いよいよ
来週から学校仕事が
始まるが、
ここのところの
寒暖差で体調がイマイチである。
東京のアキも
調子が悪いというので、
Tちゃん先生の教会へ
お参りし、
「ご新米」をお下げ頂いた。
カミさんが
さっそく
東京に送ってくれるという。
東京もフクシマも
感染爆発状態で、
コロナっても
自宅療養を余儀なくされる。

生まれてきた以上、
死ぬのは必定なので、
3.11で生き残って来、
いつ死んでもいいように
「覚悟」だけは決めて
「今月今日、今ここ」を
一心に懸命に味わって生きてきた。
コロナ禍も出来事だが、
実は「わたし」という
「実存感」も
ひとつの出来事であり
現象でもある。
宮沢賢治の
『春と修羅』の「序」には
それが詩的に描かれている。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

台所は
自分にとっては、
創造の場でもあり、
いくつかの素材を組み合わせて、
ひとつの総合的なものを
創出する。
きうのも
冷蔵庫の8素材から
「それ/it」を
出現せしめた。

ステイ・ホームが
推奨されるこの時季、
料理を趣味としていると、
創って、味わって…と、
"ひとり遊び"を満喫させてくれる。

ピアノの前には
ショパン、モーツァルト、
ベートーヴェンという
三人の楽聖の肖像画が
飾ってある。
それぞれの曲を
気分に応じて弾くとき、
必ずやその肖像を拝してから
作曲家の人間性を
感じるようにしている。
この夏休みは、
ショパンの『幻想即興曲』と
真剣に取り組んだ。
そのたびごとに、
「ショパン大明神様。
どうぞ、この曲を
弾かさせて下さい」
と大仰に柏手を打って(笑)
肖像に祈願した。

大学一年の頃、
盲腸手術で入院したベッドで
退屈しのぎに初めて譜読みして来、
40年も時々に関わってきた曲だが、
いまだに暗譜もできず、
ひと様に聴かせられるレベルには
達していない。
この夏、
ようやく暗譜を8割がたして、
いくつかの難所練習を
毎日、真剣に反復練習した。
そのたびごとに、
指が強張り、
背中がバリバリになった。
*
いつぞやだったか、
自らは楽器をやらない知人から
「クラシックやってる人は、
何処か一本芯が入ってる感じがする」
と言われた事がある。
なるほどと思わされたが、
カラオケ親爺と比較すると、
よく解かるような気がする。
いくら歌が好きだから
といっても、
同じ曲を40年も
数千回も練習するのは
稀であろう。
ギターの
『アルハンブラの思い出』
なぞは、
小6頃から初めて
50年以上もやっており、
公開演奏に至るまでは、
レッスンを受けながら
万単位の練習をしている。
なので、
白譜を渡されたら
スラスラと全曲筆記できるし、
エニータイム演奏できる。
『禁じられた遊び』然り、
『花祭り』『さくら変奏曲』
『コーヒールンバ』…
というオハコのレパートリーも
そうである。
数千回の演奏は
当たり前の世界なので、
それゆえに知人の
「一本芯」説なのかもしれない。
別の知人からは、
「同じ曲を弾いてて飽きませんか」
と言われたこともあるが、
「飽きることは飽きるけど、
演奏は毎回一回こっきりなので、
その時は、新鮮で、
しかも、なかなかパーフェクトには
弾けないものですよ」
と応えたことがある。
そうなのである。
聴き手を
感動させることは出来ても、
自分では納得できないことも
多々あり、ましてや、
ミューズ(音楽の女神)に
賞賛されたことなぞ
未だかつて覚えがない。
それでも、
"命を削る"ようにして
やり遂げた6回もの
音楽堂リサイタルでは、
あの「場」で
ミューズが降りてきたような、
ゾーンに入ったような…
「壇上没我」になった瞬間は
幾度かあった。
弾いてるのは自分なのか、
ギターが歌っているのか、
「人馬一体」のような感覚になる。
そして、
「永遠の一回性」という
閉じた「曲」の時空・宇宙に
まさしく「それ/it」が
現れるのである。
ただし、
そこに至るまでは、
数千、数万の鍛錬、稽古、
リサイタルやコンクールでの
試練を経ないと
達し得ないのである。
必然、生身の肉体は
疲弊し壊れることもある。
ヘバーデン結節で
関節が曲がり、
生涯、慢性的な痛みと共に
暮らさねばならなくなる。
それと引き換えの
「美の創出」なのである。
それを端的に言えば
"命を削って"
と言うより他に知らない。

