声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

守護霊の話

2013-02-03 22:26:07 | テレビレポーター、キャスターの仕事
リポーター時代のエピソードをあげればキリがないのですが、

岡山県の津山市の山奥に、守護霊が見えるという女性を訪ねた時の事も忘れられません。

 その方は、とある寺のご住職の奥さ
んで、当時50代半ばの、会ってみた感じは、ごくごく普通の女性でした。

ただその方、初対面で挨拶もそこそこ
に、じっと相手の顔を見つめたかと
思うと、

「あなたの後ろにお顔が見えます」

といきなり話し始めるので、
たいていの人はドキッとするそうです。

私の場合も、

「あなたとよくお顔が似ていらっしゃいますね、めがねをかけた優しそうな
男性ですよ、心当たりはありませんか?」

と、会ってすぐに言われ、驚いたものです。

祖父は私が生まれる10年以上も前に亡くなっているので、
私自身は祖父の顔を見たことはないのですが、

生前の祖父を知る近所の老人から

「おじいさんによう似とる」と

いわれたこともあって、

私にとって、母方の祖父は、
一番気になるご先祖様でもありました。

しかもこれは偶然なんですが、
祖父の命日と私の誕生日が同じ日なのです。

そんなことが一瞬頭をよぎったのと、

「守護霊はおじいさんだったのか」

という妙な安心感で、その時は疑う気持ちより、
嬉しいという気持ちのほうが強かったものです。

でも、どうなのでしょう?
もしどんな人にでも守護霊がいて
守ってくれているのなら、
不幸な事故や事件は起こりませんよね。

不幸な出来事が起こる事については
どうなのですか、と訊いてみたところ

「ご先祖様を大事にしていない時に起こる」

とのことでした。

(ふ~ん、お寺のご住職さんの奥様らしいお答え・・・(^^;; )

