声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

スタジオ2時

2013-01-31 21:52:48 | テレビレポーター、キャスターの仕事
自衛官を辞めて四半世紀以上も経っていると言うのに、

元自衛官という肩書きは、どこに行っても珍しがられ、興味を持たれます。

局アナを辞めた後、バラエティがやりたくて
関西のTV番組のオーディションを受けましたが、

プロフィールの「元自衛官」で得をした事も少なくありません。

その一つが、MBSの「スタジオ2時」という昼ワイドのレポーターでした。

当時、メイン司会者だった初代・森乃福郎さんから
「お~い、自衛隊!」と面白がられ

駆け出しのレポーターだったにも関わらず、準レギュラーの扱いを受けました。

「スタジオ2時」のレポーターは
主に若い落語家や吉本興業の若手お笑い芸人がほとんどでしたが、

常に賑やかな雰囲気の中で、私だけ異色で完全に浮いていました。

見た目も地味な私は、
当初は緊張のためか、芸人たちからからかわれても全く笑わないレポーターでしたが、
プロデューサーやディレクターからは、そのままでいいと言われました。

それもそのはず
「元自衛官の異色のレポーター」に与えられた任務は、

全国の心霊スポットを検証して紹介する仕事だったのです。(^^;;

清水由美 
コメント (4)
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同期会で

2013-01-30 19:19:52 | 自衛官時代の想い出
5年前の同期会の席で私は初めて教育隊長と直に話しました。

現役時代は遠くから訓示を聞くだけの存在だった教育隊長です。

喜寿を迎えたI隊長は当時と少しも変わらず穏やかな話し方、
当時のWAC教育隊では唯一の男性でした。


「当時は、どうしようかと思ってね。娘を育てた経験のない自分がいきなり200人の新人WACを育てなければならないんだから・・」

と懐かしそうに笑いながら
話していましたが、

聞けば、その前年に二度、脳溢血で
入院して現在もリハビリ中だとの事でした。

驚いたのは、隊長だけでなく
同期の仲間の中にも、40代で脳血管の病気で、手術をしたという人が数人いた事です。


原因を考えると血栓ができやすいのは

「自衛官の水分を取らない習慣」

もあるのかな、と思いますが

そのかつての習慣で、

やはり、さすが元自衛官と思ったのは
「5分精神」です。

なんでも早い!
食べるのも、歩くのも・・。


二次会ではデザートバイキングのケーキが開宴5分で無くなり幹事さんを慌てさせましたっけ…(^^;;

二次会のあとは、三次会もあったようで、

翌朝は9時半集合で朝霞駐屯地ツアーだという、オマケも付いていましたが

残念ながら私は翌日の仕事のため

後ろ髪を引かれる思いで、帰って来ました。

写真は、同期会の幹事さんたちが踊るピンクレディの「UFO」です。(^.^)



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24期の再会

2013-01-29 20:57:32 | 自衛官時代の想い出
平成20年6月21日、
グランドヒル市ヶ谷で私たちは30年ぶりに集いました。

2階の宴会場ロビーは場違いな
黄色い歓声が沸き起こっていたためでしょう。

「あの方たちは何の団体ですか?」

隣で結婚披露宴に出席していた初老の女性がホテル従業員に訊いていました。

「はぁ・・元自衛官の方たちのようです。」

この日、陸上自衛隊婦人自衛官教育隊第24期生(通称WAC24期)
総勢215名のうち、108名もの仲間が市ヶ谷に集結したのでした。

その騒々しさと言ったら、他に類を見ないほど…。(^^;;

それもそのはず、30年前の7月、
全国に散らばっていった仲間との再会だったのですから…。


名札を見ては

「あ、あ、あ・・・やっぱりそうだね。」

顔はどことなく覚えていますが
名前が思い出せないのです。

現役の自衛官を娘に持つというある同期が、

「娘が、そんなたったの3ヶ月しか
一緒にいなかったのに同期会なんて変
じゃない?というのよ。」

そう言えばそうなのかも知れません。

当日招待した数々の新入隊員を教育してきた教官たちに訊いてみても、
これほどの大規模な同期会を行うのは珍しいとのこと。

たったの3ヶ月。

以降30年間の人生から比べれば、
わずかな期間には違いないのです。

が、しかし、この期間に経験したことは恐らく誰もが人生の中で一番印象に残った事で、
共通しているのは、朝霞で過ごした日々をみな忘れてはいない、ということなのです。

今年は、そんなWAC24期の現職自衛官達が定年を迎えます。

彼女達にとって、第二の人生が充実したものでありますように…。



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リスクヘッジ

2013-01-28 19:09:29 | Diary
日本人が海外で犯罪や事件に巻き込まれる度に、
どのような手段を取れば被害を最小限に抑えることができるのか、

