昨日は
花粉症のせいか
久しぶりに体調不良感があったが、
今朝は通常程度に戻ってくれて
ちょっとホッとしている。
世界には鬱の患者が溢れ、
同時に、不眠症も多いと聞く。
兎にも角にも、
ちゃんと眠れるのは
ありがたい事である。
食欲もあり、
快便でもあるから、
いちおうは
「健康」の部類なのだろう。
コロナ・パンデミックの
拘束感と気鬱感があるので、
平年よりも気分のベースラインは
幾らか下がっていそうである。
なので、
平年なら「10」楽しめる事も
「7」くらいに差っ引かれている。
それに、例年の
春先の花粉症と寒暖差による
不定愁訴の頻出が加わると
よりベースラインが低下しそうなので、
それを意識しながら、
なんとかサスティナブルな対策を
考えている。
毎日の筋トレと冷温浴という
新しい習慣は数週間続いている。
糖質制限と減食も
ポチポチと続けており、
わずかずつ体重も減りつつある。
花時に恒例の
城山に出向いてみた。
まだ、六部咲きくらいだったが、
青空をバックに
サクラ色の花々が見事だった。
「花越しの吾妻山」
「ツクシ越しの桜」
「サクラ越しの楼閣」
「椿越しの岩肌」
…という
「何かを超して、観る」
という視点で
撮影してみた。
⁂
ついでに
フキノトウもいくつか
採集してきて
フキ味噌にした。
春の野遊びが
いくらか気晴らし、
気養生になってくれれば
いいのだが…。
県庁隣にある
紅葉山公園の板倉神社には、
リサイタルの時季には
毎年、参っていた。
ここが屋外での
第一練習場だったので、
暗譜したばかりの曲を弾き込んだり、
編曲に手こずっていた
曲の構想をまとめたり、
通りがかりの方に所望されて
弾いたり…と、
想い出深い処である。
毎年、そうしていたように、
サクラの花びらの散るのを
よくよく観察しながら、
『さくら変奏曲』の
第一変奏のスラー&アルペジオでの
形態模写を練習した。
いわゆる西洋音楽的に
一直線にダーッと散るのではなく、
空気の層や微風によって、
たゆたうような、
「1/f」のファジーさ、
ランダム運動で、
花びらは散り落ちる。
なので、
等間隔、等質という
「音の粒」を揃えるという
従来の西洋音楽とは
逆ベクトルの表現になる。
これは、
川内村の「琵琶仙人」こと
錦心流・薩摩琵琶の
樋口 主水師から聞いて
採り入れた。
作曲家の三枝さんも
日本音楽のそのような様式を
モーツァルト曲の補作を
財団から依頼された時に
採り入れている。
ジョン・ウィリアムスはじめ、
海外の演奏家もよく
『さくら変奏曲』を
レコーディングしているが、
誰もが「粒を揃えて」流麗に弾いているので、
小川の流れのようであっても
桜花の散り様にはなっていない。
樋口 主水流でやってから、
アンケートに
「まるで、桜の花びらが
散るのが見えるようだった…」
と書かれるようになった。
⁂
ルネッサンス・リュートでは、
親指と人差し指で
交互に単音パッセージを演奏する
ギターにはない独特な
フィゲタ奏法をする。
ギターの基本奏法は
「アポヤンド」と「アルアイレ」だが、
スペイン語の「アポヤール」は
「もたれかかる」という意味で、
つまり、弾いた指を
隣の弦に乗せることである。
「アイレ」は「エア(空中)」
という意味なので、
弾いた指は空中へやる。
リュートのフィゲタ奏法は、
親指のアポヤンドと
人指し指のアルアイレを
交互に弾くので、
「太くしっかりした音」と
「細く繊細な音」が
さながら「表・裏」と
凸凹状態で均等にはならない。
これは、
ルネッサンス期にあった
「光と影」「陽と陰」
「吸気と呼気」「生と死」
という錬金術的な対極の思想が
反映しているという。
リュートの先生に拠れば、
フランスの市民革命(1789年〜99年)後の
バロック期になって、
「公平性」という観点から
「音の粒を揃える」という考えが
採り入れられるようになったという。
へぇ~ってな、
もんである・・・(笑)。
ギターやフルートの先生からも
「リュート音楽を聴くと
なんだか、いつも歪んだ感じがして
気持ち悪いなぁ…って
感じるんです…」
とよく言われた。
ジャッキーの
『カンフー・ヨガ』を
録画して観た。
中国・インドの合作とあって、
“マハラジャ物”風のテイストもあり、
圧巻はエンドロールで
演者全員による“マサラ”映画ばりの
マス・ダンスである。
ジャッキーの愛嬌たっぷりの
コミカルな動きにシンクロして
インド色のマス・ダンスが
キレッキレで、見ていて
なんだか元気が出た(笑)。
なので、
この2分くらいのパートだけ
ディスクにダヴィングして
“観るクスリ”にした(笑)。
⁂
懸念されていた
コロナ感染拡大が、
とうとう、難民キャンプや
アフリカ、南アメリカにも
発火し始めた。
東京、ニューヨークといった
大都会でさえ
十分な医療的ケアが出来ないのに、
貧困国や地域に火がついたら
オーストラリアの森林火災の如く
大惨禍になるのは想像に難くない。
先の大森林火災は、
その象徴的な前ぶれだったのかも
しれない。
おそらくは、
百万人単位の死者が
出るのだろう。
グローバリゼーションの
まさに「負」の側面が
眼前に現実化した。
まさしく、
「二つ善い事さてないものよ」
なのである…。
古人の格言や言い伝えは
看過できないもので、
「泣き面に蜂」
「踏んだり蹴ったり」
「弱り目に祟り目」
…と、難儀のなかで
ダブルパンチを喰らう状況も
しばしば起こり得る…
という事を示唆している。
経済的なドン底が懸念されているが、
これに自然災害が加わったら
目も当てられない複合災害になる。
地震・火山・台風・猛暑なぞは
かなりの確率でいつでも起こり得る。
テロ・紛争・ヘイトクライムなぞの
人為的な二次災害も
ぽちぽちながら
耳に入ってきている。
これまで、
幾多の疫病を克服してきたから
人類は今度も必ず生き残れる
と楽観しているようたが、
そんな補償は何処にもない。
各国のリーダーを見れば、
世界協調に導き、
牽引できるようなメサイア的賢人が
思い浮かばないのである。
メルケル首相は
チラと脳裏をかすめるが…。
⁂
ネイティヴによる
「Virus」の発音は、
「ヴァィアラァス」
と聞こえるので、
発音記号を見てみたら
やはり【váiərəs】となっていた。
なんでまた、
日本後のカタカナ表記が
「ウイルス」なんて統一されたんだろう。
かつては、
風邪の「ビールス」と
言ってた時期もあったのに…と、
思って調べてみた。
そしたら、
ドイツ語発音で「ヴィールス」
ラテン語が「ウイルス」
だという。
へぇ~
ってなもんだぁ…。
ヘェ~(・Θ・)
⁂
コロナ幽閉中の
「思考実験」の仮説を
あれこれ書こうと思ったら、
オシリのカラータイマーが鳴り出して、
これ以上、座って作業するのは
無理になった・・・(笑)。
痛みも「身の程を知れ」
というカラダの警告なんだろうねぇ・・・(笑)。
イテ~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ
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