私自身、その頃は長らくお墓参りもい行っていない状態だったので、

その後、すぐに実家に帰ってお墓参りに行きましたが、

大事なことはお墓参りに行くことではなく、
いつも心のどこかで自分を守ってくれているご先祖様がいるということを忘れない、感謝する気持ちを持つことなのだそうです。

あのお寺の奥さんが言った言葉を信じる、信じないは別にしても、

今自分がここに存在していることは、すべてご先祖様のおかげ……。

感謝する気持ちはいつも、忘れないでいようと思っています。


清水由美 

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三段壁で

2013-02-01 18:21:38 | テレビレポーター、キャスターの仕事
振り向くと私の立っていた場所から、
わずか5メートルも離れていない場所で、

何人かの観光客が断崖絶壁から
すぐ下の海を覗き込んでいるではあり
ませんか。

その声と同時に、
私を映していたカメラマンは、すぐさま断崖絶壁から、すれすれの所で

足を一歩踏み出すと、そのまま海に落ちるのではないか、

というような格好で海面を捕らえ始め
たのでした。


思いがけない事件にショックで青ざめながらも、

結局この日は遺体の引き上げ作業を収録している取材スタッフの仕事を
ただ見ているしかなかったのですが、

私としては、この現場を映していいものかという…
仕事とは言え、なんだか割り切れないものを感じていました。



私がここ南紀白浜を訪れたのは、釣り人の間で噂になっていた幽霊話を
検証するためだったのですが・・・

結局、カメラは自殺者の引き上げ作業を、まるで特ダネとでも言わんばかりに
遠慮なく映してしまっていて、

私も放送当日、その映像を見ながら
当時の様子をレポートしろというディレクターの指示に従うことになりました。

自殺者は寝屋川市の40歳代の男性でした。

借金苦による自殺だそうで、
三段壁についての知識もあったのでしょう、

現場で目撃していた観光客の証言によると、助走して飛び込んだのだそうです。

引上げ作業の時、私はその苦痛にゆがんだ顔をはっきりと見てしまったのですが、

さすがにVTRでは顔は映さず、
海面にうつ伏せの状態で遺体が浮かん
でいるのを

船に乗った人たちが慣れた手つきで引き上げている様子を映し出していました。


近くの公衆電話には「いのちの電話」の張り紙などもあって、

地元警察などでも、なんとか思いとどまらせようと努力はしているものの、

それでも自殺志願者が後を絶たないと言われている場所なのだそうです。

当時は景観を損なうと言う理由から
柵などもなかったのですが、
その後、柵が設置されたと聞いています。

そんな理由で、あの美しい景観が変わってしまうのは、とても残念な事です。






清水由美 






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釣り人の怪

2013-02-01 17:51:42 | テレビレポーター、キャスターの仕事
心霊スポットを検証するレポーターで一番最初に訪れた場所、

それは和歌山県は南紀白浜の三段壁でした。

実はその前に一度、「三重県賢島でグルメの旅」をテーマに取材する企画で
レポーターとしてデビューはしていたのですが、

おそらく、どんなジャンルのリポートが向いているのかの“お試し期間”だったのでしょう…。
関係者からは、とりあえず合格という評価を貰ったものの、

当時、所属していたプロダクションのマネージャーからは、放映後

「あんたなぁ、控えめなんは美徳やないよ!」

と、言われたものです。(^^;;

その私に、ちょうどピッタリのテーマがある、と直後に舞い込んできたのが
「心霊スポットでのリポート」でした。


三段壁は、海に面した50mはあろうかと思われる崖が2kmも続く風光明媚な場所です。

ここは、残念な事に崖から海に飛び込む自殺者が絶えないとの事で、

その近くで夜釣りを楽しむ釣り人達から「幽霊を見た」という話しが、まことしやかに
噂されているとのことで、

その真相を確かめるために、私はディレクター、カメラマン達と一緒に現地に赴きました。

取材当日は雲一つない快晴でした。

真っ青な空と深い海の狭間に延々と続く黒褐色の崖…、

その崖の下に広がる青緑色の水面から上がる白い波飛沫、

明瞭なコントラストに思わずため息が
出るほどの美しさです。

私は景色の素晴らしさに高揚しながら
カメラの前に立ち

「こんなに美しい場所で自殺する人がいるなんて信じられないですね。」

と上機嫌でレポートを始めたのです。

と、その時

「飛び込んだぞーっ!!」

という大声が背後から聞こえ、辺りの空気が一変しました。




清水由美 

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スタジオ2時

2013-01-31 21:52:48 | テレビレポーター、キャスターの仕事
自衛官を辞めて四半世紀以上も経っていると言うのに、

元自衛官という肩書きは、どこに行っても珍しがられ、興味を持たれます。

局アナを辞めた後、バラエティがやりたくて
関西のTV番組のオーディションを受けましたが、

プロフィールの「元自衛官」で得をした事も少なくありません。

その一つが、MBSの「スタジオ2時」という昼ワイドのレポーターでした。

当時、メイン司会者だった初代・森乃福郎さんから
「お~い、自衛隊!」と面白がられ

駆け出しのレポーターだったにも関わらず、準レギュラーの扱いを受けました。

「スタジオ2時」のレポーターは
主に若い落語家や吉本興業の若手お笑い芸人がほとんどでしたが、

常に賑やかな雰囲気の中で、私だけ異色で完全に浮いていました。

見た目も地味な私は、
当初は緊張のためか、芸人たちからからかわれても全く笑わないレポーターでしたが、
プロデューサーやディレクターからは、そのままでいいと言われました。

それもそのはず
「元自衛官の異色のレポーター」に与えられた任務は、

全国の心霊スポットを検証して紹介する仕事だったのです。(^^;;

清水由美 
コメント (4)
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アイテム不足

2013-01-25 23:13:27 | テレビレポーター、キャスターの仕事
せっかく自衛隊を辞めて自由の身になったというのに…

常に他人の目を意識しなければならない地方局のアナウンサーの仕事は、
なんとも不自由なものでした。(~_~;)

週5日のニュースワイドでのレギュラー出演では、イヤでも顔を覚えられてしまいます。

それに加えて、
毎日の衣装をどうするか、も悩みの種
でした。

報道部から出る衣装の補助金は一カ月
わずか2万円、

「買った衣装は領収書を提出してくれ
れば2万円までは、出してやるよ」

と報道部長から言われて
人目を気にしながらバーゲンに出かけ

とりあえず、3000円前後のブラウスを4~5枚買えればいいほうで、
とても一ヶ月20回の出演では足りるわ
けがありません。

それでなくても
ファッションアイテムが同年代の女性
に比べて極めて少ない
元自衛官なのです

これがキー局であれば
スポンサーのアパレルメーカーなどか
らの衣装提供もあるのでしょうが、

ローカルでは、地元大手百貨店がスポ
ンサーについてはいたものの
そこまでの無理も言えず、

決して多くはない自分の給与で賄わな
ければならず、

自衛官時代の貯金は衣装代に
みるみる消えて行きました。


清水由美 

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自意識過剰

2013-01-24 17:29:36 | テレビレポーター、キャスターの仕事
古い話で、今さら…という感もあり
ますが、
歳を取ると現在記憶より過去記憶の
方が鮮明になってくるものですね。(^_^;)