辛うじて難を逃れた人と、逃れられなかった人の違いは、どこにあったのだろうか…、

と考え込んでしまいます。

海外駐在員の中には、
テロ組織が宗教上の理念を重視する傾向が強いことから、
わざわざ改宗までして、その印が外から見えるようにしている人もいると聞いています。

また、
今回の事件で難を逃れた日本人スタッフが現地人に庇ってもらい、
ターバンで現地人のふりをして脱出した、という報道に、

外見が一目で日本人だと判別できないようにする事は、
危険地帯でのリスクヘッジ(危険回避)では一番必要な事なのかもしれない、

という思いを強くしました。



10年以上も前になりますが、
初めて南フランスで暮らす友人宅を訪ねる際に、最初に思いついたのが

一見して日本人だと判別できないような格好で行く、という事でした。
行き帰りは、女ひとり旅です。

寒い時期だった事もあって、
黒いサテン素材のパンツにベルギー製のサテン地の黒いダウンジャケット、
そしてベロア素材のつば付きの帽子に黒い革の乗馬靴のような形のブーツ…
中に着るセーターを除けば全身黒ずくめのスタイルでした。

貴金属類は腕時計のみ、斜め掛けもできるノンブランドの黒い大きめの
クロコダイル風型押しエナメル製の鍵付きバッグには、
万一、トランクを盗まれても、一泊くらいはできるように小さなトラベルセットを入れ、

もちろん、海外旅行の必需品メッシュ胴巻きの現金は最小限。

格安航空会社で有名なアエロフロートでしたので、日本人団体客はゼロ、

機内には個人旅行の若い女性が2人乗っていましたが、モスクワでのトランジットで話すまで、
私の事を香港や台湾からの旅行客だと思っていたようでした。


ドゴール空港からのニース行きのTGVの中でも、
アラブ系男性から荷物を持っていてやるよ、という申し出を断り、
自転車盗難防止用チェーンで荷物置き場にしっかり固定。

荷物の管理では道中、全く気を抜けなかったのを覚えています。

その分、成田に着いた後は時差ぼけもあってベンチで爆睡したほど…

目が覚めた瞬間、
これが海外だったら、トランクどころかバッグも失くなっていたかもしれない、
居眠りしたのが日本で良かったと心から思ったものです。

今回のような悲惨な事件は、
もう金輪際起きないよう願うばかりですが、

毎年、海外で事件に巻き込まれたり被害に遭う日本人は絶えないのが現状の
ようです。

外務省のHPも参考にしたいものです。

http://www.anzen.mofa.go.jp/jikenbo/jiken_index1_30.html
清水由美 

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朝陽の中の帰還

2013-01-28 00:57:10 | Diary
アルジェリアで犠牲になった方々の
ご遺体を乗せた特別機を
燃えるような、大きな朝陽が迎えていました。

あんなに美しくて悲しい朝陽を見たことがありません。

あの光景をご遺族の方々は、どんな気持ちでご覧になっていたのか…。

この二日間、ニュースを見るたびに考えていました。

一番若い技術者の木山さんには5年前に結婚した妻がいて、
昨年、第一子が誕生したばかりだった
そうです。


人質として唯一人、木山さんの音声が放送された時、
誰もが皆、大丈夫そうだ、良かったと安心したものです。

ご家族も、きっと帰ってくると信じて待っていたに違いありません。

それが、こんな悲惨な結果になるなんて、誰が想像したでしょうか…。


事件の経緯が少しずつ解明されてきて
わかったのは、

日本人を人質にする事が最初から
目的だったということ。

そして、アルジェリア政府軍は
人質より天然ガスプラントを守る事を
選らんだということ。

日本の企業が、海外進出するには、
これほどまでのリスクを覚悟して出て
行かなければならないという事を

こんなに大きな犠牲を払わなければ
知り得なかった事自体、

とても口惜しい思いでいっぱいです。


清水由美 

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アイテム不足

2013-01-25 23:13:27 | テレビレポーター、キャスターの仕事
せっかく自衛隊を辞めて自由の身になったというのに…

常に他人の目を意識しなければならない地方局のアナウンサーの仕事は、
なんとも不自由なものでした。(~_~;)

