最終日、
ペタンソ先生は
「振りなんて忘れたっていい。
毅然として、その時の
自分の感情を表現し、
自分を伝えるんだ」
とフラメンコの本質を伝えた。
並の番組、
並のアイドルであれば、
猿真似の不完全な踊りを見せて、
「よく頑張ったね…」
と、マエストロに
激励されて嬉し泣き…
というチープな予定調和と
なったことだろう。
しかし、
番組終了後に、それを視聴して
圧倒されてしまった知人の
森 公美子が、
在りし日の大杉を偲んで
「漣さんは、
『予定調和なんて大嫌いだ…。
人生にそんなのはない・・・』
と言ってました…。
そして、言葉通りに
66歳で逝ってしまいました…」
と、述懐する。
「あれこそが、
漣さんのフラメンコなんですね。
踊っていないとか、
そんなこと関係ないんですよ。
だからこそ、先生たちも
感動したんですよ」
とアーティストとして
さすがに本質を見抜いていた。
まさに、
心が震えるような
迫真のフラメンコを
久しぶりに観た。
なんだか、
居ても立ってもいられなくなり、
古いフラメンコギターを
取り出して、
無心に『ソレア』を弾いて
この感動を音にせずには
いられなかった。
きっと、
今度のレクコンでの
フラメンコ曲も
今までよりも更に深く
「一曲入魂」
「曲中没我」
になれそうな気がする。
レッスンの中で、
何度も出てきた
先生のカウントが
大杉さん同様に
耳にこびりついてしまった(笑)。
同時に、
フラメンコ教室で
伴奏をやらせて頂いてた時の
イズミ先生のカウントを
思い出してしまった。
スペイン語での
カウントである。
「ウノ・ドス」1・②
「ウノ・ドス・トレス」1・2・③
「クワトロ・シンコ・セイス」4・5・⑥
「シエタ・オチョ」7・⑧
「ヌエバ・ディエゴ」9・⑩
という
アクセントで踊る。
この12拍子に乗れないと
フラメンコは踊れないから、
一朝一夕では
盆踊りにもならないのである(笑)。
風呂上がりに、試しに、
カウントしながら、
サパテアート(足運び)と
ブラソ(腕振り)を
姿見の前でやってみたら、
なんだか、“ドラム缶のタコ踊り”
といったあんばいだった(笑)。
…:;(∩´﹏`∩);:.
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