職業に適性があるとは言いますが
人間には適応能力が備わっているはずで、この仕事は向かないと思っても

ある程度は、どのような職業でも自分を合わせて行くしかない、

それが私の場合、アナウンサーという仕事でした。



ニュースワイドでTVの仕事を始めてすぐに上司から言われました。

「そうだ、警察の強行犯係に挨拶に行って来なさい。事件現場のリポートもいずれあるだろうから。」

報道番組のアシスタントという肩書きの名刺を持ち、

記者に連れられて県警に挨拶に行くと
何ともガラの悪そうな角刈りアタマに
強面の刑事さん達が、

いきなり初対面の私に

「今度、一緒に飲みにいくかいっ!」

と声を掛けてくれたのですが、

どうみても警察官にみえない 彼らを前に、たじろぐばかりでした。

後になって知った事ですが、
この地域では、お酒を一緒に飲む事で
コミュニケーションをより円滑にする
慣習が昔から受け継がれているとの事でした。
「一緒に酒をのもう」というのは
新入りを歓迎する、いわゆる社交辞令だったのです。

元自衛官という“変わり種”として
地元紙にも取り上げられた私は、
いつの間にか有名人になってしまったようで、

バーゲンに行った翌日には、

『昨日、◯◯デパートのバーゲンに来ていましたよね』

という投書までくるように…。

電車に乗れば見知らぬ人から話しかけられ、

スーパーに行けば、
「アナウンサーさん、今日はカツオが安いよ!」

歩いていても前から来た女子高生に
「サインしてくださ~い!」
と呼び止められ、

私は、いつも誰かに見られているのでは?…と
外出中、周りが気になるようになり、

自意識過剰になってしまいました。

清水由美 

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TVデビュー

2013-01-23 16:28:54 | テレビレポーター、キャスターの仕事
私が自衛官から局アナになった30年前は、まだ「女子アナ」という言葉が
存在しない時代でした。

また、キャスターという言葉もチラホラ使われ始めた頃で、
今ならサブキャスターという表現になるのでしょうが、

私の呼び名は「アシスタント」でした。

そもそも、
自衛官からアナウンサーなんていう話は、その当時も聞いたことがありません。

アナウンス室長は、私に言いました。

「変わった新しモノ好きな県民性でね。」

その言葉に、なぜ、自分が選ばれたのかが分かりました。

先輩アナウンサー達から
室長は口うるさく厳しい人だという評判を聞いてはいましたが、
中には、やや反抗的な態度を取る先輩もいました。

例えばラジオのワイドが終わって
帰って来た一年先輩のMアナに対し

「 お疲れさん、Mちゃん。
あの表現は、ちょっと砕けすぎだね。もう少し慎重に言葉を選んで話しなさい」

と言われたMアナが
返事もせずに、不服そうな表情をあらわにして、

スッと無言で出て行くという具合いです。


そんな室長が何故か私には好意的でした。

TVデビューを控え
カメラテストを終え帰ってくると

「NHKのアナウンサーを見習って、髪を短くしなさい」

と命令口調で指示を出しましたが、
私には、嫌な気はしませんでした。

そして言われた翌日、
ロングからショートヘアに変わった私を見るなり

「 うん、いいよ。似合うよ。」

と、ご満悦の様子でした。

室長にしてみれば、
元自衛官の私には、何でも命令通りに従ってくれる、という期待感もあったのでしょう。


TVの初仕事は、
夕方のニュースワイドの中での
「お天気コーナー」
生放送は当然、生まれて初めての経験です。

何度もリハをやって、いざ本場、

メインキャスターから
「今日から新しいお天気おねえさんが登場します」

と紹介され、1カメから2カメに切り替わったとたん、

私は、固まってしまいました。

そして、カメラの上のON AIRランプが点灯しているのを見ながら、

一言も出て来ないという恐怖の瞬間を味わいました。

こう言う時の一秒はとても長く感じる
ものです。
数秒の間、無言でただボーッと突っ立っている私に
カメラの横に立っているディレクターから

( なんか喋って!)