週5日のニュースワイドでのレギュラー出演では、イヤでも顔を覚えられてしまいます。

それに加えて、
毎日の衣装をどうするか、も悩みの種
でした。

報道部から出る衣装の補助金は一カ月
わずか2万円、

「買った衣装は領収書を提出してくれ
れば2万円までは、出してやるよ」

と報道部長から言われて
人目を気にしながらバーゲンに出かけ

とりあえず、3000円前後のブラウスを4~5枚買えればいいほうで、
とても一ヶ月20回の出演では足りるわ
けがありません。

それでなくても
ファッションアイテムが同年代の女性
に比べて極めて少ない
元自衛官なのです

これがキー局であれば
スポンサーのアパレルメーカーなどか
らの衣装提供もあるのでしょうが、

ローカルでは、地元大手百貨店がスポ
ンサーについてはいたものの
そこまでの無理も言えず、

決して多くはない自分の給与で賄わな
ければならず、

自衛官時代の貯金は衣装代に
みるみる消えて行きました。


清水由美 

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自意識過剰

2013-01-24 17:29:36 | テレビレポーター、キャスターの仕事
古い話で、今さら…という感もあり
ますが、
歳を取ると現在記憶より過去記憶の
方が鮮明になってくるものですね。(^_^;)

職業に適性があるとは言いますが
人間には適応能力が備わっているはずで、この仕事は向かないと思っても

ある程度は、どのような職業でも自分を合わせて行くしかない、

それが私の場合、アナウンサーという仕事でした。



ニュースワイドでTVの仕事を始めてすぐに上司から言われました。

「そうだ、警察の強行犯係に挨拶に行って来なさい。事件現場のリポートもいずれあるだろうから。」

報道番組のアシスタントという肩書きの名刺を持ち、

記者に連れられて県警に挨拶に行くと
何ともガラの悪そうな角刈りアタマに
強面の刑事さん達が、

いきなり初対面の私に

「今度、一緒に飲みにいくかいっ!」

と声を掛けてくれたのですが、

どうみても警察官にみえない 彼らを前に、たじろぐばかりでした。

後になって知った事ですが、
この地域では、お酒を一緒に飲む事で
コミュニケーションをより円滑にする
慣習が昔から受け継がれているとの事でした。
「一緒に酒をのもう」というのは
新入りを歓迎する、いわゆる社交辞令だったのです。

元自衛官という“変わり種”として
地元紙にも取り上げられた私は、
いつの間にか有名人になってしまったようで、

バーゲンに行った翌日には、

『昨日、◯◯デパートのバーゲンに来ていましたよね』

という投書までくるように…。

電車に乗れば見知らぬ人から話しかけられ、

スーパーに行けば、
「アナウンサーさん、今日はカツオが安いよ!」

歩いていても前から来た女子高生に
「サインしてくださ~い!」
と呼び止められ、

私は、いつも誰かに見られているのでは?…と
外出中、周りが気になるようになり、

自意識過剰になってしまいました。

清水由美 

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TVデビュー

2013-01-23 16:28:54 | テレビレポーター、キャスターの仕事
私が自衛官から局アナになった30年前は、まだ「女子アナ」という言葉が
存在しない時代でした。

また、キャスターという言葉もチラホラ使われ始めた頃で、
今ならサブキャスターという表現になるのでしょうが、

私の呼び名は「アシスタント」でした。

そもそも、
自衛官からアナウンサーなんていう話は、その当時も聞いたことがありません。

アナウンス室長は、私に言いました。

「変わった新しモノ好きな県民性でね。」

その言葉に、なぜ、自分が選ばれたのかが分かりました。

先輩アナウンサー達から
室長は口うるさく厳しい人だという評判を聞いてはいましたが、
中には、やや反抗的な態度を取る先輩もいました。

例えばラジオのワイドが終わって
帰って来た一年先輩のMアナに対し

「 お疲れさん、Mちゃん。
あの表現は、ちょっと砕けすぎだね。もう少し慎重に言葉を選んで話しなさい」

と言われたMアナが
返事もせずに、不服そうな表情をあらわにして、

スッと無言で出て行くという具合いです。


そんな室長が何故か私には好意的でした。

TVデビューを控え
カメラテストを終え帰ってくると

「NHKのアナウンサーを見習って、髪を短くしなさい」

と命令口調で指示を出しましたが、
私には、嫌な気はしませんでした。

そして言われた翌日、
ロングからショートヘアに変わった私を見るなり

「 うん、いいよ。似合うよ。」

と、ご満悦の様子でした。

室長にしてみれば、
元自衛官の私には、何でも命令通りに従ってくれる、という期待感もあったのでしょう。


TVの初仕事は、
夕方のニュースワイドの中での
「お天気コーナー」
生放送は当然、生まれて初めての経験です。

何度もリハをやって、いざ本場、

メインキャスターから
「今日から新しいお天気おねえさんが登場します」

と紹介され、1カメから2カメに切り替わったとたん、

私は、固まってしまいました。

そして、カメラの上のON AIRランプが点灯しているのを見ながら、

一言も出て来ないという恐怖の瞬間を味わいました。

こう言う時の一秒はとても長く感じる
ものです。
数秒の間、無言でただボーッと突っ立っている私に
カメラの横に立っているディレクターから

( なんか喋って!)

