声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

出世の条件

2012-08-29 13:56:06 | 自衛官時代の想い出
オリンピックでの活躍で自衛隊体育学校が注目されています。

30年も前の事ですが、自衛官時代
体育学校のグラウンドで体力検定を
受けた事があるのを思い出します。

持久走でヒーヒー言いながら走って
いると、後ろから
「ガンバレ!ガンバレ!」
いという声。
振り返ると、どこかで見たお顔…。

それが、重量挙げ三宅宏美選手
のお父様でした。

お陰で何とか完走する事ができ、
学生時代、全く運動と縁の無かった
私が一種目を除き全て1級という
好成績。

「私って凄い!」と、自惚れました
が、問題は残る一種目です。

今思うと、その一種目が出世できるか
否かを決める要因だったように思い
ます。

ハンドボール投げでの事です。

「手榴弾のつもりで投げよ」と教官
から指示を受けたのですが、

投げた瞬間、教官から
「お前たちは自爆だな!」と…。

言われたのは私と同じ組のR子さん
だけ…(~_~;)
10mくらいしか飛ばなかったんです。

私は( 腕力ないもんね。)と開き直って
ヘラヘラ笑っていましたが、

R子さんは悔しがってワンワン号泣し

「また、次に頑張ればいいよ」

と私が、どんなに慰めても泣き止ま
なかったんです。
ホンモノの手榴弾なら、次は無いんで
すけれどね。(^_^;)


その後、自衛官教育隊を同時に卒業したR子さんと私、
成績はさほど差が無かったように思います。
でも明らかに違ったのは、"根性"
です。

彼女は、どんどん出世し、今では
女性自衛官としてはTopクラスの
階級・二等陸佐にまで上り詰めました。

オリンピックでの自衛官の活躍ぶり
を観て、改めて根性のなかった
当時の自分を思い出しています。






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大和ミュージアム

2012-08-25 23:45:28 | 旅の楽しみ
呉の大和ミュージアムは以前から
行きたいと思っていた場所です。

呉の海軍工廠には戦時中、日本全国
から10代半ばの少女達が女子挺身隊や
動員学徒として働いていました。
母もその一人です。

「大和が呉を出航するのをみんなで
見送ったんよ。」

大和ミュージアムに行けば、その頃の
母達の生活が記録として残されている
かもしれない…。

そんな期待感をもちながら訪れたミュージアムには、
動員学徒に関する資料はごく僅かでしたが、
4階のライブラリーで母の所属する
水雷部に関する資料を見つけました。


『動員数207名:
入寮月日 昭和19年10月7日
海軍式布団のたたみ方、整頓も
いちいち検問があった。
…(中略) 寮母さんの計らいで大部屋に集まり各校から有志が出て
童謡・唱歌・歌曲を唄ったり即興のゲームをしたこともあった。…』

(母が楽しそうに話していたのは
この事だったんだ…。)

16歳のオカッパ頭の母の顔を思い
浮かべ、嬉しくなりました。

館内では、大和や武蔵など当時の最新鋭の軍艦に関する資料をはじめ、
遺品や遺書などを含めると展示品は相当数に及び、屋外展示物まで見て回る
と半日以上かかりそうですが、
そこにあるのは"平和の尊さ"を訴えるメッセージです。

「武士(もののふ)は死ぬるものとは
思ふ身の征く朝のみは 晴れよ濃霧」

第二艦隊司令部付軍医 岩佐尚 大尉の
辞世の句です。

"人間魚雷"の資料展示前では
実物大の構造図が足元に描かれ
ています。
その上に立つと、恐怖心を忘れるため自らを奮い立たせて乗り込んだ20歳そこそこの青年達の士気に高揚した表情が想像できます。
彼らに与えられた時間は48時間、
その狭い閉ざされた空間で
いったい何を思ったか…。

