先月の消化器内科通院に続き、
一昨日の整形外科で、
「完治には1年かかるけれど、とりあえず通院は終了です」と告げられた。
嬉しいような、淋しいような不思議な感覚である。
いつの間にやら《病院大好き人間》になってしまったらしい。
その日の午後、
突然自衛官時代からの同期で、現在も関西の駐屯地で仕事している親友からメールで寒中見舞いが届いた。
いつもなら年賀状をくれる彼女だったが、
今年は無かったので何かあったかとは思っていたが、
昨年末に弟さんが病気で亡くなったとあった…
笑顔の絵文字を入れて、無理して明るく書いているようにも思える文面だ。
自分より年下の身内が亡くなる事の辛さは如何ばかりか…
私も一昨年昨年と続いた従弟妹たちの急死を受け止めるには時間がかかった…
いや、いまだに受け止めきれていないのか、
たまに夢に見る。
鬱々としながらも前に進もうと決めて新しい年を迎えた矢先に、
能登地震で大勢の人が亡くなった。
防衛技官の彼女は正月休みを返上して隊に駆けつけたと言っていたが、
今は恐らく働くことが支えになっているはずだ。
仕事の忙しさが鬱々とする気分を忘れさせてくれる…。
ヒマになった時に、ふっと悲しみが湧き上がってくる…その繰り返しなのだ。
能登では、まだ断水が続いているらしい。
仕事を再開したくても、できない人たちもたくさんいるだろう。
今朝のTVで1ヶ月経った被災地の様子を映し出していた中で、
息子と母親を喪った高齢男性が、諦めに近い表情でインタビューに答えていた。
購入したばかりの船を津波で壊された漁師の男性は、「もうどうにもならない」と言いながら薄ら笑いを浮かべていた。
人は、悲しみを通り越すと微笑に近い表情を浮かべる事があるらしい…
ラフカディオ・ハーンの『日本人の微笑』にも、その事が取り上げられていたが、
考えてみると、あの本が書かれたのは今から170年も前のはずだ。
昨日のニュースでは、
微笑で有名なルーブル美術館のモナリザに環境活動家がカボチャスープをかけた事件を取り上げていたが、
犯人たちは芸術より食料の環境問題が大事だと言っているらしい。
確かに芸術は、衣食住が整ってこそ楽しめるものだが…
ガラスで保護されたモナリザにスープを投げたところで、
ただのパフォーマンスに過ぎないのでは?
それはそうと、
何故、多くの作品から「モナリザ」を選んだのだろう…。
微笑が気に入らなかったか…?