という小さくも厳しい口調のカゲの声だけが、シーンとしたスタジオに響き渡り、
私はますますパニックになりました。

そうなのです、頭の中が真っ白け、

リハではツラツラ言えた
30秒程度の前振りが全て吹っ飛んでしまったわけです。

生来のアガリ症が、復活した瞬間でした。(~_~;)


清水由美 

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“遺憾”では済まない

2013-01-22 16:50:27 | Diary
アルジェリアでの邦人殺害に憤りと
悔しさ、やり場のない怒りを感じています。

安倍総理のFBのコメント欄にも
同様の意見が寄せられていますが、

この数日間の報道でわかった事は
「話せば分かる」という言葉が通用しない国もあるということ、

日本人が、どんなに国際貢献をしていても、全く意に介さず
勘違いに等しい一方的な宗教理念を振りかざし

罪の無い人達の命を虫けら同然に奪い

それをあたかも
国や主義を守るための当然の行為と正当化する

そんな、民族が地球上にいることを
私達、日本人は忘れてはいけない
という事です。

ある新聞には、
「処刑」などという不適切な言葉を平然と引用して
遺族の感情を無視した記事を載せていましたが、

勘違いとしか思えないテロ集団の表現をそのまま引用したとしても
あまりにも無神経です。

今回の事で、
自衛隊海外派遣の際の安全確保や武器使用についての法改正に拍車がかかる
ものと思われますが、

その前に、
海外の危険と思われる地域で、今
どれだけの日本人が働いているのか、その際の危機管理体制がどの程度整備
されているのかがとても気になります。

また、テロ集団に武器を輸出している国に対して、
日本政府はどう対処するのでしょうか?

今後の対応を早急に示して欲しいと思います。

このままでは、犠牲になった方々が
あまりにも気の毒です。

清水由美 





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180度の“とらばーゆ”

2013-01-20 11:49:11 | テレビレポーター、キャスターの仕事
私のアナウンサーとしての初仕事、
業界用語でいう「初鳴き」は、
ラジオの天気予報でした。

終わってアナウンス室に帰ってくると

「落ち着いた声だね、やっぱりニュース向きだね。」

とアナウンス室長が、笑いながら言いました。

ラジオ、テレビの両方を持つ局でしたので
その数日後にはTVのニュースワイドを担当する事も決まっていました。

発声と腹式呼吸だけは身についていると言われたものの、
アナウンスの基礎はアナウンス教室で学んだ半年程度では不充分、

原稿読みは何とかこなせても、
何よりボキャブラリーが貧困で話し下手、インタビューなどは全くの未経験、

同期入社で地元出身のK子さんのような大学の放送学科で勉強してきた人との差は
一目瞭然でした。

そのうえ、見ず知らずの土地へ来て、
局が用意してくれた社宅に入り、
距離にして片道15分の局と社宅の間を電車で往復する毎日…、

それは三カ月前、自衛隊を除隊した直後は予想もしていなかった生活でした。

自分の許容範囲をはるかに超える知識の習得が求められている事に、
焦りと戸惑いの連続でした。



入社して一週間の研修中の事です、
アナウンス室で机に座って次の指示を
待っていると、
当時の先輩アナウンサーSさんから
言われました。

「街へ出て季節ネタを探してくるのも仕事のうちだよ。
デパートのショウウィンドウや映画館での上映作品も観ておくこと。
それから、台風がきたら必ず川の水量
などをチェックすること!」

今のようなネットの情報もない時代です、
フリートークのネタ探しから、取材のアポ取り、原稿書きまで、
全て一人でこなす自主性が求められていたのです。

思えば、自衛官時代は、命令のままに行動するだけで余計な事は一切考えなくてもいい、
とまで言われた環境、

二年間その中に身を置いて、慣れきっていたわけです。


180度も違う“とらばーゆ"をしてしまった事に気づいたのは、
入社後間もない時期でした。(~_~;)

清水由美 

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