という小さくも厳しい口調のカゲの声だけが、シーンとしたスタジオに響き渡り、
私はますますパニックになりました。

そうなのです、頭の中が真っ白け、

リハではツラツラ言えた
30秒程度の前振りが全て吹っ飛んでしまったわけです。

生来のアガリ症が、復活した瞬間でした。(~_~;)


清水由美 

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180度の“とらばーゆ”

2013-01-20 11:49:11 | テレビレポーター、キャスターの仕事
私のアナウンサーとしての初仕事、
業界用語でいう「初鳴き」は、
ラジオの天気予報でした。

終わってアナウンス室に帰ってくると

「落ち着いた声だね、やっぱりニュース向きだね。」

とアナウンス室長が、笑いながら言いました。

ラジオ、テレビの両方を持つ局でしたので
その数日後にはTVのニュースワイドを担当する事も決まっていました。

発声と腹式呼吸だけは身についていると言われたものの、
アナウンスの基礎はアナウンス教室で学んだ半年程度では不充分、

原稿読みは何とかこなせても、
何よりボキャブラリーが貧困で話し下手、インタビューなどは全くの未経験、

同期入社で地元出身のK子さんのような大学の放送学科で勉強してきた人との差は
一目瞭然でした。

そのうえ、見ず知らずの土地へ来て、
局が用意してくれた社宅に入り、
距離にして片道15分の局と社宅の間を電車で往復する毎日…、

それは三カ月前、自衛隊を除隊した直後は予想もしていなかった生活でした。

自分の許容範囲をはるかに超える知識の習得が求められている事に、
焦りと戸惑いの連続でした。



入社して一週間の研修中の事です、
アナウンス室で机に座って次の指示を
待っていると、
当時の先輩アナウンサーSさんから
言われました。

「街へ出て季節ネタを探してくるのも仕事のうちだよ。
デパートのショウウィンドウや映画館での上映作品も観ておくこと。
それから、台風がきたら必ず川の水量
などをチェックすること!」

今のようなネットの情報もない時代です、
フリートークのネタ探しから、取材のアポ取り、原稿書きまで、
全て一人でこなす自主性が求められていたのです。

思えば、自衛官時代は、命令のままに行動するだけで余計な事は一切考えなくてもいい、
とまで言われた環境、

二年間その中に身を置いて、慣れきっていたわけです。


180度も違う“とらばーゆ"をしてしまった事に気づいたのは、
入社後間もない時期でした。(~_~;)

清水由美 

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アナウンサー試験

2013-01-18 23:05:47 | テレビレポーター、キャスターの仕事
H百貨店では「友の会」の入会手続きを担当していましたが、

丁度その頃、アナウンス教室では、
四国のローカル局のアナウンサーの募集が始まりました。

「受ける人は、手をあげて!」

と言われ、40人の受講生のうち
手をあげなかったのは、私だけでした。

私の夢はコンサートの司会者になる事でしたので、局アナになるつもりはない、と言うのがその理由でした。

手を挙げない私に教室長が

「なぜ、受けないの?」

と不思議そうに訊いてきましたが、
コンサート司会者が希望だと伝えると

「局アナの経験がある方が早道だよ」

と言われ、
一応受けてみることになったのですが

志願者には京大や阪大の学生もいて、
到底、私など太刀打ちできないという印象を持っていました。

試験には一般教養など記述試験の他に
原稿用紙二枚分くらいの作文があったように記憶してます。
確かテーマは、
「21世紀のエネルギーについて」
だったかと…。

当時から建設反対運動が起こっていた
原発についての自分の考えを書いたように思いますが、

多分ダメだろうと思っていたところ
何故か最終面接まで残り、

カメラテストを受けて帰ってきて一週間後に、
教室から合格したという電話がかかってきました。

全くと言っていい程、予想外の展開でした。

まだ二ヶ月しか住んでないアパートの賃貸契約はどうなるんだろう…。

アナウンサーなんて…こんな自分に
やっていけるんだろうか。

電話を切った後で漠然とした不安だけが残りました。


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