声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

校長先生の右隣

2020-08-29 08:06:00 | 心霊のはなし


どこかで、

youtubeを見たらしく

「歌と合ってないだろ!」

と夫からのクレーム…

「オジサンのキャラはないんだよ」

と言うと、

「ソリャ、そうだろうが…雰囲気がミスマッチだよ」

と文句を言う。


言われてみれば確かに…イケメンすぎる。
(⌒-⌒; )


夕方、妹と電話していると
近くにいた甥っ子と代わってくれて

動画の作り方について色々とアドバイスを受けた。

甥っ子は、Web広告を作る仕事をしているクリエーターだ。


「ぜんぶスマホで2時間くらいで作ってるのよ」

と言うと、
ちょっと驚いたようだ。


細かい字の入れ方などについてもアドバイスしてくれたが、

「文字入れはPCでなきゃムリかもね」

と言うと

「確かに文字入れはPCの方がクオリティ高いけれど、作るのはスマホの方が早いね」

とのこと。

「バーチャルシンガーは何だかよくわからなかったけれど、怪談は続けてみたら?」

とも…。

「効果音なども入れるといいよ」

とのことなので、
少し工夫してみた。


で、早速作った動画がコレです。


深夜には絶対に見ないでください。



















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おててつないで

2020-08-23 01:28:43 | 心霊のはなし
仕事終わりに大雨警報が出たと同時に

土砂降りの雨…

おかげで昼間の暑さで熱を帯びたアスファルトが冷えて

一気に気温が下がった帰り道、

路面が光り、

対向車のライトが反射して眩しい中を

慎重に運転しつつ

家の手前200mの交差点付近にさしかかると、

靄が出てきた…。


(こんな夜は、気をしっかり持たないと…持って行かれそうだなぁ…)

と、ふと思う。


金縛りもそうだが、

疲れていたり、心が弱っている時は要注意で、
“彼等”は、遠慮なく心の隙間に入り込んでくる。

それが、強い怨念を持っていたりすると
入り込まれた人間はコントロールが効かなくなる…

無意識のうちにあっちの世界に引きずり込まれそうになる事もある。

怨念ほど、怖いものはない。


一方で、

子どもの霊には、それがない。


事故や災害で命を落とした子どもの多くは、

自分が突然、

日常を失ったことに気づかない場合もある。

そんな小さな子どもの話しは

切ない…。


今回は、

私の高校合唱部の後輩が経験した話し。







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帰ってきた兵隊さん

2020-08-15 17:25:00 | 心霊のはなし
古いblogを読んでいたら

不思議な体験をしたことを記したページがあった。

子供の頃のことだから

アレは事実だったのか、それとも夢だったのか…定かではないが、

私ひとりなら、ともかく

従兄弟たちも一緒に体験した事で

今も忘れる事はできない…。


一時期、遺骨収集の事業に興味を持っていたのも、

祖母から、

「小さな箱の中には何も入っとらんかった…」

と、
残念そうに言っていたのを聞いたからだ。


伯父は、

戦争から帰ってくる時にマニラで餓死したと実母は言っていたが、

正確な情報は何もない。

祖母の家の座敷には、
端正な顔をした伯父の写真が飾られていたが、

2歳の娘と妻を残して、戦死した伯父の無念さを思うとやり切れない。

伝えたい事もあったのではないか…。


私自身の記憶も、最近だんだんと曖昧になっている。

コロナ禍で家にいる時間が長くなった今、

あの不思議な体験を記録しておくことにした…。

思いつきのナレーションなので、
ノイズも入っていてお聞き苦しい点も多々あるので、

どうかお許しを…。






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帰ってきた兵隊さん

2018-08-15 23:52:38 | 心霊のはなし

終戦記念日になると思い出すことがある。

以下は、

子供の頃の不思議な体験…を回想した日記から。


***************************************


私と妹と従兄弟たち子供5人で夏休みにセミ取りに出かけた、今から数十年前の8月15日の午後のことだった。


遊びつかれて夕方近くになって祖母の家の近くの畦道を帰ってくると、

目の前に、不思議な格好の人が倒れているのを見つけた。

最初は、酔っ払って寝ている工事のおじさんかしら?とも思ったが、

よく見れば、

頭には鉄兜のようなものをかぶり、
背中には銃剣のような武器を背負い

手にはボロボロになった軍手。

全体は薄汚れて所々が錆付いているようだが、

一見すると、
どう見ても兵隊さん?


