自衛官を辞めて四半世紀以上も経っていると言うのに、
元自衛官という肩書きは、どこに行っても珍しがられ、興味を持たれます。
局アナを辞めた後、バラエティがやりたくて
関西のTV番組のオーディションを受けましたが、
プロフィールの「元自衛官」で得をした事も少なくありません。
その一つが、MBSの「スタジオ2時」という昼ワイドのレポーターでした。
当時、メイン司会者だった初代・森乃福郎さんから
「お~い、自衛隊!」と面白がられ
駆け出しのレポーターだったにも関わらず、準レギュラーの扱いを受けました。
「スタジオ2時」のレポーターは
主に若い落語家や吉本興業の若手お笑い芸人がほとんどでしたが、
常に賑やかな雰囲気の中で、私だけ異色で完全に浮いていました。
見た目も地味な私は、
当初は緊張のためか、芸人たちからからかわれても全く笑わないレポーターでしたが、
プロデューサーやディレクターからは、そのままでいいと言われました。
それもそのはず
「元自衛官の異色のレポーター」に与えられた任務は、
全国の心霊スポットを検証して紹介する仕事だったのです。(^^;;
清水由美
元自衛官という肩書きは、どこに行っても珍しがられ、興味を持たれます。
局アナを辞めた後、バラエティがやりたくて
関西のTV番組のオーディションを受けましたが、
プロフィールの「元自衛官」で得をした事も少なくありません。
その一つが、MBSの「スタジオ2時」という昼ワイドのレポーターでした。
当時、メイン司会者だった初代・森乃福郎さんから
「お~い、自衛隊!」と面白がられ
駆け出しのレポーターだったにも関わらず、準レギュラーの扱いを受けました。
「スタジオ2時」のレポーターは
主に若い落語家や吉本興業の若手お笑い芸人がほとんどでしたが、
常に賑やかな雰囲気の中で、私だけ異色で完全に浮いていました。
見た目も地味な私は、
当初は緊張のためか、芸人たちからからかわれても全く笑わないレポーターでしたが、
プロデューサーやディレクターからは、そのままでいいと言われました。
それもそのはず
「元自衛官の異色のレポーター」に与えられた任務は、
全国の心霊スポットを検証して紹介する仕事だったのです。(^^;;
清水由美
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