現在は海上自衛隊になっている
"アレイからすこじま"の水雷部が
あった場所に立つと穏やかな波間に
黒く浮かぶ潜水艦が見えました。

多くの軍艦を造り、送り出した呉の
今の様子は、67年前当時とは比べもの
にならないほど様変わりしましたが

多くの若者達が死を覚悟して
ここから出航し、そして二度と帰って
くる事が無かった事実を、私たちは
決して忘れてはいけないと思うのです。








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展覧会の絵

2012-08-23 11:04:16 | Diary
幸運にも、東京で見逃してしまった
エルミタージュ美術館展を昨日
名古屋で観る機会がありました。

噂通り混んでいますね。
ゆっくり鑑賞するには、最低でも2
時間はかかるでしょう。

鑑賞の仕方にも色々あるようですが
今回も、目立つ人がいました。

私とほぼ同時に入館したカップル
の中年男性が、
「オレ、ここ行ったよ!」
と風景画の前で何度か大声で話
し始め、しかも絵に関係のない自慢
をタラタラ…。(~_~;)

楽しみ方は自由ではありますが
混んでいる時には、この手のタイプ
は傍迷惑なものですね。

さて、そういう私の楽しみ方は
というと、まず順路にしたがって
一巡します。

一通り観た絵の中から気になった
作品をピックアップ。

引き返してもう一度、ピックアップした絵の前に立ちます。
そうすると一度目は気付かなかった
ものが見えてくる…。

解説は敢えて聴きません。
後で、会場に置かれている閲覧用の
解説資料を読んで
自分の感想と照らし合わせるのが
面白いのです。

今回のエルミタージュ美術館展では
解説と自分の感想がピタリと一致
したものがアンリ・ルソーなどの
作品を含めて数点ありました。

ピッタリ一致すると
(あら、私って観る眼があるわね。)
と嬉しくなります。

私のささやかな美術館での楽しみ
方です。




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啄木 新婚の家

2012-08-21 02:16:50 | 旅の楽しみ
盛岡市の中央通りで偶然発見…。
案内板につられて入っていくと
思いのほか大きな家でビックリ。

小学校6年の時に宿題の自由研究
で啄木について調べた事を思い出し
ました。

この家で祝言を挙げたそうですが
花婿不在で行われ、しかもここで
暮らしたのは僅か3週間なのだそう
です。
その上、両親と妹も一緒の5人家族
…。
お金には苦労していたようです。

この家からは、岩手山がよく見えます。
「故郷の山」とは、岩手山の事だったのでしょうか。

啄木20歳の新婚当時の佇まいです。



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運の開ける橋

2012-08-20 19:38:10 | 旅の楽しみ
久しぶりの盛岡です。

2月に訪れた時は道端に雪が残って
いて、とても寒かったのに、今日の
暑さといったら…。

駅から5~6分のところにある北上川に
架かる開運橋は、前回うっかり渡らず
に帰ってしまったので、
今日はわざわざ遠回りして渡って来ました。

転勤族でここを訪れた人は必ず往き帰りに、この橋を渡るのだそうです。
私も、これで運が開けるかしら?(^_^;)

昭和28年に造られた橋だそうですが
いいネーミングですね。




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ヤングなでしこ実況中継

2012-08-19 21:53:10 | アナウンサー 話し方 企業研修 ビジネス
サッカーが大好きです。

“なでしこ"に肖って、私もアラフィの
友人達に呼びかけチーム“どくだみ"を
結成しようかと昨年まで考えていました。(^_^;)

そんなファンとしては実況中の
アナウンサーのコメントが気になる
場合があります。

残念なことに今日の◯ジTVの中継は、緊張感に欠ける内容だったように思います。

一番気になったのは
"ヤングなでしこ"から見た"なでしこJAPAN"のことを「おねえさんたち」と呼んでいたことです。

確かに"ヤングなでしこ"にとって
"なでしこJAPAN"は、年長者ですが
厳しいスポーツ世界で
「おねえさんたち」
という表現は違和感があります。

せめて「先輩たち」が普通ではないでしょうか。
それに今のヤング…のメンバーは、
いずれ、現なでしこJAPANのメンバー
とってもライバルとなる可能性は
大です。

"ヤングなでしこ"には、高校生も
いますが大学生もいます。
皆んな日々、苦しい練習に耐えて来た
選手たちばかりです。

その彼女達に対し、甘く見ている
かのような、
どこか茶化すようなラフな言葉使いや
表現はどうなのでしょうか…。

"ヤングなでしこ"はAKBではないの
ですから。


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買い物弱者予備軍です

2012-08-18 08:40:36 | まちづくり



前橋市郊外の静かな住宅団地に
住んでいます。

一番近いコンビニや農産物直販所
まで車で5分の距離、最近のコンビニは
大抵のものは揃っていますし、
地産地消の我が家では、今のところ
不便は感じません。
車を運転できる間は、問題なく生活
して行けるでしょう。