戦後20年以上も経っているのに、どうしてこんな格好で

こんなところに倒れているのだろう・・・・と

子供心に不思議に思った私たちは、

うつ伏せになって倒れているその人を
放っておくわけにもいかず、

大人を呼んで来ようということになって、
祖母の家まで一目散に走って帰った。


そして、祖母に

「兵隊さんのような格好をした人が倒れとるよ!!」と

知らせたのだが、

そのときの祖母は、

一瞬ハッしたような顔をしたかと思うと、急に怖い顔になり

一緒に行こうとする私たちを止めて

「あんたたちはここにおりんさい!!」


そう叱るように言ったかと思うと、小走りに出かけていった。


それから、

20分~30分たった頃だったか、

帰ってきた祖母に

「あの人どうなったん?」

と聴くと

「なんの事?」と

と、何事もなかったかのような顔で答えた祖母…



その後も祖母に、

「救急車は呼んだん?」「死んどらんよね?」

と訊いても、なぜか全く取り合ってはくれなかった。



そんな事があったことも長い間忘れていて、
久しぶりに思い出したのは、

それから10年以上も経った祖母の通夜の席だった。

親戚一同が集まって思い出話しをしていた時に、

私が従兄弟達に

「そういえば、おばあちゃんが元気な頃、不思議なことがあったよね」

と、その時のことを話すと、


一つ下の従弟が

「ああ、確かにそんなことがあったねえ…」

と答え、

それを受けて

私の一つ上の従兄までが

「うん、あれはいったい何じゃったんじゃろうね」

…と答えた。



…とその時、

それを聞いていた私の母の顔色が変わった。


そして、

「それ、もしかしたら正史兄ちゃんじゃないかねえ…」

と言い出した。

正史とは母の兄で、

第二次世界大戦でマニラに出征したまま帰って
来なかったと聞いている私たちの伯父だ。


「背格好は、どちらかというと華奢な感じじゃぁなかった?」

と訊く母に、

頷きながら、

「確かに、男の人にしては小柄な感じがした」

と答えた私、


でも、どうして戦争に行った正史おじさんがあそこに倒れていたのか…

と考えたとき、

私はハッとした…


そういえば、あの時、

私たちが見た兵隊さん風の人はまったく息をしている様子がなかった…

炎天下で外は30度近い気温だというのに、
あんな格好でいても汗臭くなかった…

というより、生きている感じがしなかった…


「あれは、夢じゃったんかねぇ」

「昼間から、みんな同じ夢を見ることがあるんかねぇ?」

と、従兄弟たちと話していると


母が、ポツリと

「正史兄ちゃんの霊が帰って来たんだねえ、おばあちゃんはわかっていたのかもねえ」

と、しみじみと祖母の亡骸を見ながら呟いた。


いつもだったら茶化すタイプの伯母までが、

「そうじゃねぇ…」

と、真顔で頷いた。



ちなみに、

私たちが倒れている兵隊さんを見た場所から10mほど上った丘には、

戦争で亡くなった人たちの御霊を慰めるための
忠魂碑が立っていて、

そこには、マニラで戦死したとされる伯父の名前も刻まれていた事を

十数年前に帰省した時に、確認している。



あのとき、

祖母と正史伯父さんは、どんな話をしたのだろうか…



******************************************

伯母は12年前に、
実母は6年前に他界、

伯父とはきっと、あちらの世界で再会しているだろう…。

73年目の終戦記念日の回想。



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兄の遺髪

2015-08-18 08:20:30 | 心霊のはなし



毎年この時期になると思い出す事があります。

以下は、7年前のblog記事からです。



島根の生家を解体する際に、仏壇を整理していて見つかった兄の遺髪を私は、長い間、大切に保管していました。

兄は死産児で、私の生まれる丁度一年前だったそうです。



兄が死産だった事で命を授かったかも知れない私には、
この遺髪を、その当時、軽い認知症が始まり、兄の事さえ忘れてしまっていた母に渡さなければいけないという義務感がありました。