晩夏の庭は
花枯れで、
沢山の緑より
他にない。
なので
サクラの斑入りを
一枝手折って
露を打って
花入に活けた。
来週から学校仕事が
始まるが、
ここのところの
寒暖差で体調がイマイチである。
東京のアキも
調子が悪いというので、
Tちゃん先生の教会へ
お参りし、
「ご新米」をお下げ頂いた。
カミさんが
さっそく
東京に送ってくれるという。
東京もフクシマも
感染爆発状態で、
コロナっても
自宅療養を余儀なくされる。

生まれてきた以上、
死ぬのは必定なので、
3.11で生き残って来、
いつ死んでもいいように
「覚悟」だけは決めて
「今月今日、今ここ」を
一心に懸命に味わって生きてきた。
コロナ禍も出来事だが、
実は「わたし」という
「実存感」も
ひとつの出来事であり
現象でもある。
宮沢賢治の
『春と修羅』の「序」には
それが詩的に描かれている。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

台所は
自分にとっては、
創造の場でもあり、
いくつかの素材を組み合わせて、
ひとつの総合的なものを
創出する。
きうのも
冷蔵庫の8素材から
「それ/it」を
出現せしめた。

ステイ・ホームが
推奨されるこの時季、
料理を趣味としていると、
創って、味わって…と、
"ひとり遊び"を満喫させてくれる。

ピアノの前には
ショパン、モーツァルト、
ベートーヴェンという
三人の楽聖の肖像画が
飾ってある。
それぞれの曲を
気分に応じて弾くとき、
必ずやその肖像を拝してから
作曲家の人間性を
感じるようにしている。
この夏休みは、
ショパンの『幻想即興曲』と
真剣に取り組んだ。
そのたびごとに、
「ショパン大明神様。
どうぞ、この曲を
弾かさせて下さい」
と大仰に柏手を打って(笑)
肖像に祈願した。

大学一年の頃、
盲腸手術で入院したベッドで
退屈しのぎに初めて譜読みして来、
40年も時々に関わってきた曲だが、
いまだに暗譜もできず、
ひと様に聴かせられるレベルには
達していない。
この夏、
ようやく暗譜を8割がたして、
いくつかの難所練習を
毎日、真剣に反復練習した。
そのたびごとに、
指が強張り、
背中がバリバリになった。
*
いつぞやだったか、
自らは楽器をやらない知人から
「クラシックやってる人は、
何処か一本芯が入ってる感じがする」
と言われた事がある。
なるほどと思わされたが、
カラオケ親爺と比較すると、
よく解かるような気がする。
いくら歌が好きだから
といっても、
同じ曲を40年も
数千回も練習するのは
稀であろう。
ギターの
『アルハンブラの思い出』
なぞは、
小6頃から初めて
50年以上もやっており、
公開演奏に至るまでは、
レッスンを受けながら
万単位の練習をしている。
なので、
白譜を渡されたら
スラスラと全曲筆記できるし、
エニータイム演奏できる。
『禁じられた遊び』然り、
『花祭り』『さくら変奏曲』
『コーヒールンバ』…
というオハコのレパートリーも
そうである。
数千回の演奏は
当たり前の世界なので、
それゆえに知人の
「一本芯」説なのかもしれない。
別の知人からは、
「同じ曲を弾いてて飽きませんか」
と言われたこともあるが、
「飽きることは飽きるけど、
演奏は毎回一回こっきりなので、
その時は、新鮮で、
しかも、なかなかパーフェクトには
弾けないものですよ」
と応えたことがある。
そうなのである。
聴き手を
感動させることは出来ても、
自分では納得できないことも
多々あり、ましてや、
ミューズ(音楽の女神)に
賞賛されたことなぞ
未だかつて覚えがない。
それでも、
"命を削る"ようにして
やり遂げた6回もの
音楽堂リサイタルでは、
あの「場」で
ミューズが降りてきたような、
ゾーンに入ったような…
「壇上没我」になった瞬間は
幾度かあった。
弾いてるのは自分なのか、
ギターが歌っているのか、
「人馬一体」のような感覚になる。
そして、
「永遠の一回性」という
閉じた「曲」の時空・宇宙に
まさしく「それ/it」が
現れるのである。
ただし、
そこに至るまでは、
数千、数万の鍛錬、稽古、
リサイタルやコンクールでの
試練を経ないと
達し得ないのである。
必然、生身の肉体は
疲弊し壊れることもある。
ヘバーデン結節で
関節が曲がり、
生涯、慢性的な痛みと共に
暮らさねばならなくなる。
それと引き換えの
「美の創出」なのである。
それを端的に言えば
"命を削って"
と言うより他に知らない。

晩夏の庭は
花枯れで、
沢山の緑より
他にない。
なので
サクラの斑入りを
一枝手折って
露を打って
花入に活けた。
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