もともと田舎者ですので、少しくらい
不便でも静かな生活に憧れ、二年前まで
は夫と赤城山の中腹で愛犬と暮らしてい
ました。

三夜沢赤城神社の近くの風光明媚
な場所で、毎日がリゾート生活の
ような気分、
仕事場まで毎日往復1時間かけての
通勤も苦にはなりませんでした。

3年半の山小屋生活がすっかり気に
入り、老後は山姥か仙人のような生活
がしたいと思っていた矢先、
愛犬が死に、体調を崩したことも
あって山暮らしを断念しました。

その結果、今の場所に越して来ました。

車さえあれば何処にでも住めるのが
現状です。
問題は近い将来です。

この場所を気に入っているだけに
どうすれば、ここで長く暮らして
行けるか、を考えているところですが、
買い物弱者支援対策は
果たして交通手段の確保だけで済む
のでしょうか、運賃を安くすれば利用
し易くなりますか?


利用者側からすると
問題はそこにあるのではないと
思えるのですが…。







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蝉時雨

2012-08-16 21:59:40 | Diary
このところ深夜まで蝉の鳴き声が聞こえています。

蝉の寿命は地中で2年~5年、地上で3週間と
言われていますが、
この時期、一斉に鳴き始める様は、その一生の
短さを鳴き声の大きさで補っているかのような
存在感があります。

数日前の寝苦しい夜も、辺り中で蝉の鳴き声が
聞こえていました。

方々から立体的に聞こえる鳴き声は、不思議な周波数を
伴っているようです。

目を閉じて聴いていると、まるでそれは声明のようにも
また僧の読経のようにも思えてきます。

その夜も黙って蝉たちの大合唱を聞いていましたが
方向感覚を麻痺させるかのような音に、私は一瞬、
異次元の空間に迷い込んだかのような錯覚さえ感じ
頭がクラクラとしてきました。

その時、ピタっと鳴き声が止みました。

次の瞬間、バタバタと大きな音がして、
どうやら窓の網戸に一匹の蝉がぶつかって下に落ちた
ようでした。

ガサガサ・・ジージージー・・・。

蝉の中にも自分と同じくらいドジで方向音痴なヤツ
がいるものだと可笑しくなりました。

遠くで聞こえていた鳴き声が、実はとても近くに
いた蝉のものだったのかもしれません。
私は騙されてしまったようです。

今年の残暑も、厳しいようです。
まだ当分続くのでしょうか・・・。



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終戦記念日に

2012-08-15 19:16:47 | Diary
今年もまた終戦記念日がやって参り
ました。

"戦争を知らない子供たち"世代ですが
私の子供の頃には、まだ戦後が存在していました。
傷痍軍人さんと近所で、よく出会いました。
松葉杖姿で、途中で切断された片足を庇いながら、当時まだ未舗装の道を
いつも辛そうに歩いていました。

私の生家には「遺族の家」と書かれた
金属の細長いプレートが玄関の柱に
打ち付けられていました。
伯父がマニラで戦死した為だと後で
知りました。

戦争の事は両親から聞いて育ち、
それなりに平和の有り難みを感じ
ながら生きて来ましたが
自分たちの子供世代に平和の大切さ
を伝えていくのはとても難しいと
感じることがあります。

以前、ある仕事先でのこと
一人の若者が休憩時間に

「あぁ、原爆でも落ちないかな…」

といった一言が忘れられません。

自分にとって不都合や嫌な事があると

「エヴァンゲリオンのように全てが
破壊され、無になればリセットで
きるのに…」
と考えている人間がいる事は
地下鉄サリン事件が実証しました。

将来、同じような事件が起こらない
という保証はありません。

破壊活動や武力で解決することは
できない事をどう教えていけばいいの
でしょうか。

尖閣も竹島も、武力で奪い返せばいいと思っている若者たちには
憲法第九条など無意味なものだと
思えるのかも知れません。

平和を維持して行く事の難しさを
とりわけ感じる今年の終戦記念日
です。









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Twitterはやめておこう

2012-08-14 10:19:01 | Diary
私には向かない、きっと…。
「間」と「タメ」で失敗ばかりしているから。

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