侘び寂びの世界とは、
凡そ縁の無い日々を過ごしておりますが、
邦楽協会定演のナレーションにしろ、
本日の茶道講演会の司会にしろ、
仕事とは言え「日本人の心」を知る貴重な経験をさせていただく機会がある事を
大変嬉しく思っております。
本日の講師・田中仙堂氏の
『千宗易が利休となるまで』と名打った講演会も、
先達ての大河ドラマの中の利休像とは全く異なった
“本能寺の変”より以前の
30代の始めから40代の中頃までの、
堺で暮らしていた“宗易”の生活の一端を想像することのできるお話しでした。
講演では、
当時の宗易が主宰したり招かれたりした茶会の
“覚え書き”、
いわゆるメモのようなものから
使用した茶道具を一つ一つ具体的に拾い上げ
それらの道具から、
当時の茶会の様子を想像する…というユニークなもので、
社会学を研究されている氏ならではの視点からの分析は、
私のような茶道とは縁の無い者にも大変興味深い内容でした。
決して豊かとは言えず、限られた少ない道具を工夫して使っていた、
花一輪を活けることで茶席に彩りを添え道具の見せ方を工夫していた、
そんな、宗易の質素でも豊かな発想力に
その後、
歴史に名を残すことになる偉大な茶人の類稀な才能を感じたものです。
田中仙堂氏は、現在、千利休の評伝を準備中とのこと、
上梓を楽しみに待ちたいと思います。
凡そ縁の無い日々を過ごしておりますが、
邦楽協会定演のナレーションにしろ、
本日の茶道講演会の司会にしろ、
仕事とは言え「日本人の心」を知る貴重な経験をさせていただく機会がある事を
大変嬉しく思っております。
本日の講師・田中仙堂氏の
『千宗易が利休となるまで』と名打った講演会も、
先達ての大河ドラマの中の利休像とは全く異なった
“本能寺の変”より以前の
30代の始めから40代の中頃までの、
堺で暮らしていた“宗易”の生活の一端を想像することのできるお話しでした。
講演では、
当時の宗易が主宰したり招かれたりした茶会の
“覚え書き”、
いわゆるメモのようなものから
使用した茶道具を一つ一つ具体的に拾い上げ
それらの道具から、
当時の茶会の様子を想像する…というユニークなもので、
社会学を研究されている氏ならではの視点からの分析は、
私のような茶道とは縁の無い者にも大変興味深い内容でした。
決して豊かとは言えず、限られた少ない道具を工夫して使っていた、
花一輪を活けることで茶席に彩りを添え道具の見せ方を工夫していた、
そんな、宗易の質素でも豊かな発想力に
その後、
歴史に名を残すことになる偉大な茶人の類稀な才能を感じたものです。
田中仙堂氏は、現在、千利休の評伝を準備中とのこと、
上梓を楽しみに待ちたいと思います。