その「兄」を伴った旅行中、不思議なことがありました。

群馬に帰る前日、広島で妹の家族と、母と私とで連れ立って焼き肉を食べに出 かけた時の事でした。

妹の家は、広島の中心部から山陽本線・呉線で約10分の海田に近い静かな町にあります。

夕方になって、やや涼しくなった頃、ヒグラシの鳴く線路沿いの道を

妹夫婦と大学生の甥二人そして母と私とで、連れ立って6人 でてくてくと歩き、目的の焼き肉店に向かいました。

赤提灯が燈るその店に着くと、入り口で妹の夫が
「7人なんですけれど・・」と

店員に人数 を告げています。

ところが店内を見渡すと6人用のテーブルしかありません。

妹夫婦も母も私も「ひとり分足りない」と瞬時に席を探したのです。

誰も疑う事もなく、真剣に「7人掛けの席ってないよねぇ・・」と。

そしてハッと思ったのも同時でした。

「あれ?なんで6人なのに7人だと思ったんだろう・・」と妹が言 いました。

「でもさっき歩いて来る時に振り向いたら確かに7人いたよ」と

妹の夫が不思議そうな顔をして言いました。

「私もそう思ってたよ」と母も首をひねっています。

席に座って私は笑いながら

「だれか首から肩の辺りが痛い人いない ?」

と訊くと

誰もが「ううん」と否定しました。

犯人は私だったのです 。

(私の肩に乗ってついて来たに違いない…)

実はその時、私は「兄の遺髪」の入ったバッグを母の部屋に置いて出かけたのです。

私の肩には子供をおぶったあとのようなだるさが残っていました。

食事を終えて帰った私はすぐに母の部屋の仏壇の前に座り手を合わせました。

そのとたん、うそのように肩のだるさがスーッと引きました。
                                                       

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白いビニール袋

2015-07-29 18:57:02 | 心霊のはなし
私は、かねてから

“心霊はロマンだ” 思っています。

安易に怖がるのではなく
不可解な現象には必ず意味がある…

と考えるべきだと思うのです。

それらは我々のような現世に生きる者の傲慢さを時に諌めてくれます。


今回は、私が息子から聞いた話しを…。



今から10年前、息子が久しぶりに家に帰ってきたときの事です。


電車から降りてくるなり、肩が重い・・・としきりに訴えていたのです。

そして笑いながら

「オレ、昨日の夜、近くの公園で友達3人と怖い話をしていたんだよなぁ・・その後から、急に肩が重くなったんだよ、これって霊がとり憑いてんじゃないかなぁ・・」


 怖い話・・・とは、実際に息子の先輩が体験したことです。


先輩、仮にHさんとしましょうか。

Hさんは、暴走族ではないけれどバイクが好きで、よく乗り回して遊んでいる人だそうです。

ある日のこと、いつものように250ccのヨーロピアンバイクに乗って家に帰る途中
墓地の近くで、白い大きなビニール袋に入った“何か”・・・を轢いてしまったそうです。

 轢いた瞬間、グニュッという妙な音がしたらしいのですが

Hさんは、生ゴミか何かを轢いただけだろうと、さして気にもとめずに通り過ぎたそうです。

ところが、それから数秒もたたないうちに、バイクがスローダウン・・・。
いくらスロットルを開いても、一向にスピードは出ないまま

そのうち、両肩に何かが乗っているような重さを感じたHさんは
吐き気を感じながら、なんとか家に帰りついたというのです。

 そして玄関を開けて家に入ったHさんを見るや否や、母親が真っ青な顔で言ったそうです。

「そ、そんなものをつれて帰ってきて・・・」

Hさんの背中には、明らかに死霊と思える何かが憑いていたと・・・母親は後に言っていたそうですが、

実際その時のHさんは
(オレ、かなりヤバかったんだよ、死ぬかと思った。)

と3日間、原因不明の熱にうなされた当時の自分を振り返っていたそうです。


 白いビニールに入っていたものが、何であったかはわかりませんが
なにか得体のしれないもの・・であったのは事実です。


 息子は、夜中の公園で、そんな話を先輩から聞いたあと急に肩が重くなったというのです。気のせいかもしれませんが・・。

当時、バイクに乗り始めたばかりの息子は

「オレ、ビニール袋が道に落ちているの見ると、先輩の話を思い出すんだよな。」


・・・落ちているものは踏まないに越した事はないのです。

たとえ、それが何であっても・・。









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