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【低体温症(Hypothermia/ ハイポサーミア)】
恒温動物の深部体温が、正常な生体活動の維持に必要な水準を下回ったときに生じる様々な症状の総称。ヒトでは、直腸温が35℃以下に低下した場合に【低体温症】と診断される。低体温症による死を【凍死】と呼ぶ。
(ウィキペディア)
一度、極寒の海中に没した里奈は、今まさに、その〝ハイポサーミア〟という恒温動物にとっては致命的とも言える物理的寒冷刺激にしてやられていた。
まさか、冬山ならいざ知らず…、もうすぐ春になろうかという海の上で凍死するようなハメになるとは…。
里奈は、自律神経のホメオスタシス(恒常性維持)機能がどこまで体温を維持できるか…。やはり時間の問題だろう…と、ぼんやりした意識で感じていた。
寒風に晒される中、濡れた服を着たままでは、気化熱により体温低下が進行することは自明の理であった。
カチカチと歯の根が音を立て始めた。
(寒い。寒いよぅ…)
こころの内に棲む3才くらいのインナーチャイルドが、凍え始めた。
一方で、実年齢の理系頭は、そのうち、体内の生化学反応が、マルファンクション(機能不全)に陥るんだろうなぁ…と、覚悟した。
ヒトは、腹を冷やすと下痢になる。それは、消化管の温度低下によって消化酵素の活性化が鈍り、消化作用が阻害されるからである。
生命活動の担い手でもある体内酵素は、37℃前後が最適活性温度であることは、高校生なら誰でも『生物』の時間に習う。
直腸内で検温できる深部体温が35℃を切ると、ヒトはもはや「人事不省」状態に陥ってしまう。
洋上には、乾いたタオルも衣服も、暖をとる何の熱源もなかった。
まさに、絶体絶命である。
(ダメだ。こりゃ…)
それは、里奈の好きだったドリフの長さんの決めセリフだった。
彼女の深層に潜むトリックスターが、この悲惨極まる状況下をセルフモニタリングして、道化てみせた。
それは、まだ、意識が混濁してはいない証しでもあった。
「寒さ」を感じているうちは、まだ、感覚センサーも正常に機能している。
しかし、瀕死の状態には違いなかった。
(キュウ…ジョ…?…)
この期に及んで、それは、宝籤でミリオネアになるのと同率のことだった。
(お母さん…
お父さん…
颯太ぁ…
みんな、ありがとう…
いろいろ、ありがとう…
けっこう、たのしかったよ…)
頬にまた熱い涙が走った。
その流れる筋に沿って自分の体温を感じる事ができた。
(裕くん…
好きよ…
大好きよ…
ごめんね…
……
ほんと… ごめん…
泣かないで… ね…
怒らないで…
ごめんなさい…… )
すべて、言葉には、ならなかった。
脳内の、こころの内の、囁きであった。
大きなうねりの波頭が、砕け、里奈の全身をダパン…と、洗った。
いくらか塩水を飲んだが、やはり、冷たさが先に感じられた。
まだ、生きている…と、里奈は、ずぶ濡れで仰向けになったまま、ほんの少し口角を緩め、苦笑した。
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